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本当に君は総理大臣になれないのか

地球の皆さんのこんにちはあるいはこんばんは。
ビジネス書を読み漁るのは意味がないというテーマのAmebaの番組を見て焦燥感に駆られ、哲学書を読み始めた今日この頃です。

今回は、歴史的哲学者とは異なりますが、日本の次期総理大臣を担うのに現実味がありそうな政治家の哲学について読み解きたいと思います。
本書、立憲民主党 小川淳也 さんの『本当に君は総理大臣になれないのか』を要約していきたいと思います。

私が勝手に私淑させてもらっている、成田悠輔さんもオススメしている一冊となってます。

第一章 小川淳也に聞く『総理大臣になったら何をするんですか?』


この本は、ノンフィクション作家 中原一歩さんが「小川さんは総理大臣になったら何をするんですか?」をはっきりさせるためにインタビュー形式で綴った本である。

約17年間にわたって、小川さんの国政への初出馬からの選挙活動を追い続けたドキュメンタリー映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』(大島新監督 2020年)が話題になったが、
「では、総理になったら何をしますか」ということをストレートに問いかけてみた。

右肩上がりの時代に作られた「国の形」はもはや維持できない

日本が今後、いまの状態を維持することはできません。
これは小川にとって一番論じたい日本の未来についてのひと言なのかもしれない。
テレ東YouTubeチャンネル「RE:Hack」でも同じ動態のピラミッドグラフを掲げて演説をしておりました。

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過去の右肩上がりの時代に作られた道路・住宅・橋・上下水道・病院・鉄道といった社会の基礎を成す大量のインフラ(インフラストラクチャー=社会を構成する基盤)をこのまま維持できるのかというとできないし、1200兆円もある政府債務や年金の負担も人口減少の時代にはますます国民の重荷になっていくのは明白なんです。 

「昨日よりも今日はよくなる」 
「明日のほうが今日よりも人が増えるし、経済も豊かで賃金も上昇する」 
そういった意識はもはや幻想で、その幻想を維持できなくなってきたと実際に多くの方々が感じている。

高度成長と賃金上昇が当たり前の前提だった時代から、低成長と賃金の低下が常態となるような時代に、こうした大きな改革を社会のすみずみまで、持続可能性を取り戻すレベルまで断行しなければならない。

「教育や介護や福祉が必要な人には無償に近い形で利用できるように社会設計を大きく見直すから、そのための国民負担についてはきちんと議論させてほしい」という政治・社会に移行しなくちゃならない。  
その点をまずは強調しておきたいです。

————ではそろそろ具体的な政策について伺いたいです。
下降曲線を迎えているいまの日本で、一刻も早く手を打たなければならないと考えますが、小川さん、政治的にまず、何をどうすればいいんでしょうか?

私は、ずーっと日本の何が問題で、何をどうすればいいのかを、これまでの人生の半分以上、30年ぐらい考え続けてきたんです。

本当に自分で言うのもなんですけど、相当考えてきたし、相当調べてきたので(『日本改革原案』に書いた)政策の要諦はちょっとやそっとではビクともしない。

————わかりました。小川さんの前著『日本改革原案』で主張する政策をより詳細に見ていきましょう。

まずは「生涯現役」構想ですね。


①社会保障の無償化やベーシックインカムの導入などを実現するために、消費税率を減税後、長期的には25%まで引き上げる(ただし、さらなる負担と給付の上積みを現在検討中)

②2050年までに、定年などの年齢差別を撤廃し、「生涯現役」時代を支える社会・雇用制度を用意する

————えーっ25%? そんなに高くては誰も受け容れないと思いますけど。

消費税25%というと驚かれる方も多いと思いますが、最終的には社会保障の無償化や、後述するベーシックインカムの実現を目指すためのものです。

②は簡単に言えば、「労働市場の変革」です。

定年制が廃止されれば、年功序列の賃金体系も変わるし、人生の設計の在り方ももっと多様化する。

いまから100年後に人口が半減するという予測もあるほど、日本の人口減少は急速に進みます。
そのような厳しい時代にあたって、日本が生き残る道は、国としての価値、国民の価値を高めていくしかありません。

グローバル化した経済と、日常生活を支えるローカルな基盤のバランスをとると同時に、お金だけが幅を利かせる社会から、人間同士がつながりをもてるコミュニティの再構築を目指すべきだと思います。
日本がそのように変わっていけば、人口減少をもっとおおらかに受け止められる社会になるのではないかと思います。

————「おおらかに」っていうのには違和感があります。

「無理やりにでも人を増やしていこう」という政策、いわゆる「国力の観点から議論される少子化対策」というものには私は否定的な立場です。
その意味で、この人口減はむしろ将来の持続可能性の回復に向けた前向きな意味すらあるんだ、というくらいおおらかに受け止めましょうという意味です。

右肩上がりで、モノがあふれるほど豊かな時代は、人間の感性や好みは即物的な方向に流れるし、その刺激を求める。
ところが、物質的な豊かさの恩恵にあずかれない低成長の時代に入ると、柳の木が揺れて美しいとか、朝起きたら紅葉が赤くなっていたとか、虫の音が心地よいとか、ささやかなことに喜びを見出す方向に変わるんです。

下り坂、ダウンサイジングの時代を前向きに転換していく知恵や能力は人間は持っているはずだと思います。

第2章 難しそうな大改革をどうやって実現するんですか


総理になって最初の大改革

———政権交代を果たす!与党になる!総理大臣になる!の前提で

医者は「9割方公務員」

ヨーロッパの医療体制は、9割方は公立病院、大型病院です。
だから、コロナのような危機の際にすぐに臨戦態勢が組める。日本の場合は
7割、8割が民間の小さなクリニックなので態勢も組めないし、強制的に動員もできない。

非常時には、医者に「みなさんは9割公務員ですから」ということで納得してもらって大型病院に集約させるような仕組みが必要だと思います。

———202d年、「国連総会において『新たな国際政治の確立』『国際課税の教化』『国際的再分配』『気候変動対策』を訴えるとあります。

いまの日本の機能不全の多くは国際政治の機能不全からも生じています。
コロナ対策、ワクチンの問題一つとっても、各国がバラバラの対応をして今日にいたっています。

コロナや環境問題以外もそうです。
なぜトランプ現象とか、イギリスのEU離脱とかおかしな政治・極端な政治がもてはやされるのか。

俗に言われるエレファントカーブ———先進国の富裕層と新興国の中間層はともに所得が伸びているのに、先進国の中間層は伸びていない。
つまり工場が海外に移転したり、働く場がなくなったりという先進国共通の現象が起きていて、その一方ではGAFAのような、世界中から富を吸収していけるけどほとんど税金を払っていないような会社もある。



こうした問題———世界的な格差・貧困・紛争・テロ・感染症・環境———
ほぼすべての問題がグローバル化しているのだから、米中に対して「あんたたち、対立している場合か」というぐらいの𠮟咤激励ができるような、そういうリーダーシップを日本が発揮したっておかしくないじゃないかという思いを持っているんです。

———それを国連総会でスピーチするということですか?

いま申し上げたような思いを世界に伝えるためには、現実的にはそれ(国連総会でのスピーチ)しか方法がないと思います。

MMTとベーシックインカムについて

人口減と低成長下の日本にあたっては、ある程度の市場規模を維持するためには試験的なベーシックインカムという形でやってみるべきではないかと、今は考えています。
月7万円程度を全世代の国民に支給する、いわば全世代型基礎年金の役割を持つようにできればと思います。

———MMTって、そんなに簡単に信用してもいいものなんでしょうか?

一定額のお金を国民に直接配ることで通貨の価値は逓減する。
つまり(うまくいくかどうかは別としても)安定的なインフレを目指すものであり、その限りでは預貯金の価値を棄損するものである以上、これも形を変えた国民負担の一種だからです。

私はMMT理論、反緊縮、大規模な財政出動を支持する立場ではありますが、その実践には円安や急激なインフレのようなリスクが伴うし、持続可能性という観点からも課題は多いと考えています。

ほぼすべての改革内容を盛り込んだ超大型法案を

———〈所得税・法人税・相続税課税適正化及び漸次消費増税・本格的ベーシックインカム・教育社会福祉無償化法案〉
この長い名前のすべてを盛り込んだ超大型法案を1本作って徹底審議し、成立へもっていくということでしょうか?

議論する内容は、所得税や法人税、相続税における課税の適正化、消費税を長期にわたってどのくらいの割合でどのように引き上げていくか、その引き上げにあわせてベーシックインカムをどのように導入していくか、そしたらそれらとセットにする形で教育や社会福祉の無償化と抜本拡充など。これらのすべてを包括的に盛り込んだ法案を、1本の形にする。

明治維新で行ったぐらいの改革が必要なわけですから。

小泉さんの時代の郵政民営化程度の話じゃないですよ、これは。
本当に日本の将来を決める法案ですから。

第3章 本当に君は総理大臣になれないのか


小川淳也(当時50歳)は遅咲きの政治家だ。
これまで6回の衆議院選挙を戦い5回当選しているが、うち4回は比例復活、つまり小選挙区では負けている。
さほど注目を集めるような議員ではなかった。
2020年に公開された『なぜ君は総理大臣になれないのか』がなければ、現在もほとんど無名のままだったろう。

2003年、初めて出馬したときの選挙チラシに32歳だった小川はこう書いた。

〈変えたい。だから官僚やめた。”政治家”!?”国会議員”!?別にそんなものになりたい訳じゃない。
ただただこの国の政治。なんとかしたい。
今までの政治に怒り、憤り、あきらめかけていた、すべてのみなさまとともに。
このままいくか。それとも勇気を出して変えるのか。
私たち自身の判断と決断が問われている。〉

なんと青臭い言葉だろうか。

小川は、「他の政治家には絶対負けたくないことがある」という。「それは、日本という国を思う気持ち」だと。

家族の肖像

1971年(昭和46年)、香川県高松市の長閑な田園地域に小川は生まれた。
自らを「パーマ屋の倅」と称するように、両親は高松市内で小さな美容室を経営している。

小川家の教育方針は一風変わっていた。
「勉強しろ」と頭ごなしに命令されたことは一度もない。
小学校6年生の頃、小川は町中のゲームセンターで遊んでいるところを学校の教論に見つかり、両親に知られてしまう。
ところが「そんな些細なことで目くじらを立てるな」と教論を一喝した。

後に小川は地元の進学校から東大法学部、中央官庁の官僚という典型的なエリートコースを歩むことになる。

地元の公立中学に進んだ小川は念願の野球部に入部する。

父雅弘は「努力すれば東大合格にも手が届く」成績だった息子にこう言い聞かせた。
「日本の政治家にはロクなものがいない。官僚が立派だからこの国はよくなったんだ。お前も東大を卒業し、悪い政治家に影響されない立派な官僚になって、この国の役に立つ人間になれ」

人生には優先順位がある

高校1年の夏、野球を断念せざるを得なくなるほどの大けがに見舞われたことがあった。
小川の左頭部を打球が直撃したのである。
小川はひっくり返ってその場に倒れた。のたうち回った記憶しかなく、意識がもうろうとなった。
すぐに救急車で病院へ。
診断は「頭蓋骨剥離骨折」だった。
始めて小川は「野球をやめよう」と思った。

しかし、雅弘は違った。
「お前にしかいまできんのはみんなとの野球だろう。勉強はいつだってできる。それで東大に行けんかったら行かんほうがええ」

小川には東京大学に対する具体的な憧れなどは全くなかった。
つまり、学歴に対して全くといっていいほど無頓着だったのだ。

しかし、一度「東大を目指す」と目標を決めたら、発破をかけた雅弘も舌を巻くほどの集中力を発揮した。
小川の、これだと思ったら食らいつく執念のようなしつこさ、頑固さはこの時代に片りんを見せ始めている。

1990年、小川は晴れて東京大学に入学。
大学の講義には全く魅力を感じなかったが、単位取得は必須だった。
留年してなるものかと膨大な量の課題を割り切ってこなした。
成績は学内でも真ん中程度。
無論、官僚になる為に国家公務員1種試験(現・国家公務員採用総合試験)の合格は絶対だった。

霞が関の役人時代

1994年4月1日。東大法学部を卒業した小川は自治省(現総務省)の門をくぐる。
日本「安定した時代」の終焉
1996年、小川は地域総合整備財団(通称ふるさと財団)という自治省の外郭団体に出向を命じられる。
この頃、小川が日参していたのが自民党の大物である竹下登首相の事務所だった。
戦後日本では皆無だった金融機関の倒産が全国で連続したものもこの時期である。
山一證券、北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行。こうした名だたる金融機関が倒れてゆく光景は、まだバブルという夢の続きを見ているようだった。

小川の持ち場は時の総理大臣・橋本龍太郎政権の肝いりだった「税制改正」を引き受ける戦場だった。

橋本は財政再建を急ぎ、消費税に加え所得税の減税打ち切り、医療費の自己負担増などに次々と着手した。
この時代、小川に休日はなかった。
週末出勤は当たり前。毎月300時間の残業が1年半続いた。

「俺たちは自民党の下請けではない」

自治省に入省当時、小川には18人の同期がいた。皆有為かつ有望な人物で、「国の役に立ちたい」と公言するものばかりだった。だが、組織に入ると、出世競争と相まって人生の足かせとなっていく。
「自分の仕事は本当に世のため、人のためになっているのか」
官僚の多くは月日を重ねるうちに、そんな自身への問いかけさえ忘れていしまうと小川は言う。

小川の目にはむしろそういう官僚以上に政治家の中に「許せない奴」が多かった。

「森友学園」の国有地売却をめぐる財務省の公文書改ざん問題をどう思うか尋ねてみた。
公文書改ざんに関与させられた赤木俊夫氏が自死に追い込まれている。
財務省が改ざんに乗り出したきっかけは、安倍晋三前首相の以下の発言だったとされている。
「私や妻が(この国有地売却に)関係していたということになれば、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめる(2017年2月17日衆院予算委員会での発言)」
財務省が公表した調査報告書によれば、この答弁のあと、安倍昭恵夫人の名前が入った書類について、夫人付の職員から財務省に問い合わせが入り、そこから記録の破棄が進められたとされる。

自死した官僚の上位にいた当時関係者はほぼ全員があからさまな出世をはたすという残酷な人事が行われた。
「巨大な組織で働いた経験のある方であればわかっていただけると思いますが、組織内で上司の命令を拒否するということは、『組織をやめる』と同義語です」
自分だったら死ぬ前に戦ってやる———
小川はそう口にしたものの、実際にはその状況に追いやられてみないと何ともわからないだろうと思っていたという。

自分以外は全員猛反対
脱官して地元の高松から政治家をめざす。
そう決めた小川の前に立ちはだかったのは、父親の雅弘だった。
「いい気になるなよ!」
「気でも狂ったか!」
「何様のつもりだ!」

小川の脱官を支持するものは誰一人いなかった。
そして、生まれて初めての、抜き差しならない父親への抵抗となる。
遅れてやってきた30歳での反抗期だった。
決意から実に2年のあいだ、息子と父親は互いの主張を一切認めようとはしなかった。

2003年。衆議院が解散され国政選挙が行われる年となった。
小川は父をはじめとする家族・親族に最後の説得を試みる。
「ここでやってみなかったら(選挙に立たなければ)俺は死んでも死に切れん!」

最後通牒を出した小川のもとに雅弘から返答が来たのは、その数日後だった。
冒頭、「父親として息子がこんなことを言うのは忍びない」という詫びに続き、次のような文章がしたためられていた。
〈命もいらず名もいらず、官位も金も要らぬ人は始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業はなし得られぬなり〉
幕末の名士・西郷隆盛の『南洲翁遺訓』の一節だった。
「命も功名も出世も金銭もいらないような人間は始末に困る。だが、そんな人間でもなければ、幸い苦労に堪えながら国家の大事を成し遂げることはできない」父からのゴーサインだった。

2003年秋、小川は地元高松から立候補する。父親の懸念が的中し、小川は平井に1万6000票以上の大差をつけられて初陣をかざれなかった。

小川が永田町入りするのは2年後の2005年のことだ。

小選挙区に勝てない苦しさ

「私はこれまでに選挙に六度挑戦して、選挙区で勝てたのは一度しかありません。一般の方にはなかなかご理解いただけないんですが、小選挙区選出と比例復活では所属する党内でのプレゼンスが大きく違ってきます。
そもそも、比例復活の議員が党首になるというのはおかしな話なんです。
政党の党首とはいわば、『党の顔』であり、内向きには、党内の他の候補を当選させるのが大きな仕事です。
しかし、そのトップが選挙区で勝てないという現実は笑えないパラドックスですよ。代表選にお声がけいただいたときは、改めて自分の不甲斐なさを感じました」

延長戦に突入

小川は有権者に誓った公約があった。

〈私は20年、50歳を過ぎたら早期に身を引く。潔い引き際。政治を志す者の最後の大仕事だと思います〉
ちょうど、その50歳がやってきたのである。

小川は自らに下した決断は次のようなものだった。
「次期総選挙にはぜひ出馬させていただきたい。ただ、漫然とこの先もなんとなく議席にたどりついて国会にいるということをもってのみ潔しとはできない。次期総選挙で当選を果たせなかった場合の身の振り方をかんがえなければいけない」
小川の好きな野球に例えるなら9回裏。決着はつかずに延長戦に突入した形である。
「もし議席をいただければ、選挙区当選、比例区当選を問わず、勝ったうえで(立憲民主党)党首選に名乗りをあげさせていただく」
党首選の立候補には、最低20人の推薦人を集める必要がある。

小川は総理大臣になれるのか。

修行僧、頑固なまでの正義感、清廉潔白、小川淳也という政治家の根底にあるのは「強烈な倫理観」だ。
今でも家賃47,000円のアパートに暮らし、スーツも大手量販店で買った”一張羅”を使い倒す。

人は権力を持てば、間違いを犯し、私利私欲と権力維持の果てに腐敗していくのがテーゼではないか。

小川のもとには毎年、一枚の年賀状が届く。
官僚時代の上司からだ。文末には毎年、同じ一言が書いてある。
〈この国をよろしく・・・・・〉

「この国を何とかしたい」という”大欲”のためならば、言葉通り身を捨てる覚悟がある。
そして、それに貢献できることが幸せなのだという。だからこそ、私利私欲などは話にならない——真剣な表情でそんな話をする政治家は少なくとも、これまで見たことがない。


終わり


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