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言葉から自由になりたい欲求。原作者になる夢

先日、初めて漫画の原作者になることができました。バンザイ!

ここでお見せできないのが残念ですが、発行された誌面を目にしたとき感動してしまって、思わず隣にいた中国人(夫)に「おい!これを見てくれ!」とこれ見よがしにぴらぴらしてしまいました。

日本=漫画カルチャーのインプットが8割の夫からは「すごいねえ・・・」との感嘆が漏れたことをご報告させていただきます。

あ、漫画といってもですね。大手企業さんが子ども向けにつくっているタブロイド誌でのお話です。

グローバル企業でもあるその会社さんが、化学や理科を切り口に、そこでの仕事や働いている人たちを紹介するなどしてCSRや企業P Rに繋げようという、シンプルな目的のために発行されている刊行物で、

最初は子ども向けにテキストを書く気満々だった私が、なぜか漫画のストーリーを考えることになったという、それだけのことでございます。

なあんだ、と思われるかもしれませんが、私にとっては、原作者になるという夢がまた小さく花開いた瞬間でした。

漫画なんて描いたこともなければ、もちろん漫画の編集者などもしたことがございません。

アイディアもストーリーも、よくあるやつに違いないかもしんないけど、実際に上がったものを見たとき、嬉しさだけがじんわり込み上げてきました。ここに至るまでに、提出した原稿がことごとくボツになるというプロセスを経てのことでした。

コマ割りとかよくわからないので、ヘタウマどころかヘタヘタすぎる絵コンテを作ってみたり。これでいいのか、何だかよくわからんが、それでも絵コンテを書いているときの満足感、半端なかったです。

チラ見せしてみる。映像製作者さんなどは、
こういうことを日々やっておられるのでしょうか。
一度お仕事をのぞいてみたいものです。

そうそう、私は漫画編集者や漫画家になろうと思ったことはありませんが、抵抗なく絵コンテ描いてみよう、なんて思えたのは、絵本が友達だった時代があるからですねきっと。

子どもの頃、文字はあまりたくさん読めませんでしたが、その分、文字では表現できないものと一緒に、物語を届けてくれる絵本が、とても好きでした。

言葉が、別の表現に生まれ変わるって、素敵だなあと常々思っています。
表現の世界は、本当に多様で、自由で、果てしなく広がっていて、そこでどんなふうに泳ごうとも、その人の世界であるというこの世界は、本当に豊か。

それは、自由になりたい、という私自身の欲求とも繋がっているからだろうと思います。

文字が、絵やデザイン、映像など、言葉を介さないものに表現されていくプロセスは私が魅せられた方法ですが、人によってはこれが料理になったり、研究になったり、ものづくりになったりするわけで、どれもこれも、表現の一つ、アートなんですよね。

小説家になりたいとか、脚本家になりたいとかもほとんど思わないのですが、どうして言葉がそんな表現になるの!?という、私とは違う才能に出会いたいだけなのかもしれません。もう少し、原作者になりたい、という願望に向き合ってみて、その先に何があるのか見てみたいです。

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