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あの海を越えた先に、出会いたい未来があると思えるから #わたしと海

この文章は、ヤマハ発動機とnoteで開催するコラボ特集の寄稿作品として主催者の依頼により書いたものです

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長い旅をしている間、ずっと海のそばに居たいと思っていた。

たとえば、モロッコの砂漠に向かう道すがら、どうしても海が見たくなって、衝動的にスペインの海岸線に進路を変えたことがあった。

クロアチア国内を北上する時は、地元の人にどんなに「陸路の方が早いわよ」と言われても、船でドゥブロブニクからプリトヴィツェ湖群国立公園まで辿り着くために、海路を選んだこともある。

クロアチアのプリトヴィツェ湖群国立公園

島が丸ごと世界遺産のマルタ共和国に1ヶ月滞在した時は、とにかく時間があれば四方八方に広がる海に出かけて、様々な「陸と海の境目」に立ちたがった。

マルタ島の名もなき崖にて

海には、「海にしか吹かない風」がある。水平線の向こう側には、「ここではない暮らし」がある。空と海の境目を越えたら、必ず次に出会いたい「新しい大地」たちが待っていた。

私は、海の向こうに広がる世界に、「私自身の人生の未来の可能性」を重ねて見ていたのだと、今ならわかる。

「ここではないどこかへ」。海を越えたら、私自身も変われる気がしていたし、逆に越えないと、大きく変われないともどこかで思っていた。旅に焦がれていた頃は、「越境」の影響と象徴が、海という存在そのものに詰まっていた。

海と空の境目を見つめ続けて

そうやって世界中の海を求めて数年間放浪し、ついぞ満足の域に達した30代半ばに差し掛かった私が、次に取り掛かったのは「沖縄の海が見える部屋で暮らす時間を持つこと」だった。

半島の付け根の小高い丘の、風が通り抜ける小さな部屋。向こう側から風が吹く。今度は私の背中を押す風も吹く。どこまでも見渡せる。どこまでも遠くまで行けそうな。やっぱりもう一度、どこかへ行ってしまってもいいような気持ちすら湧いてくる日々は、文字通り「息をするだけで幸せな時間」のかたまりだった。

そこでは、毎日のように浜辺に通った。波打ち際に着いたら、深く息を吸って、同じくらい深く吐く。もうこれ以上、吐けない、というくらいまで。

そうしたら、私の中に溜まっていた、じつは手放したかったけど勇気が出なかっただけで抱え続けていた「淀み」とか、「弱音」とか、「悩み」とか。「そういうの全部、一旦要らないな」と、声にならないくらいの音で息と一緒に出ていって、帰り道は必要なものだけもう一度砂浜に並べて拾って、さっきよりも軽くなった私で、また歩き始めることが何度もできた。

どうして海のそばじゃないと、ここまで肩の力を抜けないのかはわからなかった。とにかく私にとって、海で息をすることからしか得られない特別な栄養、みたいなものが存在することは確からしく、私はいつでも海を眺め、そして海風に吹かれていたかった。

それは、引いては「突き抜けるような解放感をつねに得ていたい」という気持ちに他ならないとも分かっていた。

新潟県の田んぼの海に囲まれて暮らす日々

そして、時系列は2023年7月の「現在」にたどり着く。今私は、沖縄のある種の理想とも思えた家を手放し、新潟県の実家で数ヶ月間を過ごしている。

帰ってきた理由は、この土地で新しい命を産むためだった。いわゆる里帰り出産、というやつだ。

神が棲むと言われる弥彦神社の麓で photo by 安永明日香

この原稿を書きながら目の前に広がるのは、一面の青々とした田んぼと、一級河川の信濃川の分流の土手、そして長野県との県境に広がる山々の稜線だった。あとは飛び交う蝶々や、渡鳥のサギ、収穫時を迎えつつある畑のトマトを鳥に食われまいとする父の努力の跡など、など。

夏風になびく稲を見ながら、臨月の大きな腹を撫でる。ぽこり、うにぃ〜ん、と子から返事が来る。早ければあと数日、遅くてもあと数週間ほどできっと会えるのだろう。そうであってほしいと願う。

稲が風に吹かれる様は、まるで海みたいだな、と思う。波のようだ、と表現する方が近いだろうか。遠くからこちらへ寄せて、また向こう側へなびいて戻る。これも一つの圧倒的な美しさだ、と世界や日本を巡りに巡って、やっと大人になれた私はもう知っている。新潟の夏の棚田の景色を求めて、遠方からわざわざ足を運んでくださる方が大勢いることも、事実として理解する。

けれど、でも。この緑の海に囲まれた場所での出産を望んだのは、確かに私のはずなのに、時折無性に狂おしいまでの衝動がやってくる。

海が見たい」。

できることなら、目の前のすべてが水平線に包まれる、海向こうからやってくる異国の風を運んでくる南国の海岸線を。

東京で暮らす夫の家でつわりの時期を過ごしていた時、安定期の気配を感じた瞬間に、せっせと沖縄に通う飛行機の予約をしたことを思い出す。

安定期に入った直後、向かった沖縄の古宇利島の浜辺で海に足を浸した

今はもう、飛行機には乗れない。臨月の腹を抱えて波打ち際まで行くことすら容易ではない。であればせめて遠くから眺めるだけでも。緑と川に囲まれた道をしばらく行けば、夕日輝く新潟の海に出る。日本海。南国の海とはいささか様子が異なるけれど、それでも海を見つけた瞬間、ふわっと肩の力が抜けていくのが感じられた。

母になる直前にあっても尚、私は海を求めていた。

この海は、世界につながっている。海を見ると、今日が明るい未来につながっていることを、今一度確かめられる気持ちになった。

近い未来、子と一緒に美しいコーラルブルーの海が見たい

海は、どうしてこんなにも私を、私たちを惹きつけてやまないのだろう。地球の表面積の約70%をも占めるそれ。

母なる海、とはよく言ったもので、そういえば海はその字に「母」を含む。腹の中の羊水が、海水とほぼ同じ塩分濃度なのは果たして偶然なのか?

近い将来、子どもと一緒に沖縄の海を一緒に見に行けたら。その次は水平線を越えて、遠い異国の海までへも出かけよう。

そうだ、母になって落ち着いたら、私、沖縄で水上バイクの免許を取りたいの。身ひとつ(子どもと一緒なら身ふたつか……?)で水平線を走りながら、未来へ向かう風に吹かれる日へ。

子が産まれる前の家族写真。ひとり増えたら、同じ場所でまた撮りたい

まだこれから、子と夫と猫たちと、どこでどうやって暮らすのかは未知数だ。国内の二拠点かもしれないし、海外が含まれるかもしれないし、色々な可能性を探ってゆきたいと企んでいる。けれどきっと、どの選択肢だとしても、海のそばを私は求めるだろう。

海は、どんなに人生のフェーズが変わろうと、私を軽やかにしてくれる場所であり続ける。だから私は、やっぱり今日も海が見たい。

「#わたしと海」のそのほかの作品や、ヤマハ発動機×noteのコラボ特集の詳細はこちら(https://note.com/topic/feature)でご覧いただけます


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