まずは自分とおしゃべりすることが、本当の平和につながっていくのではないかな

どんなことでもいいのだけれど、

ニュースを見て とか
誰かの会話を聞いて とか
本を読んで とか
映画を見て とか

もちろん、誰かとお話して とか
仕事をしていて とか

どんなことでもいいのだけれど、

自分の中から何か「反応」が出てきたとき、
その「反応」は湧いて出てきたものだから、
溢れ出てきたものだから、
決して抑え込んだり、隠したりすることはできないものだから、
スッとすくってあげたいと思う。

そして、しっかり眺めたり、五感で感じたりしながら、
おしゃべりしたいと思う。
声に出さなくても、心の中だけでもいいから、
おしゃべりしたいと思う。

「反応」が出てきたもとにある、
「何か」を批判したり、「何か」に怒ったりするのではなく、
どうして自分の「反応」がそれに対して出てきたのか?
を、自分単位で、自分の範囲内で捉えたいと思う。

だって、その「何か」は、とても大きなものだったりするから。
自分では手に負えないような、
大きくて重くて深いものだったりするから。

でも、忘れてはいけないのは、
自分もその、大きくて重くて深いものの
一部だということ。

手に負えないけれど、
自分の範囲でなら、責任をもって
「反応」とおしゃべりすることができる。

スッとすくって、おしゃべりした結果、
そっと置いておこう、となってもいいと思う。

しばらく触らないでおこう、
少し時間が経ってから、もう一度、
真正面から、横から、後ろから、見てみよう、
きれいに包んで飾っておこう、
思う存分に味わってみよう、
細かく砕いて消してしまおう、
となってもいいと思う。

なぜならそれは、一度おしゃべりした結果だから。
湧いて出てきたものは、なかったことにはならない。
見て見ぬフリは、かわいそうな気がする。

だからできるだけ、取りこぼしのないように、
湧いてきたものたちすくっていきたいと思う。

「本当の平和」って、
自分の本気の目指す世界だから書いたけれど、
自分の中のその意味も、
いつもいつも更新していきたいと思う。

抽象度の高い言葉だからこそ、
いつも自分の、一番しっくりくる言葉で、
イメージで、表現できるように。