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社会詠の事前準備—児童虐待問題の場合

※ 結社に依頼されて書いて送って没になった原稿を、ここで公開します。この文章は所属結社には何の関係もありません。

※「ここが良くないんじゃね?だからリジェクトされたんじゃね?」というご意見ありましたらぜひお願いします。耳の痛いご意見も謹んで傾聴いたします。

※ 追記訂正:没になってませんでした。なぜか依頼の号の翌月号に掲載されました。でもコメントしてもらえたら嬉しいです。(2021年4月26日)

 ニュースに触発されて歌を詠みたくなることがある。しかし、その事件の社会背景を理解して詠まないと、多くの人々を傷つける恐れがある。児童虐待の社会問題を例に、事前準備としての情報収集の大切さを説明する。


児童虐待の定義


 日本では、「児童虐待の防止等に関する法律(以下、児童虐待防止法)」第二条により、十八歳未満の者に対する「身体的虐待」「性的虐待」「ネグレクト」「心理的虐待」が児童虐待に当たる行為として定義されている。たとえ「教育やしつけを目的」としていても「愛情ゆえに」と供述しても、虐待は虐待になる。
 仮に「愛があるから殴る」という意味の歌を詠めば非難は免れないだろう。問題の定義や概要を事前に調べていれば、詠んではいけない歌を詠まずに済む。
逆に「愛がないから殴るのだろう」という歌にも注意が必要だ。育児疲れや産後うつも児童虐待の原因になることが分かってきている。


元・被害児童たちの証言


 二〇一八年十一月、東京。児童養護施設の講演会で約八十人の聴衆を前に、三人の四〇代の大人たちが子ども時代に自身が受けた虐待体験を話していた。女性の一人は実母から壮絶な暴力を、もう一人の女性は養父から主に性的虐待を受けて育ち、男性は当時三歳だった弟が父に殺された後、暴力やネグレクトを受けて児童養護施設に逃げ込んだ(注一)。この三人の証言は、日本が抱える児童虐待問題のある側面を説明してくれる。

社会問題化した児童虐待

 私が子どもだった昭和時代は、大人が子どもを押し入れなどに閉じ込めたり、あるいは家から締め出したり、食事を与えなかったりすることが日常茶飯事だった。現代ならこれらは間違いなく「虐待」である。
 しかし昭和が終わると、日本の大人たちは子どもに対する態度の変更を政府や国際社会から要請されるようになる。児童の権利に関する条約(通称・子どもの権利条約)という国際条約があり、日本も署名をして一九九四(平六)年から効力が発生している。
 現行の児童虐待防止法が二〇〇〇(平十二)年に制定される。それまで「しつけ」と称して行われた体罰や放置が、児童虐待という犯罪行為としてより明確に定義された。
 このプロセスを理解したあなたは「昭和は鉄拳制裁があってよかった」という歌などもう作らないだろう。

増える相談件数、謎のままの実数

 児童虐待防止法第六条では、児童虐待と思われる出来事を見かけた者に対して、児童相談所などに相談することを義務付けている(通告義務)。この「義務」を法務省や厚生労働省は平成以降にアピールするようになる(注二)
 関心のある人は、児童虐待に関する統計グラフを探してみよう。特に興味深いのは「児童虐待相談対応件数」の推移だ。調査を始めた一九九〇(平二)年には全国で1,101件だったのが、最新の二〇一九年度の速報値では19万3780件と過去最多で、二十九年連続で増加していた(注三)
 この数字を見て「今は昔より児童虐待が多い」と思い込んで歌を詠むのは待って欲しい。この数字はあくまで表面化した虐待の「相談」の件数であって、その影にあるだろう実際に起きた児童虐待の実数は誰にも正確には把握できないのである。通告義務の周知、マスコミによる虐待事件の報道、子どもを守るべきだという人々の意識の変化、教師や医師や警察官といった現場に居合わせた専門職の人々による通告の実績などがこの「相談件数」に反映されているのである。


隣にいるかもしれない元・被害児童

 先程の元・被害児童たちは昭和四〇〜五〇年代生まれで「相談件数」のカウントが始まった平成二年前後に虐待を受け続けていたはずだ。しかし、彼らの虐待被害は結局は発覚しなかった。母の暴力を受けた女性は病院を受診したが、医師は警察に通報しなかった。男性の弟の死は警察によって「事故」として処理され、父が殺人罪に問われることはなかった。「相談件数」の中にすら、彼らの被害は含まれなかった。成人してようやく「告発」できたのだ。
 四十、五十代以上の成人たちの中にも「被害児童」だった人が多くいる可能性がある。現代の人権感覚を知って「過去の自分は児童虐待に遭っていた」と気付くケースもあるだろう。昭和期の隠れた「被害児童」は、私たちの隣にいるかもしれず、その人は結社の歌友であり、結社誌の読者かもしれない。そのことを念頭に歌を詠むことを心掛けて欲しい。
 COVID-19の影響で児童虐待はおそらく深刻化する。事件や報道も増えるだろう。諸姉諸兄には周到な社会詠をお願いしたい。

(注一)AFP通信「写真集の中の「虐待された私」、今も必死に生きている つながる当事者たち」二〇一八年十一月二十九日配信。https://www.afpbb.com/articles/-/3197850
(注二)例えば法務省はYouTubeで啓発動画を公開している。https://youtu.be/rYI3D1RiC9A
(注三)朝日新聞「児童虐待、昨年度は19万件超 過去最多で増加数も最大」二〇二〇年十一月十八日配信。https://digital.asahi.com/articles/ASNCK7RB7NCKUTFL00C.html(有料会員サイト)

※ ヘッダ画像は「みんなのフォトギャラリー」より、まるいみさきさんのイラスト。すべての子どもが夜は安らかに眠れるように願いを込めて。

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