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アウシュビッツで感じたこと

 場所はポーランドのOswiecimという街である。ポーランドのクラクフからバスで1時間半ほどのこの街。ドイツのパッサウからほぼ半日かけて移動して中谷剛さんという日本人ガイドさんに案内していただいて感じたこととは何か。自分の感じたことを述べ、最後に私がアウシュビッツから感じたメッセージとして纏めたい。

 まずアウシュビッツを初めて知ったのは小学生の時におじいちゃんに買ってもらった世界遺産の本がきっかけである。最初見たときはよくわからなかったが何だか怖い思いをしたのを覚えている。だが今なぜそのアウシュビッツに今回行こうと思ったか。それはドイツに留学したことが大きいであろう。ドイツに留学してベルリンでベルリンの壁を見たり史料館に実際行ったことでアウシュビッツへの興味が高まった。またドイツ人の友達を通して普通にWWⅡのことが話題に上がるしドイツの教育の話を聞き一度は行くべきだろうと感じたからである。

 では実際に訪れてどう感じたか。一言で言うならばアウシュビッツは生きていて私たちにその時その時メッセージをくれているのではないかと言うことだ。ガイドをしていただいている間メモをたくさん残した。自分なりに纏めながら書いていきたいと思う。

 まず、なぜアウシュビッツは生きているかと感じたか。正直なくなった方の情報やアウシュビッツについては実際に行かなくてもガイドさんに聞かなくてもわかることは多いと思う。しかし実際に歩いて回って話を聞くと同じ情報数字を見たときでも感じ方が変わる。教科書ではただの数字でも実際に行ってみると数字の重みが違うように感じる。どこか私たちに臨場感や現実に起きたことというのを教えてくれるように感じた。亡くなった方のメガネや鞄、髪の毛、実際の部屋や牢屋ガス室をみると何とも表難いたい気持ちになる。そして自分と同じユダヤ人の遺体を野焼きにしたり、その灰を川に流させていた。その事実を実際に現場に行くと施設の様子が語りかけてくれるような気がする。

 また自分の知らなかったことをたくさん知れた。当初の目的はナチスに反対する政治犯や同性愛者や捕虜となったソ連の兵士を収容する予定であった。それからユダヤの人も運ぶようになり収容所が足らなくなり増設を繰り返しても追いつかずホロコーストに至ったそうだ。土地が足らなくなり住んでいたポーランド人を追い出し新たに作っていったそうだ。また囚人ののかには看守役の囚人と普通の囚人がいた。同じ囚人ではあるが看守役の囚人は手下を作り関係の良いものに食事やシャワーの時間、寝る場所(暖炉の近くにしてもらえたり)を優遇した。また看守役の囚人に認めてもらうために同じ囚人同士ではあるが暴行をして力を示そうとしたこともあったそう。このアウシュビッツを通しドイツのいろいろな顔を見ることもできる。施設は排水設備や汚水を処理して川に流すなどドイツの文化水準の高さが見える一方で骨を池や川に捨てたり非人道的なことが行われていた。収容所のすぐ近くに住むアウシュビッツの看守のドイツ人はドイツ軍人が増えて売春宿ができても自分たちはドイツ軍の模範たれ家にきちんとかえれと言う人でありながら、ユダヤ人を毒ガスで苦しめながら1日に何千人も殺していった。なぜ当時ノーベル賞を一番取っていた文化水準の高いドイツがこのようなことを行ってしまったかプロセスを考えるのが今の欧州の教育の一つにあるように思えた。

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 また中谷さんのガイドを受ける事ができて非常に良かったと思っている。私が思うに中谷さんはポーランドの歴史などから入りユダヤの方々に敬意を払いながら当時の様子などを今現在のヨーロッパの動向などと重ね合いながら客観的に説明したくださった。日本人ガイドだからこそ客観的ではあるものの日本の事とも照らし合わせてくれながら説明してくださるので非常にイメージがしやすかった。また次の点が説明してくださった中で印象に残った。

 ユダヤについて。爆破されていたものがあえて修復されないのはユダヤの人々は亡くなったものに手を触れない風習があるからだったり、ホロコーストという言葉をユダヤの人は使うのを避ける人もいる。小さい石が近くに多いのは追悼のために置いていく習慣があるのだそう。ユダヤについても少しは詳しくなれた。ただいまの時期はコロナの影響でユダヤの方を見ることができなかった、それは当時ユダヤのせいで病気が流行るなどと虐待を受けていたからだそう。今でもそのようにいう人もいるそうで、その記憶が残っているので当分は旅を控えたり日本もイスラエルへの入国が制限されているのだそうだ。

 ヨーロッパの動きについて。アウシュビッツ解放から75年が経ち生き残った言葉に「アウシュビッツはいきなり空から降ってきたわけではない。プロセスがあったんだ。」やフランスのマクロン大統領が首都パリで開かれた収容所解放75年の式典で演説をして「反ユダヤ主義回帰はユダヤ人だけの問題ではない。これは我々全員にとって問題だ。フランス共和国の問題だ。」とある。ここからドイツの負の歴史として責任を押し付けるのではなくヨーロッパの問題であると認識し二度とこのようなことが起きないように学習をしているのであろうと思った。ドイツは教育のためにメルケル首相が多額の寄付をしたりもしている。また戦争が起こらぬようにEUで二重のブロックをかけメルケル首相がやめてどうなるかは分からないがEUを通してこのような動きは続くと見られヨーロッパの全体動きについて考えさせられた部分もあった。戦争が起きぬような流れ、裕福な国が貧しい国を支援したりヨーロッパ全体でアウシュビッツを保護する流れが残るであろうと思う。

 日本と重ねて学べる。今日本はコロナが流行っておりヨーロッパの一部ではアジア人と差別があったりするのが現状である。ここで私たちが感じる気持ちはユダヤ人が感じてきた気持ちと少し重ねる事ができよう。ただ私たちは帰るところがあるがユダヤの人たちは国を持っていなかったので帰る場所がなかった。そういう違いはあるが今のコロナの問題をどう乗り越えるかで歴史から学ぶこともできよう。ナチスが政権を獲得したときは国民の過半数の票を獲得はできていなかった。何もしない傍観者、常に賛成する大衆迎合主義がこのような事態を起こした事も学ぶ事ができた。日本はみんながやるからと大衆迎合の傾向が強い。また、日本でも修学旅行で沖縄のひめゆりの塔であったり平和記念公園を訪れた。それと同じようにポーランドの子供たちは最初ナチスに反対しここに入れられたポーランド人のおかげで今があると学ぶのだそう。平日のほうが学校単位で訪れるので混んでいる事があるのだそう。自分の国の歴史を実際に行って学ぶことの大切さを実感したので帰国後広島と長崎にも訪れようと思う。

 少し長くなったが、今アウシュビッツが教えてくれた事として、天気もあまり良くないなか列ができるほど人々が訪れて見学している。それだけ過去から学び未来に生かそうとする流れがある。未来に活かすためにも大衆迎合や傍観者ではなく行動する、そして今のコロナのような問題にどう向き合うかである。これが私が受け取ったメッセージです。

 これを受けて私は過去から学びきちんと自分の意思を持って行動したい。具体的には選挙に行くなど自分のできることから始めたい。

 今回中谷さんにガイドしていただけてよかったと個人的に思っている。行くならガイド付きで見学することを強くお勧めする。中谷さんのガイドは3時間半〜4時間ほど。英語だと6時間やドイツ語で8時間のコースもあったりするらしい。英語のほうが史実に基づいてやるので史実通りに見学したい方は他の言語をお勧めするが、中谷さんは日本のことに触れて分かりやすく説明してくださったり自分は母語(日本語)で見学したほうがより学びやすいと強く感じた。

 お時間をいただきありがとうございました。

明治大学法学部2年生です。少しでも自分のことや思いをシェアできたらと思い始めました。現在ドイツ留学中で行動力には自信があります。ケンブリッジ大学への短期留学などの経験をいかし留学や旅、日本についてコメントしていきます。将来についても語りたい。