智美

得意な事は贅沢。放っておいてもやってしまうのは内省。そして残念なのは私の辞書に「効率」…

智美

得意な事は贅沢。放っておいてもやってしまうのは内省。そして残念なのは私の辞書に「効率」「コスパ」「時短」「生産性」「戦略」などという言葉がないこと。

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うそがないということ

高校の夏休み、自分が何をやっていたのか記憶がない。部活動もバイトもしていなかった。甘い青春の思い出も無い。通学に1時間かかっていたこともあり、近所に友人はいなかったので、わざわざ友人と会って遊ぶということもあまり無かったと思う。今となっては夢のような40日間連続の休みを、いったい何に費やしていたのか。わずかに残っているのは飼っていたリスの記憶だ。床にうつぶせに寝そべり、ケージと同じ目線で漫然とリスを眺めていた。それは決して動物記が書けるような緻密な観察ではない。狭いゲージの中

    • トイレ掃除と美の神様

      ふと思い立ちここ数ヶ月、毎日トイレを丁寧に掃除する、ということを続けている。トイレ掃除は運気を上げるというこという話しもあるが、私は自分の運気が上がることを無意識では望んでいない気がするので、その辺りは検証の対象外となる。 最初は「毎日掃除をする」ということで頭がいっぱいで、私の貴重な時間が削られる、面倒でやっかいな事をとっとと終らせる、ということにしか意識が向いていなかった。なんとなくうすぼんやりと撫でるように便器や床を拭き、力まかせにブラシでごしごしと便器の内側を擦る。

      • 外見コンプレックス〜そこに他者は存在するのか?

        私は本当に自分のことしか考えてこなかった。 「私は醜く愚かだ」という思いに完全に同化し、全力で醜く愚かなイメージの私を生き、自己を卑下し、他者から自分を切り離してきた。「自分はダメだ」「自分が悪い」「自分なんて」という強い自己否定の世界に没入し、自分の苦しみだけにフォーカスを当てている状態だった。自分への客観性など全く無かった。 そんな中、強烈に他者という存在に気付かされたのが、イメージコンサルだった。 イメージコンサルとは一般的に、クライアントの目的に合わせて、職業や

        • おともだち

          おともだち 最寄りの駅のホームに降り立たった。小学校低学年ぐらいでお下げ髪の、賢くて育ちの良さそうな、目鼻立ちの整った女の子が、ドアが閉まり走り出そうとする電車に向かい、力一杯に手を振っていた。 「ゆいちゃーん!りんちゃーん!バイバーーーイ」 と、まるで今生の別れのように大きな声で呼びかけていた。転校するのかな、と思ったその直後、 「また、明日ねーーー!」 という声が耳に飛び込んできた。 明日も会うのか!と思わず吹き出すのと同時に目頭が熱くなった。この女の子は、本

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        うそがないということ

          花束

          先日、送った花が届いたと友人から連絡があった。 文面と旦那さんが撮った写真からとても喜んでいる様子が伝わってきた。 この喜びの裏にはとても可愛らしいエピソードがあったらしい。去年の誕生日、旦那さまに何が欲しい?と訊かれたので、1輪でも良いからお花が欲しいとリクエストしたら、萎れた花をプレゼントされたそうだ。思わず「え〜っ」とがっかりした気持ちを全面に表現してしまい、旦那さまを悲しませてしまったとのこと。だから余計にうれしいのかも、と。 書いていても思わず「ふふっ」と笑って

          痛み

          一昨日から膝が痛い。日中、歩いている時にズキっという痛みを感じていたが、夜になって本格的に痛くなってきた。 以前、ロルフィングを受けた際、日常的な身体の痛みを訴えると「痛くないように使うんです」と言われてはっとしたことがあった。もちろん痛みの原因に対処することも大事だけれども、痛みはすぐに消えることはなく、現にそこにあるわけだから、あるものとして淡々とおつきあいをするしかない。 今回の膝の痛みも同じだ。だからソロソロと痛く無い歩き方を探ろうとするが、上手くいかない。どうい

          休日

          第一回目のブログを書き上げ、珍しく達成感のようなものを感じ時計に目をやるとまだ14時だった。次の週末、誕生日を迎える友人に花を贈ろうと思っていたので、実際に花屋に行こうか電話で済まそうか迷ったが、結局出向くことにした。 行きつけの花屋は何件かあるが、気になる花屋があったので数駅隣りまで足をのばした。この街は30年近く前に住んでいたことがあり、今もまた住んでみたいと思っている街だった。大きくメディアで取り上げられることはないが、個性豊かなお店や小洒落た店、商店街などが良いあん

          私について

          物心ついた時には既に生き辛かった。最初の記憶は保育園。どうしても昼寝ができずに、上半身を起こした時に目にした光景。日中にカーテンが閉められた不自然な暗さ。部屋一面に敷き詰められた布団。そして寝入っている子どもたち。当時の私は何を思ったのだろう。感情は伴わず、ただその光景が強烈に焼き付いている。祖母が「そんなに嫌ならやめれば良い」と言いい、結局、すぐに保育園はやめてしまった。 小学校にあがった頃には積極的に「嫌だ」という気持ちすら無かった。どこか居心地の悪さを感じつつ、集団の

          私について

          ”Si je puis” 〜もし私にできるなら

          ふと立ち寄ったクラッシックの名曲喫茶で、置いてあったウィリアム・モリスの生涯を追った図版書を手に取った。 読み進めて行く中で出会った言葉。 ”Si je puis” 〜もし私にできるなら モリスがデザインした植物モチーフのステンドグラスに刻まれている。モリスの座右の銘とのことだが、全く私には響かない。このあまりの響かなさが気になり、ノートにメモした。 座右の銘となれば反応の大小はあってもなんらかの形で響くのが普通で、「なるほどね。確かにそうだよね。」とちょっと賢くなっ

          ”Si je puis” 〜もし私にできるなら