読書メモ 「ジャコメッティ エクリ」

「ジャコメッティ エクリ
 矢内原伊作/宇佐美英治/吉田可南子 訳 
 みすず書房 2017年(新装版)



私とジャコメッティとの出会いは、いつだっただろう。


あの真っ黒な頭部のデッサンや、異様に細長い体躯の彫刻は、ずいぶん前から見知っていたはずだ。しかし、それらは気になりつつも直接会話を交わしたことのない人物のように、私の脳裏にずっと佇んでいたような気がする。
明確にジャコメッティという存在を意識したのは、2017年に国立新美術館で開催されたジャコメッティ展を見てからだと思う。


眼に見えるものを見えるとおりに表現しようとしたら、表現されたものは、図らずも、どんどん小さくなっていってしまった


この展覧会で知ったジャコメッティの創作の事実に、私は、全く大袈裟ではなく驚愕した。
一体どういうことだろう。見たままに表現したつもりが、なぜ、こんなにも小さくなってしまったのか。
会場にはマッチ箱に収まるくらいの、今にも消えてしまいそうな人物彫刻がいくつか展示されており、その一帯だけ時間が止まっているように見えた。極小の彫像の理由を必死に考えてみたが、分からなかった。


彫像が小さくなっていったことについて、本書後半の「対話」の中で、ジャコメッティ自身が語っている。

… 私とモデルの間にある距離はたえず増大する傾向をもっている。近づけば近づくほど《もの》は遠ざかる。それは鼬(いたち)ごっこのようなものだ。 …
ー「アンドレ・パリノとの対話」より
… 僕が作りたかったその女性の彫刻は、通りで彼女を少し離れて見たまさにその瞬間の彼女のその見え方(ヴィジオン)を非常に正確に実現することだったのだ。だから次第に、彼女がその距離で離れていた時の大きさをこの彫刻に与えるようになっていったのだ。 …
ー「ピエール・デュマイエとの対話」より
… 弟は毎朝ポーズをとってくれた。その時僕は、アカデミーで勉強したような胸像の制作を再開した。モデルがそこにいてポーズをとり、僕が作るわけだ。だが僕に見えるのは細部だけで、頭部全体が見えない。そこで、僕は全体が見たかったものだから、弟を後ろに下がらせた。そして下がれば下がるほど、彫刻は小さく、小さくなってゆく……。 …
ー「ピエール・デュマイエとの対話」より
… 一度父のアトリエで —— 十八歳か十九歳のころだったが —— テーブルの上にあった梨を —— 静物を描く場合の普通の距離でデッサンしたことがある。梨はいつも小さくなった。私は何度もやり直したが、それはいつも正確に同じ大きさになるのだった。父はいらだって言った。「梨がある通りに、お前に見える通りに描きなさい!」そう言って彼は私のデッサンを修正した。私は父の言うようにしようと試みた。ところが、意に反して私は消しゴムでたくさん消し、三十分後にはそれらは、一ミリと違わず最初のと正確に同じ大きさに戻ってしまった。 …
ー「ダヴィッド・シルヴェステルとの対話」より

この「対象が縮小していく」という感覚は、やはりジャコメッティという作家の本性なのだろう。デッサンするときだけに感じていたこの感覚が、次第に、そうではないときにも感じるようになっていったという。


ジャコメッティの小さな彫像を見ると、私は、昔、高熱を出したときに見た夢のことを思い出す。突然、自分の部屋が途方もなく広く、反対に自分の身体が小さくなり、全重力が、その小さな身体の一点に凝縮されたかように感じる夢だ。大海のようなうねりの中、向こう岸にいる親戚に呼ばれ、行こうとするのだが、いつまでも辿り着けない。ジャコメッティという存在が気になり続けたのは、この夢と関係があるのかもしれない。
ジャコメッティが長年使ったアトリエは、たったの25㎡という狭い空間だったそうだ。その狭い空間で、あの小さな彫像たちが生まれたのだ。制作空間と制作物のそれぞれのスケールには、何らかの因果関係があるのかもしれない、とも思う。


縮小していくのは、人物だけではない。

ここ二週間、ぼくは風景画を試みている。一日中、同じ庭、同じ木々、そして同じ背景の前で過ごしている。最初にこの風景を見たのは朝だった。 … そして僕は夜まで風景画を描きつづけている。毎日、ほとんど何も見えない、というよりは少しは余計に見える程度だ。そして、どうやって、どういう方法で、自分が見ているあるものをカンヴァスの上に置くことができるのか、ぼくにはまったくわからない。 … ぼくは風景の連作ができると思っていた。 …
しかしもうその連作のことは考えていない。何か月もの間ドアの前の風景だけで十分だろう。それどころか、ぼくの仕事はまず最初はこの風景の一部だけ、そして次にはおそらく一本の木だけ、そして最後には一本の枝だけに縮小せざるを得ないだろう。 … 窓から見ている、あるいはドアの前に見ている風景よりもっと先に進めるのはいつなのかぼくにはわからない。
ー「手帖と紙葉」より


風景が縮小されていったように、人物も頭部から眼、そして「まなざし」へと、ジャコメッティの視線は、縮小していく。

… 或る日のこと、或る若い娘をデッサンしたいと思っていた時、何かピンときたことがあった。つまり、つねに生き続けている唯一のもの、それはまなざしだということが突然わかったのだ。残りのもの、頭蓋骨になり変わってしまう頭部は、死人の頭蓋骨とほとんど同じものになってしまった。死者と生者の違いをなしていたもの、それは彼のまなざしであったのだ。 …
ー「ジョルジュ・シャルボニエとの対話」より

あの真っ黒な頭部のデッサンは「まなざし」をとらえようとして、苦悶した軌跡なのかもしれない。


ジャコメッティは懐疑する。
いや、ジャコメッティにしてみたら、懐疑するつもりもまったくなかったはずだが。

空間を現実に存在するものとして作られる彫刻は、すべてインチキだ。空間の錯覚があるのみ。
ー「手帖と紙葉」より

ただ「レアリテ」を、「レアリテの根拠である外観」を、追い求めようとしただけだったのに。なにも残らないかもしれない、という恐怖に怯えながら、ジャコメッティは「名前のない海」に突き落とされ、遭難する羽目になった。
キュビズムやシュルレアリスムといった表現形式は、ジャコメッティにとっては、自分を守ってくれる、いわば「安全地帯」だったのだ。しかし、ジャコメッティ自身いずれそこから出て行かねばならないことは、充分にわかっていた。だから突き落とされたのではなく、自ら飛び込んだのかもしれない。矢内原伊作との対話で「五十グラムの勇気」と言っているのは、そういうことだろう。ただ昨日より、ほんの少しでも前進している、その実感を得たいがためだけに、狂ったようにモデルと格闘する。その様子は、矢内原伊作との対話に克明に記されている。


極限まで縮小された彫像は、今度は、細く長く引き伸ばされていく。

… この縮小現象に決着をつけるために、ある日これくらい(約一メートル)の大きさの彫刻を作りはじめることにした。そして何があっても一ミリも譲るまい、と決めた。
… だが彫刻は反対になった。このぐらい(高さが)小さくなることはなかったが、このぐらい(幅が)小さくなった。
ー「ピエール・デュマイエとの対話」より

長さを確保した彫像は、私には、少しだけ息を吹き返したように見える。そして私には、ジャコメッティが「レアリテの彼岸」に限りなく近づき、しかし、此岸に無事生還した勇者に見える。


いま私は、ジャコメッティに出会えたという幸運をかみしめている。



         *****

本書は、「既刊の文章」「手帖と紙葉」「対話」の三部からなっている。
本書の訳者、矢内原伊作氏と宇佐美英治氏による本書の前身ともいうべき『ジャコメッティ 私の現実』(1976年)に掲載された内容が、ほぼそのまま「既刊の文章」の内容となっており、これにジャコメッティの友人であるミシェル・レリスとジャック・デュパンの序文が巻頭を飾り、未発表原稿である「手帖と紙葉」、雑誌等に掲載された「対話」を加えたものが本書である。
「手帖と紙葉」をはじめ、本書にあらたに収録された部分を訳した吉田可南子氏による「あとがき」が秀逸だったことを書き添えておきたい。

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