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人生の交差点 涸沢カール


山小屋の売店で缶ビールを買ってテラスのテーブルについた。タブを開けると心地よい音が鳴った。炭酸の刺激が喉を通り過ぎる。私は大きく息を吐いた。

山を見つめる人

5月の涸沢。雲一つない青空と、真っ白な雪面。サングラスなしでは目も開けていられないまぶしさだ。

見上げると、登ってきたばかりの山が見える。疲労と高揚感が身体に残っている。今日のうちにテントを片付けて上高地まで下山し帰路につく予定だったが、その体力は残っていない。もう一泊することに決めた。

ふと隣の男性が気になった。年配らしき男性が先ほどからじっと北穂高岳の頂きに視線を向けている。

サングラス越しでも穏やかで落ち着いた雰囲気が感じられた。テーブルの缶ビールには先ほどから手をつけていない。なんとなく気になって声をかけた。「登ってこられたんですか?」

男性はゆっくり振り向いて微笑んだ。「いえいえ、私は眺めるだけでして」

長野県の北アルプス。標高3,000mの穂高連峰に囲まれた涸沢カールは、登山口の上高地から山道を6時間ほど歩いたところにある。標高は2,300mほど。ゴールデンウィークの時期でも積雪は10mほど残っている。多くの登山者がやってくるが、山頂は目指さずここで美しい雪山を眺めるという人も多い。山の楽しみ方は人それぞれだ。山小屋は毎年この時期に営業を開始する。もちろん小屋に泊まることもできるが、私のようなもの好きはテントを張る。

無事に下山できた安心感からか私は会話を続けたくなった。「おひとりですか?」

「そうです」男性は少し照れたように笑った。「毎年ゴールデンウィークにこの涸沢に泊まりにくるんです。60も過ぎたので山頂まで登る元気はありませんが。今年もここまで来ることができたと確認して、穂高を見ながらビールを飲むのが楽しみなんです」

「いいですね。ぜいたくな時間ですね」男性に笑顔がこぼれた。

「山は長いのですか?」さらに尋ねてみた。

「初めて山に登ったのは20代の最初の頃かな。職場の人に誘われたのがきっかけです。だからもう40年以上、山に登っていることになります」

「すごいですね。いつもおひとりで?」

「そうですね。でも一度だけ息子と一緒にここに来たことがあります。息子が20代の頃です」

男性はそれまで何度か学生時代の息子さんを山登りに誘ったことはあった。でもその頃は山には興味がなかったそう。

「でも社会に出てから、私の知らないうちに山を始めていたらしくてね。北アルプスにも登っていると聞いて、ゴールデンウィークの涸沢に誘ってみたらすんなりいいよと、一緒に登ってくれることになりました。もう10年も前のことですが」

「いいですね、憧れます」

「テントをかついでね、ここに来たんですよ。夜はテントの中で色々と話をしました」

お酒を飲み交わしながらのひと時だったのだろうか。男性は懐かしそうに話をつづけた。

「北穂高岳に登ることにしてたんです。夜が明けたら出発しようと言ってたのですがね、息子がなかなか起きなくて。ぐずぐずして結局出発は10:00頃になってしまいました」

北穂高岳は標高3,106m。ここからの標高差は800m。斜度は最大で40度ほど。太陽が昇ると次第に雪面が解けてゆるくなり、雪崩が起きやすくなる。

「私は歩くのが遅いので途中で断念して下山しました。息子はそのまま登っていきましてね。その後連絡がつかなくなってちょっと大変でしたが」

息子さんがどうなったのか気になったが、逆に男性が私に尋ねてきた。

「もしかして北穂に登ってこられたのですか?」

「はい。先ほど下山したばかりです」

「それはすごい。素晴らしい展望だったでしょう」男性の顔はまたほころんだ。

私は北穂登山のことを少しお話した。

北穂高岳


今朝、うっすらと穂高がピンク色に色づいたのは5:00頃だった。それから準備をして6:00過ぎにテントを出た。

昨日ここに常駐している長野県警の山岳遭難救助隊に様子を聞いた。一昨日に5cmほどの降雪があった。夜明け頃は雪面はカチカチで滑落のリスクがあり、陽が昇ると雪がゆるんで雪崩のリスクがある。午前中、適度に雪が締まっている時間帯に登って下山するのが望ましい。そういう話だった。

以前登った時の経験から、山頂までは登り2時間半、下りは1時間半程度と計算していた。6:00過ぎに出発すれば山頂での休憩を入れても11:00には戻れるだろう。最も斜度がきつい場所は山頂に近いM字インゼル付近。雪崩の危険地帯は下山時の10:00には通過できるはずだ。でも無理はしないでおこうと自分に言い聞かせた。厳冬期用の登山靴に12本アイゼン、ピッケル、ヘルメットなど必要な装備を身に着けて出発した。

次第に斜度はきつくなる。振り返ると眼下にはテント村がゴマ粒のように広がっている。雪はほどよい固さで締まっている。アイゼンの歯がしっかりと雪をつかんでくれる。一歩一歩慎重に、小さなステップを繰り返して標高を稼いだ。

もっとも斜度がきついM字インゼル付近は四つん這いで登った。振り返ると背筋がすっと冷たくなる高度感。雪が凍結している状態で滑落したら500mは止まらないだろう。一歩づつ息をついて進んだ。

山頂に到着したのは8:49。最後の急斜面を両手をついて登りきると突然視界が広がった。

360度の素晴らしい展望。風は強く、立ち止まっていると身体が凍りつきそうになる。それでも景色に見とれた。しばらく待っていると槍ヶ岳の山頂も雲間から姿を現した。

北穂高岳山頂にも山小屋がある。9:30までに下山を開始すればいいだろう。そう考えて風裏になる山小屋のテラスでしばらく絶景を堪能した。

北アルプスでは槍ヶ岳が見えるエリアは携帯電話の電波が通じることが多い。試しにLINEのビデオ通話をかけると何度かのエラーのあと妻につながった。以前一緒に歩いたことのある燕岳から常念岳の稜線が見えていた。カメラ越しにその景色を見せながら少し話をした。「気を付けて」と言われて電話を切った。

下山を開始した。雪はざくざくになっていて、万一足を滑らせてもほどなく止まりそうだった。

その代わり、小規模の雪崩が2度起こった。

「気をつけろ!なだれ―!」

背後で大声が聞こえたのは10:15頃。振り返ると高さ数10cm、長さ数100mほどの雪崩が静かに滑り落ちてくる。私の右側20mほど先をさあーっと通り過ぎていった。さらに10分後、今度は左側を同規模の雪崩が過ぎていった。

この規模の雪崩は時々起きる。前回登った時は私の横を通り過ぎた小さな雪崩が、前方にいた登山者の足元をすくった。登山者は50mほど下方に流された。上半身は出ていたままだったので怪我もなく、再び登り返してきた。こんな時は雪崩が進む方向を向いて、逆らわずに流れに乗るのだそうだ。立ち向かおうとすると仰向けにひっくり返って埋もれてしまいかねない。

それでも危険であることには変わりない。大規模な雪崩に巻き込まれて大けがをしたり、時には亡くなる人もいる。


テント村が見えてきた。その背後には4本ほどの大きな雪崩の跡が見える。まるでテント場を襲おうとする巨大な怪獣の舌のようだ。

美しい雪山の世界はその時の天候によって大きく様相を変える。十分な情報収集と自身の体力、スキル、装備を勘案して自己責任で臨む。

交差する場所

男性は私の話を聞き終わったあと、北穂高の山頂に目をやった。

「いいですねえ。登りたかったなあ」と独り言のようにつぶやいた。

その後もしばらく話をした。

仕事は2年前に定年退職した会社に再雇用されている。でもあと2年と少しで再雇用の期限が来る。その後のことはまだ考えていない。「ここにはいつまで来れるかなぁと、そっちの方が心配です」

少し沈黙があって、「ありがとうございました。楽しかったです」そう言って、男性は小屋に戻っていった。

たまたま言葉を交わしただけなので名前も聞かなかった。でもその人が微動もせず山を見続けていた姿が心にこびりついた。

翌日、私は涸沢を後にした。一歩一歩、もと来た道を進みながら、彼の言葉を思い返している。

あの時、気になったことが再び頭をもたげている。

息子さんは、下山できたのだろうか。


「連絡がつかなくなってちょっと大変でしたが」というあの時の男性の表情や言葉からは悲壮感のようなものは感じられなかった。でも、今、一人で歩いていると色々な想像が頭をよぎり始めた。

万一、息子さんは下山しなかったのだとしたら男性はどんな思いで山を眺めていたのだろうか。初めて一緒に登ったと言っていた。毎年涸沢に来るということは慰霊登山ということになるだろうか。どんな気持ちで私と話をしてくれたのだろう。

もう一度彼の言葉を反すうしてみたが、何の確証も得られなかった。

山は私たちに素晴らしい体験を与えてくれる。でも毎年悲しい事故も起こっている。だからこそあの場所には様々な思いや期待を抱えた人が集っているにちがいない。ときにはそれは時間を越えて、人生の過去と現在が交差する場所にもなりうる。今はもういない人と、心の中で対話を続けている人もいるだろう。

人生の交差点のような場所だと、思った。


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