どうして保守主義は君主政体を肯定するのか

 モンテスキューは『法の精神』で権力の分立が実現した君主政体をもっとも「政治的自由」の保障された体制であるとした。彼の主張はヨーロッパの王党派に影響を与え、間接的に『大日本帝国憲法』にも影響を及ぼしている。

 しかし、彼の定義する「政治的自由」とは「法律で禁止されている以外のすべての行為をする自由」であり、この定義には批判が少なくない。

 私はモンテスキューの論じなかった観点を中心に、現代社会における君主政体(立憲君主制)の有用性を論じたい。

「法律の留保」か「公共の福祉」か

 モンテスキューは「政治的自由」を「法律の許すすべてをなす権利」と定義した。

 つまり「法律の範囲内」での自由であり、これはフランス復古王政期の憲章に「自由の濫用を抑圧せねばならない法律に従う」と明記されるなど、後の王党派の政策とほぼ同じ主張であった。いうまでも無く『大日本帝国憲法』における「法律ノ範圍内ニ於テ」もこれと同様の発想である。

 それは「民主主義の弊害」と「法治主義の利点」とを考慮した上で定められた、いわば消極的な定義である。モンテスキューはまず、自由を次のように定義する。

 民主政の国々においては、確かに人民が望むことを行っているようにみえる。しかし、政治的自由とは人が望むことを行うことではない。国家、すなわち、法律が存在する社会においては、自由とは人が望むべきことをなしうること、そして、望むべきでないことをなすべく強制されないことにのみ存しうる。(『法の精神』岩波文庫版、上巻288~289頁)

 そして、この種の自由が「法律の範囲内」で実現されるべき必然性をモンテスキューは次のように述べた。

ある公民が法律の禁ずることをなしうるとすれば、他の公民も同じようにこの権能をもつであろうから、彼にはもはや自由はないであろう。(引用前掲書、289頁)

 簡単に要約すると「犯罪をする『自由』のある社会って、本当に自由ですか?違うでしょ?」と言う話である。

 このように、法に従ってこそ自由が実現できるという考え方を現したのが「法律の留保」と言う考え方である。

 だが、このモンテスキューの判断にはある大前提があった。それは立法府がその選挙人たる国民の利益に反しない法律を制定する、と言うことである。

 例えば、モンテスキューは「人民代表」の議院と「貴族代表」の議院がお互いを牽制しあえば、お互いの利益が守られると考えた。この観点から君主政体の国々では衆議院と貴族院の二院制が導入され、我が国の『大日本帝国憲法』もその思想に立っていた。しかし、これは政治家が有権者の利益に反しないという前提が守られている場合にのみ成立する話である。

 現実には、政治家は有権者の利益に反する法律を制定することも多く、また、「一部の有権者」の利益にはなるが他の有権者の不利益になる法律が制定されることに至っては、日常茶飯事であった。

 そこで戦後成立した憲法典の多くは「公共の福祉」等の概念によって立法権を制限するようになった。『日本国憲法』もその思想に立っている。

現代における「政治的自由」の再解釈の必要性

 こうした立法権を制限する思想は、モンテスキューの想定していない状況に対応するものではあったが、彼の思想と直ちに矛盾すると言うものでもなかった。

 立法権の制限とは、民主的な選挙制度のある国においては民主主義の制限でもある。しかしながら、モンテスキューはそもそも民主主義的な原理は制限されるべきと考えていたから、君主政体を支持したのである。

民主政の国々では、人民はほとんどその望むことを行っているようにみえるので、人は自由をこの種の政体の中におき、人民の権力と人民の自由とを混同したのである。(引用前掲書、288頁)

 モンテスキューは人民の権力が必ずしも人民の自由には結び付かないと考えた。これは「民主政が腐敗すれば自由を失う」と言っているのでは、無い。「腐敗していない民主政」でも自由は失われ得ることを指摘しているのである。

 モンテスキューにとって民主政の腐敗を防ぐものは「徳」であったが、この「徳」は決して人民の自由を保障するものではなかった。

 民主政や貴族政は、その本姓によって自由な国家であるのではない。政治的自由は制限政体にのみ見出される。しかし、それは制限政体の国々に常に存在するわけではなく、そこで権力が濫用されないときにのみ存在する。しかし、およそ権力を有する人間がそれを濫用しがちなことは万代不易の経験である。彼は制限に出会うまで進む。信じられないことだが、徳でさえ制限を必要とするのである。(引用前掲書、289頁)

 従って、モンテスキューの思想はストレートに立法権の制限を否定するものであるとは言えず、モンテスキューの思想の継承者の中から立法権の制限を打ち出す思想家の出現する余地はあった。

文化的リベラリズムからの保守主義批判

 ただ、モンテスキューの思想を現代社会において批判的に継承したのは、保守主義者ではなく私が「広義のリベラル」に分類する人たちであった。その代表が、「新自由主義」や「文化的リベラリズム」に大きな影響を与えたフリードリヒ・ハイエクである。

 ハイエクが「保守主義の父」とされるエドマンド・バークの影響を強く受けていることは、広く知られている。

 思想史家としてのハイエクは、自らが擁護に努めるイギリス系の「個人主義」「自由主義」の伝統の代表として、(略)バークを高く評価し、好んで頻繁に引用した。バークは、アイルランド出身のイギリスの政治家・思想家で、ウィッグ党の下院議員として、国王ジョージ 3 世の王権拡大を批判し、イギリス本国によるアメリカ、アイルランド、インドへの圧政に異議を唱えたが、フランス革命の際に有名な『フランス革命の省察(Reflections on the Revolution in France)』(1790)(以下『省察』と略記)を著わし、伝統と秩序の維持を主張し、自らの理性に頼って新たな社会秩序を作り出そうとしたフランス革命の指導者たちの知的傲慢を激しく非難した。この著作が獲得した高い評価によって、彼は近代政治思想における「保守主義の祖」と言われるようになった。(中澤信彦2015年「ハイエクはバークをどのように読んだのか? 」『關西大學經済論集』64巻)

 エドマンド・バークはモンテスキューの思想的後継者の一人であり、彼は後世の保守主義に大きな影響を与えた。

バークはモンテスキューを崇拝といってよいほど高く評価していたが、そこからコートニーは二人のバークはいずれもモンテスキューの強い思想的影響下にあるとして「同一人物」であるとし、バークの歴史書において「モデルとしてバークが採用したのは、ヒュームでなくモンテスキューである」と指摘する。(高橋和則「エドマンド・バークの政治思想」

 しかし、ハイエクもモンテスキューやバークの保守主義を継承するかのように見え、また、実際に彼を保守主義に分類する論客も存在するが、ハイエク自身は保守主義を積極的に否定した。

ハイエクは自分が擁護に努める思想的立場を「保守主義」でなく「自由主義」と表現する。彼は両者の間にいくつかの共通点(理性への不信など)があることを認めつつも、「自由主義」のメリットと「保守主義」のデメリットを指摘することで、両者を概念的に峻別しようとする。(中澤前掲論文)

 ハイエクの主張はどこが保守主義と異なるのか。その一つが「立法権の制限」の内容である。

 ハイエクは立法府が制定できるのはあくまでも「形式ルール」に限定されるべきであって、「実体的ルール」を制定してはならないとした。

彼が批判する「実体的」ルールとはどういうことか。国家があれこれ特定の目的を実現するためのルールのことです。このような法律は、「立法者が人々に彼の目的を押しつける道具になってしまう。そのとき国家は、個人がその人格の十全な発展を進めるのを助けるような功利的組織であることをやめ、一つの『道徳的』制度となってしまうのだ」と言います。(松尾匡「ハイエクは何を目指したのか ―― 一般的ルールかさじ加減の判断か」

 つまり、政府は「道徳的」な制度を作ってはならないし、特定の価値観を推奨するような法律を制定してもならない。それは、例えばモンテスキューが次のように表現した、多くの保守主義者が意識的にせよ、無意識的にせよ支持している次の主張とは正面から対立するものである。

 確かに、哲学的に言えば、国家のあらゆる部分を導くものは、いつわりの名誉である。しかし、このいつわりの名誉が公共にとっては有益なのであり、真の名誉を個々人がもつことができれば、それが個々人にとっては有益であるのと同じである。(引用前掲書、80頁)

 現在の我が国でも保守派が「国旗・国歌法」の制定を推進しその履行を求め、靖国神社に参拝して英霊を「顕彰」するのは、まさに国家のための「名誉」を守るためである。しかしながら、それはハイエクを始めとする文化的リベラリズムの考えとは真っ向から対立する。

「君が代」を歌うことを、政治家が「ルールを守れ」という理屈で強制してくるときの「ルール」というのは、まさにこの「実体的」ルールですね。立法者が特定の価値観を個人に押し付ける道具にほかなりませんから。(松尾前掲論文)
(ハイエクの主張は)「古くからの伝統は守らなければなりません」的な保守主義的な解釈をされがちなのですが、それは違います。この本のいたるところで、アダム・スミスの「偉大な社会」という言葉が出てきますが、これは、スミスが「見えざる手」のメカニズムを見出した、近代的な市場社会のことです。大昔の部族社会や封建社会にあてはまることを言っているわけではありません。民間人の間の自由な商取引が無数に行われるうちに形成されるルールのことを指しているのです。(同上)

 こうして、モンテスキューやバークの主張した「政治的自由」の考えは、保守主義とは相容れない文化的リベラリズムの側に利用されることとなったのである。現代社会における「保守主義」の復権には、この文化的リベラリズムを乗り越えることが不可欠である。

「期待可能性」を軽視するリベラリズム

 文化的リベラリズムを含む「広義のリベラル」思想は(つまり、自由主義思想一般は)、個人の自由な選択を尊重すべきことを大前提としている。そして、そのような見解に異議申し立てをしているのが、保守主義である。

 文化的リベラリズム側の人間が主張するように、個人の価値観は確かに尊重されなければならない。しかしながら、その「価値観」と現実の行為が結びつくためには、二つの前提条件を必要とする。

 第一に、行為を選択する際には充分な「判断材料」を必要とする。そうした「判断材料」がないと自らの価値観に合った選択をしている保証はない。

 例えば、お金を稼ごうとビジネスに手を出しても、成功する保証はどこにもない。仮にビジネスで成功しても、取引先が実はブラック企業であった場合、貴方がいくらホワイト企業の経営者で労働者の権利を尊重する価値観の人間であっても、労働者からの不当な搾取に貢献していることになってしまう。

 では、ビジネスチャンスが巡ってくると、一々それが本当に成功するのか精査して、しかも取引先の企業が自分の価値観と合うのかまで確認できれば良いのか、と言うと、そんなことしている間に多くの場合、ビジネスチャンスは去ってしまうであろう。

 第二に、これと密接に関係するのが「期待可能性」の問題である。

 貴方が「ウイグル人の強制労働をしている中国製品はボイコットするべきである」と言う価値観を持っていたとする。しかし、貴方は貧困層で高価な服を買うお金が無かった。そんな時、服が破れてしまい今すぐ服を買う必要に迫られた。近くにある安い服の店はユニクロしかない――そのような状況において、貴方が自分の価値観を貫ける可能性は著しく低くなる。これが「期待可能性」である。

 もっと極端な例を言うと、例えば「生命尊重」の信条を貫くのも「期待可能性」が無いと難しい。

 死刑反対論者が大切な人を殺されてもその信条を貫くのは困難であるし、プロライフの女性が強姦被害に遭った場合に胎児の生命を尊重することを期待するのは却って倫理に反するであろう。極端な事柄が起きた状況においては、期待可能性が著しく低くなるため、平時の価値観は通用しなくなる。

 それでは「お前は親を殺されたとき、仇討ちをしようとしていた癖に、生命尊重を語るな!」とか「過去にレイプされたときに中絶しておきながら胎児の権利を語るな!」と言った批判は正当だろうか?言うまでもなく、そうではない。

 何故ならば、期待可能性が無いときに行った行為は、その人の価値観とは無関係であるからである。同様に、判断材料が乏しい時の選択も、その人の価値観とは無関係である。詐欺師に騙されて他人に迷惑をかけたものは、被害者であって加害者ではない。

 いわゆる文化的リベラリズムの論者は「判断材料」の瑕疵については論じる者も少なくないが、「期待可能性」の瑕疵についての議論は決して盛んであるとは言えない。

 多くの場合において、我々は何らかの形で「期待可能性」の瑕疵が存在する。その表れが「理想論」や「綺麗ごと」への批判である。

 価値観とは何を理想とするかであり、そうした「理想論」を「綺麗ごと」として切り捨ててしまうほど期待可能性に瑕疵がある状態では、真に当人の価値観にあった選択をすることは不可能である。しかしながら、現に多くの人が期待可能性に瑕疵のある状況に生きているのであり、従って彼らの選択はその価値観の表れと解釈することはできない。これが文化的リベラリズムの致命的な問題点である。

保守主義では立憲主義が民主主義に優越する

 我々は日常生活においてはその「価値観」に従った選択をするのが困難であるが、それは充分な判断材料と期待可能性が日常生活においては必ずしも備わっていないからである。しかし、立法府は日常生活を送る国民よりも判断材料と期待可能性が高い。

 立法府は立法権を行使することができるため、その取り得る選択の幅は広く、必然的に期待可能性は高くなる。また、公的機関であるため判断材料となるべき情報も集めやすい。

 従って、ハイエクの主張とは正反対に、国民はむしろ立法府の活動を通じてこそ、自らの「価値観」を反映させるべきなのである。期待可能性の高い立法府がその「価値観」を法に反映させず、我々が日常生活における日々の選択に自らの「価値観」を反映させようとしても、それが良い結果を生むことは絶対にない。

 それは国家の行政においてもそうである。期待可能性の低い国民が直接統治行為について判断するのではなく、期待可能性の高い立法府が国民の代表として統治行為を判断する方が、優れた結果を生む。

 古代の諸共和国の大多数には、一つの大きな欠陥があった。それは、なんらかの執行を要求する能動的な決議を行う権利を人民がもっていたことである。これは人民には全く不可能なことである。人民はその代表者たちを選ぶためにのみ統治に参加するべきである。これは人民の力のよく及ぶことである。(引用前掲書、296頁)

 ただし、国民の代表者たる立法府が多数決で決めてはならない価値観が存在する。代表的なものが、少数派の国民の権利と国民では無い存在の権利である。国民では無い存在の権利には自然の生存権も含まれ得る。これらについては立法権は制限されなければならない。立法府は少数派の国民や国民では無い存在のために働く期待可能性が低いからである。

 もっとも、立法府の法律が無効になるのは憲法典に明示された原則に違反する場合に限られるべきである。そうでなければ「ある公民が法律の禁ずることをなしうる」状態が出現してしまうからである。

 つまり、モンテスキューが述べた「政治的自由」の原則は、現代社会においては次のように再定義されるべきであろう。

「憲法典のみによって制限された立法権を持つ、国民のために働く期待可能性の高い立法府が制定した法律の許すすべてをなす権利」

 これは立憲主義そのものではあるが、広義のリベラル派の中にはしばしば国民投票の権能拡大を唱える者がいるのに対して、保守主義においては国民投票や住民投票の役割は限定されるべきであり、代議制の原則を重視するべきであるとするのが、保守主義とリベラリズムの大きな違いであると言える。

 つまり、リベラリズムにおいて立憲主義により民主的な原理を制限するのはあくまでも「必要悪」であるが、保守主義の立場からは立憲主義による民主的な原理の制限は「不可欠」なものなのである。

同一の選挙人団で二院制は無意味

 一般的に「期待可能性」の概念は刑法学の領域で、それも限定的に用いられているに過ぎないのであるが、それを拡張解釈して考察することにより、モンテスキュー以来の民主主義原理に懐疑的な保守主義が現代社会においても適用可能であることが説明しやすくなる。

 立法府に二院制を導入するのも、本来は民主的な原理を抑制するためである。今の日本では衆議院選挙で圧勝した政党も、参議院に反映されている「3年以上前の民意」を無視することが出来ないが、これはまさに民主的な原理を絶対視していないことを表している。

 ハイエクの思想的影響を受けた日本維新の会等の政党が一院制への移行を主張しているのは、まさに彼らの自由主義思想の影響を受けたものであると言える。保守主義の立場からは、逆に衆議院とは全く異なる選出方法の議院が望まれる。

 事実、我が国には参議院を任命制の議院とすることを主張している政治家や政治団体が少なくない(小沢一郎1999年「戦後日本のタブーを破って現職政治家が初めて条文を書いた 日本国憲法改正試案」、維新政党・新風2019年「憲法改正 第二次試案(改訂二版)」、等)。無論、そのような主張に対する広義のリベラル(自由主義)の立場からの反論も存在する(鳩山由紀夫1999年「ニューリベラル改憲論 自衛隊を軍隊と認めよ」、等)。

 直近の民意によって議会の構成を100%変えることすらも理論的に可能な一院制は、民主主義の危険性を認識するべき保守主義の立場からは賛成しがたいものである。また、3年以上の前の民意によって選出された議員も任命制の終身議員も「過去の民意」を反映しているという意味では大きな違いはないのであり、前者を肯定して後者を否定する合理的理由はあるとは考えられない。

 いずれにせよ、両院制を採用している国の多くは上院議員の選出方法について、下院議員の選挙人団とは別の選挙人団によって選挙されるか(フランス、オーストリア、オランダ、スペイン等。アメリカ合衆国、ロシア連邦、ドイツ等もこの類型)、下院とは同一又は別個の選挙人団による選挙と任命されたものとの混合である(イギリス、アイルランド、イタリア等)ものが殆どである。民主主義の場合はこれらを止むを得ない措置であると考えるであろうが、保守主義の立場からはこれこそがあるべき議会の姿であるということになる。

 なお、完全に任命制の議院で構成される上院としてはOECD加盟国の中ではドイツとカナダが存在する( 帖佐廉史「諸外国議会の一院制・二院制の別(2016 年)」)が、ドイツは連邦を構成する州による任命制であるから、下院とは別の選挙人団が存在する形式に近い。また、歴史的にもこれは貴族階級である諸侯の会議の影響を受けたものである。カナダ上院はカナダ政府の首相の指名による純粋な任命制ではあるが、首相は各州から決まった定員分しか指名できず、しかも議員は終身であるから欠員が出た時にしか指名できないため、その指名権は著しく制限されている。

 完全に下院と同じ選挙人団で選出される上院はOECD加盟国ではチリ、チェコ、ポーランド、メキシコが存在するが、メキシコは単独の政党が過半数を握れないようにしているため、実質的には日本の参議院に近い選出方法であるのはチリ、チェコ、ポーランドのみである。議会政治を自由主義的なものとするカール・シュミッツの主張を踏まえるならば、こうした上院は「リベラルな上院」と言うことができるであろう。

 日本の参議院は「リベラルな上院」の中でも成立が早いものである。ポーランドは1989年、チェコは抑制する1992年、チリに至っては2006年に現行の制度となっている。

 多くの国において、上院は「下院の暴走」を抑制する役割のみならず、その背景にある「民意の暴走」を抑制する役割をも担っている。その典型がイギリスの貴族院で、最近の著名な例を挙げると令和2年(西暦2020年、皇暦2680年)に庶民院を通過した「国内市場法案」が欧州連合離脱協定違反であるとして修正議決を行った。現ジョンソン政権はまさに欧州連合離脱の強硬派として選出された政権なのであるから、これは欧州連合離脱に湧く民意を抑制する役割であると言える。

 アメリカ上院の場合は上院議員が直接選挙でえらばれているので、一見日本の参議院同様「リベラルな上院」であるかのように見えるが、これも上院議員は各州の代表であり、下院議員の選挙区がほぼ人口に比例するのに対して、上院議員は州が単位であるからその選挙区は人口に比例しない。『アメリカ合衆国憲法』には「いずれの州も、その同意なくして、上院における平等の投票権を奪われることはない」と明記されており、この背景には各州の自治権が民主的な原理よりも優先されるという思想が根本にある。

(アメリカ大統領選挙の選挙人が州ごとに選出され、場合によって有権者の投票結果に反する大統領が選出されるのも、同じ思想である。このような「民意の暴走」を抑制する規定は、民主主義を徹底する立場からこの規定を改正すべしとの声が主にアメリカ民主党内部からある。)

 ところが、日本の参議院を始めとする「リベラルな上院」には「下院の暴走」を抑制する役割はあっても「民意の暴走」を抑制する役割は期待できない。日本では参議院の選挙区も人口に比例しなければならないとの原則が最高裁判例でも確定しており、つまり民意の反映が第一の目的なのであって、同じ直接選挙で選ばれた上院であってもアメリカ上院とは全く性質が異なるのである。

 民主的な原理を絶対視しない保守主義の立場からは、「民意の暴走」を抑制する役割を担うことが出来ない「リベラルな上院」の存在意義には当然に疑問符のつくこととなる。

国家元首は選挙で決めるべきではない

 上院のあるべき姿について触れる前に、それと密接な関係のある国家元首の役割について考えてみよう。

 立憲君主制国家の国家元首は主として儀礼的な役割を担う。その様な権力の行使に抑制的な国家元首の存在はモンテスキュー以来の保守主義者が称賛してきたところである。

 そして、私はそれが立憲君主国に限らず普遍的に国家元首の本質的な役割として人々が望んでいるものである、と考える。それは共和国における国家元首の役割を見ても明白である。

 インド共和国やドイツ連邦共和国の大統領は専ら儀礼的な役割のみを担う。彼らは(間接的にではあるが)民主的に選出されているにもかかわらず、そのことを根拠に権力を行使はしない。

 大統領に政治上の実権のある国もあるが、多くの国ではそれは制限されている。アメリカ合衆国の大統領は閣僚の任命に上院の同意を必要とし、フランス共和国やロシア連邦の大統領はその行政権の一部を首相が行使する。しかし、そのような国でも大統領には国家元首としての儀礼的な役割は期待されている。

 国家元首の規定については慣例に委ねられている面も大きい。日本では『大日本帝国憲法』で天皇が元首であると明記されたが『日本国憲法』ではだれが元首であるかは明記されていない。しかし『大日本帝国憲法』現存論者以外にも天皇を慣習的に事実上の国家元首と解釈する政治家・学者は少なくない。

 また、国家元首の役割についても諸説の一致を見ない。だが、例えば『オリンピック憲章』では開会宣言を開催国の国家元首が行うことが規定されている。言うまでもなくオリンピックの開会宣言は儀礼的な役割であり、国際法上も国家元首に対しては何らかの形での儀礼的な役割を果たすことが期待されていることは明白である。

 つまり、政治上の権力を全く有しない又は行使しない国家元首は存在し得ても、儀礼的な役割を全く果たさない国家元首は存在し得ない。このことから国家元首の本質はその儀礼的な部分にあると言える。

 それではどのように国家元首を選出するべきであるか、であるが、これについては確実なことが二点存在する。

 第一に、多くの国民は誰が国家元首としての儀礼を担うにふさわしいかの判断材料を持たない。オリンピックの開会宣言一つを取ってみても、誰がそれをもっともよく行うことができるのか、そもそもそれはどういう基準で「よく行う」と判断するべきなのか、を多くの国民は知らない。

 第二に、そもそも多くの国民にはより良い儀礼を行う人間を選ぼうという動機がない。国民の生活にとって国家の儀礼は直接的な利益も不利益ももたらさない。仮に全ての国民に国家元首を選出する十分な判断材料が与えられたとして、また、十分な判断能力が全ての国民にあったとしても、多くの国民にはそもそも儀礼的な役割を担うべき国家元首を選出する動機など無いのである。

 従って、国家元首を直接選挙で決めるのは「判断材料」と「期待可能性」の双方の観点から瑕疵が大きすぎる。

 むしろ、儀礼的な役割をもっともよく担うことが可能なのは、出生時より儀礼的な役割を担うことを期待され、それを果たすことを第一の目的として生きている人間である。即ち、世襲の君主である。

 次に可能なのは、宗教上の指導者である。宗教家は本質的に儀礼的な役割を担う必要がある。また、宗教家は一般の国民よりも公のために働く期待可能性が高い。

 だが、宗教的権威が世襲のものである国においては、その宗教が国民の間で出生による差別を肯定していることもある。宗教的権威が国家元首を担っている国はヴァチカンとイランがあるが、カトリック教会の教皇もイスラム教十二イマーム派の指導者も世襲ではない。宗教的権威が世襲の国であって、その宗教が国民の分断に寄与している場合は、別の方式を用いる必要がある。

 日本の天皇は祭祀の権利を有しても宗教の教学には干渉しない伝統があった。だが、インドにおいてはムガル帝国の皇帝はムスリムであり、その他の諸侯もヒンドゥー教又はイスラム教の指導者に別れており、宗教による分断の恐れがあった。

 さらにインドの世襲の宗教的権威であるバラモンは、シュードラからの搾取とダリットへの迫害の上にその地位を築いていた。

 『インド共和国憲法』を起草したアンベードカル菩薩は、世襲の君主も宗教的権威も国家元首と認めることが出来なかった。しかし、アンベードカル菩薩はその鋭い政治的感性から政治的権力を有しない儀礼的な国家元首の必要性を理解していた。そこで彼は連邦議会議員と州議会議員による選出で儀礼的な大統領を選出することにした。

 この『インド共和国憲法』の規定はアンベードカル菩薩の優れた判断の産物ではあるが、あくまでも世襲の君主も宗教的権威も国家元首の役割を果たせない積極的な理由が存在した国であるからこそ有用な規定であって、その他の国において有用であるとは限らないと言うべきである。

 儀礼的な役割を担うことに限定すれば、世襲の君主に勝る存在を国民は選出し得ないし、また、それをしようともしないのである。これまで君主制を廃止した国において、君主の政治上の権力の行使についてが理由となって例はあっても、世襲の君主以上に国家元首の儀礼をよく担う者を国民が選出するために、と言う理由で君主制が廃止になった国は存在しないはずである。

立憲君主制の国における世襲的権威の存在

 以上の理由で保守主義の立場から立憲君主制が肯定される理由は理解していただけると考えるが、その場合、厄介な問題が起きる。それは世襲的権威の存在である。

 世襲の君主が存在する以上、貴族階級の存在は避けられない。日本は表向き貴族制度を廃止したが、皇族が世襲の地位を有することまで否定することはできなかった。それは他国も同様である。

 世襲的権威が政治に干渉すると、多くの場合、弊害の方が大きい。何故ならば、世襲的権威は特に現代の政治において長所よりも短所を多く持っているからである。

 世襲的権威の役割は、祖先又は家計の名誉を継承することである。特にこれは、モンテスキューの言う「名誉をバネとする」国家である立憲君主制の国では公益に適うことであるし、儀礼的な役割を担う国家元首たる君主を直接又は間接に補佐することにもなる。だが、これは政治上の権力とは無関係のものである。

 世襲的権威の政治における最大の長所は、彼らは一般国民よりも国家の伝統を政治に反映させるための判断材料を多く持っており、また、短期的な利益よりも伝統の継承を重視する期待可能性が一般国民よりも有意に高いと言うことである。如何なる人間も一時的な熱狂により深い思慮なく伝統を破壊してしまう可能性はあるが、世襲的権威は比較的その可能性は低いと言える。

 また、世襲的権威は比較的高い教養を持つ可能性が高い。それは現に貴族階級の出身者に有意に学者や教養人の多いことから判る。しかしながら、これは学歴や経験と言った一般国民でも埋めることの可能な要素と比較すると、貴族の持つ大きな長所ではなく小さいが無視はできない程度の長所である、と言うべきであろう。

 一方、世襲的権威が政治を担うと他の面で政治的に有能な人間の活躍の余地が狭められるという短所がある。これは、伝統と教養だけでは政治を行い得ない現代において、致命的な弊害である。

 こうした弊害を防ぐため、特に共和政体の国では積極的に世襲的権威の存在を否定する国家も現れた。『アメリカ合衆国憲法』では国内の貴族制度を禁止するどころか、海外の貴族の身分を有することにすら制限が加えられた。

 ところが、そのアメリカ合衆国ですら世襲的権威を持つ一族が存在している。特にブッシュ一族は、その息子の政治は父よりも劣るものであった。それは湾岸戦争とイラク戦争とを比べると明白である。イラク戦争は国際社会からの支持もアメリカ合衆国自体の国益も、少なくとも湾岸戦争のそれらと比べると、とても小さいものであった。これはまさに世襲的権威による弊害である。

 私は「如何なる国においても世襲的権威の存在を無くすることが出来ない」と言っているのではない。そのようなことを学問的に証明し得るかどうかすら知らない。ただ、アメリカ合衆国の例からもそれが非常に困難であるということが判ると指摘しているのである。

 況してや君主制の国においては、少なくとも君主の一族は絶対に世襲的権威を持つ。そして、それ以外の一族の世襲的権威を完全に無くすことすら困難であることは、現代日本の世襲政治家たちだけでなく、共和国の例までもが示しているのである。

 従って、立憲君主制の国においては世襲的権威の存在を前提としつつ、その弊害を如何に少なくし、そして、長所を活かし得る体制を構築することができるのか、が課題である。

理想的な「貴族院」の構成と権限

 本稿は、モンテスキュー以来の保守主義者が理想視してきた権力分立の保障された君主政体、今の時代で言う「立憲君主制」が、現代においても「理想的」であることを説明することが目的である。だが、モンテスキューはそのような君主政体において貴族制度が不可欠であると言っていたのであり、最後にそのことの現代政治における意義を説明する必要があると考える。

 モンテスキューは貴族たちが上院を形成することにより、下院の暴走を抑制することを期待した。実際には下院の暴走自体は「リベラルな上院」でも抑制は可能であるが、下院の背景にある民意そのものが抑制するべき対象であるときには「リベラルな上院」がその役割を充分に果たしきれず、イギリスの欧州連合離脱を見ても「非リベラルな上院」がその役割を果たしていると言える。

 ただ、この議論だけでは貴族がその任に就くべき必然性はない。これはむしろ、貴族が必然的に存在すると言う現実から導き出される結論であろう。事実、モンテスキュー自身次のように述べている。

 国家には常に、出生、富、名誉によって際立った人々がいる。(引用前掲書、297頁)

 「出生、富、名誉」の内、「富」については資産への課税や所得の再分配によってそれと「出生」を切り離すことは比較的容易ではあるが、「名誉」と「出生」の分離は特に立憲君主制の国においては困難であるし、またするべきでもない。名誉と出生を切り離すと、君主の権威すらもなくなってしまうからである。

 すると、やはりモンテスキューの言う通り貴族的な階級が国家には「常に」かは判らないが、多くの場合に存在するのであって、特に立憲君主制の国においてはそれが常態化していると言うべきである。

 彼らは国民から、ある時には過剰に美化され、ある時には過剰に嫉妬される。その弊害を防ぐ方法は一つしかない。

 彼らが国民からの過剰な美化により政治的権力を持たないよう、貴族からは下院の選挙権と被選挙権を剥奪するべきである。行政官吏への就任も制限されなければならない。だが、それだけであれば貴族からの一切の公民権剥奪と言う、逆差別になってしまう。

 同時に、彼らが国民からの過剰な嫉妬より自らを守れるよう、上院の選挙権及び被選挙権は持つべきである。しかしながら、出生により当然に上院の議席を有すると嫉妬を増大させるだけである。上院の議席の一部は貴族から選出されるが、それは貴族と下院議員や地方議員を選挙人とするべきである。貴族は下院の選挙人となれないことの代替措置として、下院議員と地方議員は国民の怒りを招く人物が上院議員に選出されないための措置として、それぞれ上院議員の選挙人となるのが適切である。

 当然のことながら、この上院はイギリスの貴族院の如く、権力を有さず勧告的意見のみを述べる。貴族たる上院議員は、自分が下院議員になれないことの代替措置としてだけでなく、伝統の継承者としての長所を活かす場としてもその地位を活用できる。これにより、貴族階級がその短所を抑制し長所を活かせる体制を実現できる。

 もっとも、貴族が上院の過半数を占めると短所を抑制する度合いが下がり長所を充分に活かせなくなる。そこで、貴族以外の議席も用意するべきである。

 第一に、宗教家である。伝統宗教・新興宗教を問わず、一定の歴史又は信者数を有する教団の宗教家は、本人が望むと望まざるに関わらず、世襲的権威とほぼ同じ長所及び短所を持つ宗教的権威を有する。(ただし、その長所は伝統と言うよりもむしろ宗教家の持つ理想主義的側面となるであろう。)

 従って、反社会的な活動をしているものを除く一定の規模を有する教団の宗教家からは下院の選挙権と被選挙権を剥奪した上で、上院議員となる枠を与えられるべきである。

 第二に、世襲的権威に近い一定の権威を有してしまった政治家も、上院議員になるべきであろう。こちらはイギリスの一代貴族と同じく終身議員となるべきである。ただし、終身議員の子孫については世襲貴族と同じ扱いとする。終身議員の子孫が議員になる動機を持たないのであれば下院の選挙権と被選挙権とを剥奪されても不利益はないし、動機を持つのであれば下院の選挙権と被選挙権の行使によって貴族の政治参加と同じ弊害を与えるからである。

 これが私の理想とする立憲君主制であるが、あらゆる権力を抑制するべきであるとする保守主義の立場からはこの理想の実現についてすらも抑制的であらねばならないのであろう。モンテスキューも三権分立についてこう述べているのであるから。

私は他の諸政体をけなすつもりも、この極度の政治的自由が穏健な自由しかもたない人々に屈辱を与えるべきだと言うつもりも全くない。理性の行き過ぎされも必ずしも望ましくないと思い、人間はほとんど常に極端よりも中庸によりよく満足するものだと思っている私が、どうしてそんなことを言うであろうか。(引用前掲書、307頁)

 本稿の内容はあくまでも理想論であることを念頭に置いていただけると幸いである。

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