「すべての人は神の子」と『聖書』には記されている

「私たちは隣人を愛さなくてはならない。隣人たちは私たちの兄弟だからである。すなわち、すべての人は神の子だからである。」(トマス・アクィナス)

 私が「『聖書』には人間は神の子と書いてある」とこれまでに何度も書いた。それは、『聖書』の内容がそのようにしか解釈できなかったからだ。
 しかし、ネット上でふと検索してみると、あるサイトでは「旧約聖書で「神の子ら」というと必ず、み使いのことを言う」と記されており、要するに「神の子」とは「天使」や「イエス・キリスト」のことを指すのであって、一般の人間は神の子ではない、という風に記されているのである。
 それで私もちょっと気になった。私は谷口雅春先生の「神の子・人間」を真理を学んでいるから、先入観から誤読しているのかもしれない。
 そう思って検索してみると、なんと、カトリック教会を代表する超大物神学者であるトマス・アクィナスが「人間は神の子である」と言っている。
 聖泉大学の山口隆介講師の論文である「トマス・アクィナス『「主の祈り」講解』 ―翻訳のこころみ①―」を見る限り、トマス・アクィナスは人間が神の子であることを「大前提」にしている。
 それを明記している部分だけを拾ってみても

「(父は)他の被造物に,贈り物として(何かを)与えてきたが,私たちには遺産として〔与えてきた〕.そしてこれは,〔私たちが〕子どもだからだが,しかしまたこれは,子どもであるとともに相続人でもあるならばの話でもある.使徒〔は言う〕.「あなたたちは,恐れのうちに,僕として仕えるという霊を受けたのではなく,子として養子縁組するという霊を受けた.その〔霊の〕うちで私たちはアッバ,父よと叫ぶ」(『ローマの信徒への手紙』8章15節)」

「私たちが隣人に対して2つのことをしなければならないということが示される.第一に,〔私たちは隣人を〕愛さなくてはならない.〔隣人たちは〕私たちの兄弟だからである.すなわち,すべての人は神の子だからである.「その兄弟を見て,愛さないものは,見ていない神をどうして愛することができるか」.また,畏敬の念を払わなくてはならない.〔隣人たちは〕神の子だからである.」

 このように、トマス・アクィナスは人間が神の子であることを大前提とし、繰り返しそれに基づいて議論を進めているのである。
 やはり、私の読み方は間違っていなかった。トマス・アクィナスほどの超大物神学者も「人間は神の子である」と言っていたのである。

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