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「いつもと違う」少しの隙間が、新しい風を連れてきて

何を書こうとか、何を伝えたいとか、何かを残しておきたいとか、そういう風な気持ちだけで、文章を書き始めることばかりじゃない。

何を伝えたいとか、何かを強く訴えたいとか、こういう風に世界を見たい、という想いがあって、写真を撮る人ばかりでは、ないことにも似ている。

世界への対峙の仕方、毎日を「どう捉えるか」の発露が、ときに文章や写真であっていい。そんな話を「#旅と写真と文章と」のコミュニティでしていた。

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一方、「#EnglishChallenge」のコミュニティでは、語学という軸を通じて、では私たちの世界の見方はどう変わっていったか、という変遷の話をした。

最初は「異国の言葉」をそれぞれが理解したかっただけなのに、次第に「日本を英語で発信しているひとが少ないこと」に気がついて、その需要を満たしてゆきたくなる。

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机の前に座って、じっとしていることは、ときに温もりが絶えなくて、ゆるやかな日々で、心地がよい。

けれど、少しだけ「前に歩みを進めること」や「いつもと違う」に触れることで、広がる世界は、たしかにある。

怖い、ことは間違いなく怖い。その気持ちを踏みつけてまで、見て見ぬふりをしてまで、新しいことを始める必要はまったくないけど。

たとえば今日みたいな木漏れ日がやさしい日に、すこしだけ時間が余っていたからと、自分に言い訳をしながらでも、「これまでとはちょっぴり異なる」の端っこを、掴んでみること。

そうすることで明日からまた先の、未来へつながる扉が開く、かもしれない。

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今日は朝のはじまりが、いつもよりずっと早くて、朝焼けの中鳴く鳥たちが、羽ばたく空の向こうを見てた。あとは、自宅から徒歩数分の、パティスリーで新しい「甘い」を知った。

ニューヨーカーが話すラジオを付けて、木々に水をやり、心を込めてつくったものを、世の中に贈り出す。

別に何も変わらない。何も変わらないんだけれど、まるで日々に、清々しい風をちいさな隙間から、送り込むような。


いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。