処理できない感情

新しい事に挑戦し続ける事をしていると、壁にぶち当たる、苛立つ、悩む、そんな事がよく起こる。
私の人生は常に新しい事に挑戦しまくっている人生で、それが楽しくてやめられない。
同時にあまりにその欲が大きすぎてよく空回りをするw で、その感情を処理できない。。。w
まぁそれの繰り返しなわけ。

まぁ、そんな時は当たり前だけど、パートナーとか気心知れた友達に相談するしかなくて。
でも多分私の場合、やりたいことが多岐に渡るから、適切な項目に対してアドバイスをくれる様々な分野の友達が必要なんだと思った!

昨日は役者の友人に今ハマってる歌のパフォーマンスについて相談に乗ってもらったり、音楽の事は音楽の友達、複雑な感情は旧来の友達、クリエイティブに関しては大学院時代の友達、みたいな感じで。
でもね〜なんか複雑な気持ちを感じた時こそ、孤独だから、誰か共感できる引き出しを持ってる人に相談できる環境を作る、聞いてみるって大事だな〜と思った。
やっぱり他人は鏡なのだ!

まぁ、私は合理的に仕事をするのが大好きで、デザインの仕事ってすごい合ってると思ってて。
何かこういう問題と、こういうバジェットで、こういう事に新しい意欲を持って、最大限にクリエイティブな視点で答える、っていうのが多分すごい得意で性分に合ってるし、できる。
どうも瞬間的にそのシーンを想定して実現まで持っていくというのができるらしく。

でもそればかりだと、なんかどうも、何かこう、不完全処理できない、自分の中に湧いているふつふつとした感情が抑えきれていないようで。
多分私は人一倍感受性が強かったり、挑戦する野望が大きすぎてそれがストレスになっている事も多くて。
その吐口が、コロナ禍だと資格を色々取ってみようとか、もうず〜っと行ってるカラオケでの発散だったりしてたんだな〜と思った。

まぁ歌うのってとても面白いよね〜。
なんでだろうね?身体をつかって喉を振動させるのが面白い?
全身運動だから面白い?
曲に対して共感できる感情に合わせてその世界観に自分の声で浸れるのが楽しい?
もうよく分からないけどやめられなくて、すぐストレス溜まるとカラオケに行って発散ばかりしてて。

でもそうするとそれをもうちょっとやってみようという気持ちになって、ボイストレーニングを去年の12月から始めて。
感触が良くて、じゃあその先に何があるのかと考え、音楽をやっている友人に音楽のジャムセッションがあることを聞いて行き始めたらハマって、でもそれじゃ足りなくなって、無理矢理友人を募ってバンドを結成して、バンドのライブをすることにいきなり決めたwという流れ。

ま〜何事も、自分から湧き出てくる処理できない感情を、やっぱ色々楽しめるような方向に変えてくのがいいんだな〜って。(でも結局そこでまた、無意識に体験のデザインしてるんだけどww)

で、やっぱやってくと、また新しい壁ぶち当たって、本番をどう迎えたらいいかわからない、歌詞覚えるのどうしたらいい?とか今まで感じた事のない悩みがまた出てきてww
他人にとってはマジでどうでもいい悩みなんだけど、自分は本気だから、どうしてもその中2的な悩みをどうしても腑に落ちるまで解決させたくて、また違うレイヤーの情報を持っている友人に相談を持ちかけて、その問題に対して本質的な答えを探しに行くわけ。
も〜そのプロセスが新しい自分に会いに行くみたいな感じで楽しすぎて。。。
パフォーミングアートやってる友達のステージに立つ時の悩みとか、今まで共有してなかった感情とか、繊細な感覚とかについて語れる、自分の中の感情に気づいていくっていうのがすんごく面白い。。。!

でもそんなのも、正直、失敗を恐れずに新しい事をやってみる、とかしないと、その感情とか、悩みとか、その悩みを解決する行為とかにも出会えていなくて。

だから私が言いたいのは、ふつふつとする感情と、それを対処する自分なりのアクティビティを見つけるって大事だな〜と思って。
で、やっぱりそれをやってみて、その感情にもとことん正々堂々と向き合ってみるのもいいし、そこでジレンマが湧き起こったら、適切に相談できる人を見つけて、その答えを見つけにいくのってすごいいいなーって思って。

やっぱ私は創作に関しては、プロのデザイナー視点になってしまうというか。
デザインでも歌でもそうで、基本表現って、下手でもいいから、とにかく作って、フィードバックをもらって、直すっていう事を永遠に繰り返して良くしていくっていう作業なんだよね〜。
それ知ってるし、やるからには最大限に楽しませたいから、もう、ボイストレーニングなり、音楽のジャムセッションに行くなり、カラオケで歌った動画を友達に見せて意見もらうなりして、とことん客観的に自分のパフォーマンスに向き合って、良くする方法を超考えている、というw
恥なんて考えていたら、見せられるものになっていかない、という表現の原則がやっぱり身体の中に走っていて。
でもやっぱそうすると、自分の癖とか、表現の仕方とか痛いほど見えてきて。アスリートじゃないけど、パフォーマンスのプレイバックってめっちゃ重要なんだなーと思った。
でもそれをする事で、歌う時に歌いながらも客観的に観てコントロールするという視点が備わってきて、なんかそれが面白い。
ってことは、結局歌を歌う時もなんかめっちゃ客観性から離れてないじゃんwってオチだけど
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でも新しい事やってみると、自分の新しい事引き出せる感じがするし、より多面的に人生を歩める感じでとてもたのしい。

別にいつも思っている自分らしい自分に捉われなくてもいいし、別にそれで恥をかいてもいいじゃんと思って。
でも絶対的に言えるのは、そういうファンタジーとか、欲望って、前に出してみて行動してみないと一生、それができたという感情とか、現実化するプロセスは味わえないから、今すぐに、その素直な感情を一回ぶつけてみるっやっぱいいな〜と思う。

まぁ、だから、仕事しながら博士やったり、常に仕事でも新しいイノベーション的なものを作る仕事をしたり、とにかく新しい!前に進んでいくことをやってるけど、それでも満たされない、うまくいかない感情とかも、それをどうやって解決させるかを考えて、吐き出していて。
で、それを無茶苦茶でもいいから、それと向き合ってみて、精魂尽きるまでやってみたり、他の人に相談してみたり。

あぁ、結局私って、そうやって本気で向き合って、とことん挑戦していくのが好きなんだろうね〜。そういうドキドキする気持ちとか、生命感を感じる瞬間が愛おしすぎて、本当にそれでしかないんじゃないかと思う。

だからまぁ、結論としては、仕事でも、社会の義務を果たす中でも挑戦してるんだけど、余暇でのやりたい事の中でも挑戦してるっていうねw で、打ちひしがれた時は、特殊な感情を理解してもらえる友人と話せれば、その打ちひしがれた孤独も、共感に変わって、共通項として感動できて、その瞬間に感動できるっていうね。

そういうの見つかった時ってめっちゃ楽しいし、なんかすっごい生きてる感じがする。
この感情を他人にどう伝えればいいのか良くわからないけど、なんか私自身は最近感じてた変なモヤモヤみたいなのから解放された感じがめっちゃする。

ま〜だから、処理できない感情にとことん向き合ってみると、新しい自分とか、そこ乗り越えた時に新しい事が見える!ってとこかな?

あ〜なんかスッキリした感じがあって、また逆にやんないといけないこともまた新鮮に取り組めそう!
毎日新しく生まれ変わる、新鮮な気持ちで取り組む意識って私の中ですごい重要で。
で、空回りして、それができなくなったら、一回離れてみる。休む、違う方法試してみるしかないよね。
あとはその痛みを筋肉に変えたり、身体を解放させるしかないじゃんと思う。

だから処理できない感情とか言いながらも、そのモヤモヤが嫌いだから、それをなんとかして解決させようといつもさせていて、その新しい謎解きが終わるとすごいスッキリして気持ちいいし、生きた心地がめっちゃするというお話でした😂

なんだ、結局いつ考えてる、人生楽しむしかねぇ〜って話に行き着いたじゃんwww

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