私が感じた「つながり」について

「つながり」という言葉があまり好きではなかった。というか、ぴんときていなかった。もともとあまり人とつるんで行動したりするのが好きではなく、基本的にはソロ活動が多い。交友関係も広くはなく、その友人ひとりひとりも、それぞれソロ活動が好きな人たちだったので、友達の友達はみな友達みたいな世界は私にはなかった。数少ない友人と付き合っていくのが好きだった。

「つながり」という言葉が気にかかるようになったのは、東日本大震災がきっかけかもしれない。あのとき「絆」という言葉がさかんに使われていたけれど、なんとなく言葉だけがひとり歩きしているように感じていた。本当の絆って何だろうと思った。それと同じような感覚も、つながりという言葉に感じていた。

コロナが蔓延して、外出が制限され人と直接接する機会が減って、AHの仲間たちと直接会う機会はほとんどなくなってしまった。

そんな中で、このままじっとしていても仕方ないと、zoomでのワークショップをはじめた。同じころに、いままで対面で集まっていた話をしたり聞いたるするAHグループもzoomやskypeでやってくれる仲間が増えてきた。skypeのグループはずいぶん前からあったけれど、ここまでの週に1回とかだったので、毎日のように朝昼晩とグループが行われることは、ほんとうに心の助けになったと思う。

最初は私をふくめてほとんどの人がzoomを日常で使ったことがなかった。でも、このままではいけないという気持ち、なんとかしたいという気持ちが、それぞれの心を動かしたような感じだった。実際にはじめてみると、思ったより違和感なくできたような感じがあった。はじめるまでは、いろんな心配があって大変だったけど、実際には心配していたようなことはほとんど起こらなかったし、小さなトラブルが起こっても、みんなが優しく見守ってくれている感覚があった。そして、そんな心配よりも今までは出来なかったこと(例えば距離的に遠い人ともつながれるなど)ができるという可能性も感じたりした。

10月になって緊急事態宣言も解除になり、いよいよ少しずつ対面のワークショップやグループが動き出すという流れに自分の中でもなってきて、ここのところ考えていた「つながり」ということについてこの気持ちを覚えておきたいと思った。

コロナが広がる中、家の中でPCやスマホに向かいたくさんの人と交流した。PCやスマホという機械の画面を通してなのに、あたたかさを感じるのが不思議だった。

AHに参加していると、ときどきそれぞれの人が発する雰囲気とかオーラのようなもの(?)、もしくはエネルギーのようなものがまざりあって別のものになるような感覚があった。それで、その日のその場所はとても心地よい感じになるような。ふと気が付くと、オンラインでも私はそのような感覚があることに気づいた。むしろそれは、対面で会っているときとまた少しちがうのだけど、ちがうけど良いもの、という感じ。たくさんの人(自分をふくめて)の顔を一度に見ることができるということも、対面とはちょっと違った感覚。だけど、悪くない。むしろ、いい。

でも、もっとちゃんと振り返ってみると、もしかしたら私は対面で集まっているとき、ここまでその効果を実感できてはいなかったかもしれない。オンラインでの体験が、今までの体験をより際立たせてくれたのかもしれない。それまで当たり前に感じていたことが、すごく有り難いことだったということ。1年半くらいにわたるこのオンライン生活で、実際に会うこととオンラインで会うことは違うものなのだけれど、でも対面ではできないことも感じられてきたのではないかと。PCやスマホの画面をとおして私が感じてきたことを言葉にするなら、それはまちがいなく「つながり」だった。みんなで一緒にがんばってきたという感覚や一体感があった。そこには日常にある肩書とか上下関係とかがない、お互いひとりひとりの尊重される人間としてつながっている感じ。

今、また直接人に会えることになりつつある中で、私の中にちょっとした不安がある。オンラインでの「つながり」を感じたあとでの、新たな対面での「つながり」。それを自分がどんな風に感じるのか。だけど、きっとその小さな不安はいつの間にか気づかないうちに消えてしまうのだと思う。オンラインでのワークショップやグループを始めたときの心配が現実にはほとんど起こらなかったように。そして、なにか起こったらそれもまたみんなで乗り越えたように、きっと大丈夫と思えた。

まだまだ大変な状況は続くかもしれない。でも、私は私にできることを淡々とやっていこう。今はまだ暗くても、絶対に朝がくるのだから。


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