余白を歩く 《思い出しグルメ⑨ 串カツ田中 石神井公園店 —— としまえんの思い出とともに》

ダンナが生きていた頃、家族で行った店、行きたかった店。なくなってしまった店もあるけれど…。
思い出しながら、ぼちぼち語っていくシリーズ。



         * * *






夏休み。
朝から晩まで暇を持て余した小学生が二人。
旅行に行くあてもなし……。
このうんざりする状況、なんとかせねばと重い腰を上げた私は、近場で気楽に楽しめそうなレジャーを求め、スマホをスクロールし続けていた。2018年7月31日のことだった。いくつかの候補の中で、いいスポットが見つかった。


「そうだ、としまえん行こう」


「そうだ、京都行こう」と本当は言う予定だったが、大人の諸事情を鑑みそれはやめておいた。
うん、としまえん。いいんでないの。
某ネズミ国より混んでなさそうだし、家からも近い。我ながら素晴らしい選択にワクワクドキドキが止まらなかった。善は急げ。翌日私と子どもたち三人は電車に乗り、としまえんへ向かった。


着いてみると想像以上に空いていた。ていうかガラガラである。平日だったのもあるが、どのアトラクションにも並ばすに乗れた。並ぶのが大嫌いな私にはありがたかったが、心配になった。経営不振なのだろうか。どうした、としまえん。がんばれ、としまえん。
かなり淡い記憶だが、生まれてはじめて行った遊園地はとしまえん、だったような気がする。由緒正しきメリーゴーラウンド(日本最古のメリーゴーラウンドとのこと)、なぜだか和んでしまうオバケ屋敷、絶妙なスリル感のジェットコースター、等々に乗りながら私はすっかりノスタルジーに浸っていた。いいじゃない、としまえん。いけるぞ、としまえん。子どもたちの笑顔が弾けてる。


夕方、プール帰りの客で園内は賑わいだした。90年代のとしまえんの広告に「プール冷えてます」というのが、そういえばあったな。ああ、プールもありだったなと後ろ髪ひかれながら園内を歩いていたら、ダンナから電話がかかってきた。


「で、夕食はどうするの」


翻訳しよう。これは早く帰って飯を作れという意味ではない。「オレも合流して一緒に飯を食いたい」という意味である。なんなら「としまえんに行きたかった」という意味もある。はいはいわかってるよ。


「車でそっち向かうからさ、豊島園駅の映画館のある側で待っててよ」


夕暮れ時のざわめきを掻き分け、ダンナの車はやってきた。子どもたちと車に乗り込み、今日の大報告会が始まった。ダンナはとしまえんに行けず、ちょっぴり悔しそうだ。さあ、みんなで何を食べに行こうか。


今夜の食堂を求め、車は石神井公園方面に向かった。仕事でよく動き回っていたエリアなのだろう。慣れた様子で駐車場に車を停める。けれどちょうどいい店はなかなか見つからず、暗がりの街を四人で彷徨った。やがてあの筆文字の看板が灯りに照らされて現れた。うーん、串カツ屋…。子連れでも平気かな。立ちすくんでいたら、大きな声の店員さんがどうぞどうぞと迎え入れてくれた。夕食にはまだ早い時間だったせいなのか、店内は空いている。
当時はいまほど「串カツ田中」の店舗はなかったと思う。「串カツ田中」がチェーン店だとも知らなかった。店員さんがハキハキしていて、いい感じの店だ。卓上のタレに「二度づけ禁止」とある。子どもたちによくよく言って聞かせる。それからどんどん注文を入れていった。牛串、豚串、ウズラ串、チーズ串、レンコン串、アスパラ串…。


「オレ、梅キュウ好きなんだよね」


これを書いていて思い出した。ダンナが梅キュウが好きで、このときも頼んでいたことを。娘も息子もこうして串カツをちゃんと食べるのは初めてで、はしゃいでいる。私はダンナが飲んでいいよと言うので、大好きなジムビームハイボールをおかわりしてご機嫌だった。串カツとハイボール。天国か、ここは。
串カツといえば、独身時代に千駄木にアパートを借りて住んでいたことがあり、根津にある串カツ屋に母と行ったことがあった。そこはちょっと上等な串カツ屋だった。それから千駄木駅すぐに美味しいエスカルゴのレストランがあり、引っ越しを手伝ってくれた友達と行ったな。谷中にある「町人」という怪しい居酒屋にも何度か行った。そんな話をしたけれど、ダンナは聞いていたかな。待てよ「町人」はダンナとも行った気がするぞ…。


思えばダンナの目一杯の家族サービスだったのだろう。車で迎えに来てくれたり、お酒飲まずに運転してくれたり。いまさら気づいた私はバカだな。
あれからしばらくして、としまえん閉園のニュースが流れてきた。あの悪い予感は当たってしまったのだ。ああ、四人で行きたかったな、としまえん…。