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元旦、地元での地震





2024年は、本当に大変な幕開けとなってしまいましたね…。


私個人的には、大好きな音楽を演奏しながら2024年の幕が明けたので、とても素晴らしい年明けになった…と思っていましたが、まさかその日の夕方に自分の地元が大変な事になるなんて、思ってもみませんでした。


あの日、東京も結構揺れましたね。。。
震源を調べたら石川県、そして富山県も只事ではない震度でした。そしてすぐに発令された津波警報。



私の実家は海の目の前です。津波なんて来たらうちはすぐ飲み込まれちゃうね。昔から冗談半分に言っていた事が現実になろうとしていました。
混線してるかもと思いつつ、すぐに母親に電話しました。すると、避難しようと急いで外に出る所でした。

いつもは『何だかんだで大丈夫やろ〜』と、大変そうな出来事をあまり大変そうに感じでこなかった親ですが、さすがに即座に避難の行動を取ってくれて安心しました。



うちの実家辺りの震度は5弱でした。

思えば、東日本大震災の時、私が味わった震度も5弱。激しく揺れた後ずっと大地がぐわんぐわん揺れていて…その後何日経っても揺れている感覚が抜けなかった、そんな気持ち悪さがありました。

私の母親は、特に地震が大嫌い。
地震の多い東京から、30数年前に富山に移住しましたが、「富山は地震が特に少ないから本当に良かった」とよく言っていました。
そんな母の元に、富山なのに震度5弱の地震が襲い…本当に怖かったと思います。
自然災害が故に防ぎようがないのですが、とても心が痛くなりました。


避難は5階以上の建物へ、そんな風に言われますが、田舎の我が滑川市はそんな建物はいくつもありません。

うちの家族は、中学校へ避難しようか?いや、もっと山の方がいいんじゃないか?と迷った結果、隣町の24時間営業のスーパーまで行ったそうです。そこは、海からはかなりの距離、そして、食料もトイレもあり、その辺は困らなかったそうですが、夜中になっても警報は解除にならなかったので、両親と弟家族はそのスーパーの駐車場で車中泊をしたそうです。


翌朝、津波警報も注意報に下がり、みんな元気に家に戻ったそうです。幸い、物が落ちる等の被害もなく、ひとまず安心しました。



ですが、余震はまだまだ続きます。
そして、義理の妹の実家は、震度が一番大きかった志賀町にあります。幸いご家族は無事でしたが、停電・断水していると聞いたので、とても心配です。その後数日経って、どうなっているかわからないのですが、せめてライフラインは復旧していますように…と願うばかりです。


お亡くなりになった方も多く、安否不明の方もまだ沢山…避難所生活の方も沢山いらっしゃるので、地元の事を思うと本当に心が痛みます。



募金のサイトが挙がっていたので、僅かではありますが、募金させて頂きました。そのくらいしか出来る事がなく、無念ではありますが、一刻も早く安否不明の方が見つかり、避難所生活の方々がまた落ち着いて過ごせる日が来る事を願って病みません。



亡くなられた方には謹んでご冥福をお祈り致します。そして、被災された方々に一日でも早く平穏な生活が戻りますように。。。

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