もしかして「日帝」の意味を勘違いしている人がいる?
偶に思うのですが、一部のリベラル派が安易に「日帝」と言う言葉を使っているのを見ると「もしかして言葉の意味をご存知ない?」と思うことがあります。
「日帝」を漠然と「大日本帝国」の略称で使用している方がいるようなのですが、これは「日本帝国主義」の略称です。なので「アメリカ帝国主義」の略称として同様に「米帝」が使われています。
そして、ここで言う「帝国主義」とは「資本主義」の一形態を指す用語であり、君主制とか帝政とかを意味する言葉では、有りません。
仮に「帝国主義=帝政」と言う意味で用いていると「米帝」と言う言葉の意味が通じなくなります。
そういうと「そんなこと判った上で使っているよ!バカにするな!」と言う方も出てきそうですが、私が「安易に」と言っているのは、そもそも戦前の日本がこの意味の帝国主義であったかついては、左翼内部でも議論があるところだからです。
例えば、日本共産党は確かに戦前の日本を帝国主義であるとはしています。しかし、一般に「帝国主義」は「資本主義の最終形態」とする解釈が主流ですが、日本共産党はそういう意味では用いていません。綱領ではこう記されています。
つまり、日本共産党の見解では戦前の日本は近代資本主義の発達が充分ではなく、むしろ封建制の残滓が色濃く残るものであった、ということになります。
因みに、日本共産党は戦前の日本がファシズム国家だったという見解には立っていません。綱領ではこう記されています。
ここでは日本がファシズム国家と同盟を結んだことは記されていても、日本自身がファシズム国家であるとは記されていませんし、事実日本共産党の定義するファシズム体制に戦前の日本は該当しないはずです。
こうした見解とは正反対なのが新左翼です。例えば、中核派の綱領ではこう記されています。
ここでは「帝国主義は資本主義の最高の発展段階である」ことを前提に「日本帝国主義」と述べています。
こうした事実関係の違いは、そのまま政治運動の違いにも結び付きます。
日本共産党の見解ではまだ我が国の資本主義は発展途上であり、いま行うべきは「民主主義革命」であって社会主義への変革はその後の課題であるということになります。
この日本共産党の見解に立てば、現時点では社会主義を目指すわけでは無いのですから、保守派との連立政権も可能だということになります。それは立憲民主党が日本共産党との共闘を推進する理由の一つでもあります。
一方、中核派は既に戦前の段階で日本は「資本主義の最高の発展段階」に到達していたのであり、一刻も早く「社会主義への道を切り開く」必要があるという立場です。
このように「日帝」と言う言葉の定義次第で、全く違う政治的立場を表明していることになります。
そうした機敏を理解していない状態で安易に「日帝ガー!」と、何かカッコイイ言葉を覚えたみたいな感じで使うのは、誤ったメッセージを出す原因になると考えます。
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