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元野村證券の私が、日本一の金融機関を目指してIFA法人を立ち上げた理由

金融業界に身を置いて約15年、IFA法人の代表。経歴と肩書から「金融一筋」のように見られることもありますが、元々私は金融業界に強い興味関心があったわけではありません。 この投稿では、社会人としての経験を振り返りつつ、Japan Asset Managementを設立するに至った話をしてみたいと思います。

「痛烈」だった野村證券の最終面接

慶應義塾大学経済学部に入学し、部活のアイスホッケー漬けな生活を送っていた私は、就職活動では数多くの先輩が入社していた大手商社をメインに受けていました。当時の私にとって面接は自分の独壇場で、まさに「負け知らず」。面接官にウケが良いトークを事前に厳選し、面接の場ではどのようにそのトークを繰り出すかを考えるだけで、面白いように内定がもらえました。今振り返ると、恥ずかしながらかなり調子に乗っていたと思います。
そんな中、金融業界で唯一エントリーした野村證券の最終面接で、痛烈な経験をしました。
当時、面接でよく聞かれる「学生時代に一番頑張ったこと」に対して、「部活で試合に出られないメンバーのモチベート」の話をしていました。「チームスポーツだからこそ、試合に出るメンバーだけでなく、出られないメンバーの士気を高めることがチームの団結に繋がる」、「弱小チームが実力以上の結果を出すには、チームの団結力が不可欠」というエピソードは、リーダーシップやチームワークを重視する面接官からも大変ウケが良く、面接での鉄板トークの一つでした。

大学3年生のときのアイスホッケー部夏合宿打ち上げ。地獄から解放された瞬間。

いつものようにこの話をしていると、面接官は開口一番「君は、負け犬の傷の舐め合いをしていたんだね」と呆れたように言いました。そんな反応をされるのは初めてで、正直面を食らうとともに憤りを覚えました。「試合に出ない子のモチベーションは試合の勝敗に関係ない」「試合に出るメンバーへのケアを優先すべき」「スピリチュアルな考え方で合理的ではない」など、怒涛のように繰り出される面接官の主張に、必死に自分の考えをぶつけて食らいつきました。
この1つのテーマについて話したのは40分以上。両者が平行線を辿る中、私が「こんな考えの方がいる会社なのであれば辞退します」と告げると、面接官は不機嫌そうに「面接を終わります」と突然席を立ちました。「ああ、最終面接の場でやってしまったな‥」と思いながら面接官について行こうとすると、面接官が急に振り返り「内定です」と笑顔で握手を求めてきたのです。
「君の話は論理的で、ストレス耐性もある。君ならどの商社も受かるはずだが、ぜひ我が社に来てほしい」「君が野村證券に来たら、必ずトップを獲れる」とその場で熱心に口説かれたのを覚えています。
面接の場でウケのいい話をしていれば褒められ、簡単に内定が貰える。就活も、大人も、社会も舐めてかかっていた当時の私にとって、この最終面接は大きな衝撃でした。確かに大手商社の面接で出会う商社マンはスマートで憧れに近い社会人像でしたが、「こんな人がいる会社で切磋琢磨することが、自分の成長に繋がるはずだ。」そう信じて、野村證券への入社を決めました。

同期とは真逆の戦略で、一気にトップセールスへ

入社後、野村證券大阪なんば支店に配属され、法人の新規開拓を担当しました。多くの同期はいわば「攻めやすい先」ばかりを「数で勝負」で開拓していました。しかし私の戦略は逆で、ターゲットを「売上100億円以上の大企業10社」中心に絞り、まさに夜討ち朝駆けの精神で毎日様々な営業を仕掛けました。同期が地道に営業成績を伸ばしていく中、最初の2年間は全く結果が出ませんでした。
いつか必ず身を結ぶと信じてひたすら営業に励み、初めて売上100億円以上の企業のクライアントができたのが入社3年目の4月。そこから面白いように毎月大口のクライアントが増え続けていきました。4年目には同期の中でトップクラスの営業成績が出せるようになり、社内の海外研修制度のメンバーに選抜。そして渡航先のアメリカ・シリコンバレーでの経験が、大きく私自身の価値観を大きく変えることになりました。

自分の「当たり前」がひっくり返された シリコンバレーでの経験

シリコンバレーで取り組んでいたファッションアプリ開発。とても大変でしたが楽しかったです。

世界中のスタートアップ企業が集まるシリコンバレーという地で起業家たちと対話した経験は、社会人4〜5年目の私にとって非常に大きなものでした。彼らはユニークなアイデアで様々な商品やサービスを生み出していますが、共通して「お客様の為に価値あるものを提供する。その対価が収益になる」という思想がありました。 これは一見当たり前のことのように思いますが、金融業界の当たり前、少なくとも私がいた世界の当たり前とは真逆でした。「自社が売りたい商品が第一。それをお客様にどう売り込むかを考える」という「会社第一」の中で生きていた私にとって、その「当たり前」は大きな衝撃でした。金融業界で「顧客第一」がなぜ実現できないのか、課題意識が芽生えた瞬間でした。

これまでの営業経験が通用しなかった 香港での挫折と発見

シリコンバレーから帰国し、再び企業オーナー向けのリテール営業としての日々を過ごしていると、今度は香港での機関投資家向け営業部への配属が決まりました。この営業部でのミッションは、ヘッジファンドと呼ばれるいわゆるプロの投資家向けに、日本の株式を販売すること。のちにこの香港での経験は、自分の金融業界における価値観を変えるもう一つの出来事となりました。
営業の相手が企業オーナーからヘッジファンドに変わるだけ、やることは変わらないとたかを括っていましたが、これがやってみると「真逆」でした。企業オーナーをはじめとするリテール営業において、お客様の意思決定の要因が「感情8、論理2」とすると、ヘッジファンドの担当者は「感情ほぼ0、論理ほぼ10」といったイメージでしょうか。意思決定の要因そのものが違っていました。
リテール営業を長年経験してきた私としては「お客様と良い関係性が築けたら、お勧めする株式を買ってくれるかもしれない」、「周りはとても優秀で英語もネイティブだし、普通に営業しても勝てるわけがない」と思い、プレゼントを持ってヘッジファンドの担当者を訪ねました。すると、なんとめちゃくちゃクレームになりました。担当者に電話をしても「有益な情報をくれないのであれば、お前との電話の時間は無駄だからかけてくるな」と言われたこともあります。これまでの営業の経験から良かれと思ってやったことが、ヘッジファンド相手には全く歯が立たず驚いたのを覚えています。
ヘッジファンドの担当者が求めていることは、プレゼントや耳障りの良い言葉ではなく「有益な情報」でした。私が相手のニーズを完全に見誤っていました。

香港ではグローバルな環境で素敵な上司や同僚に恵まれました。

日本の金融のあり方を、「金融のプロ」が変革する

改めて考えてみると、ヘッジファンドの担当者は投資家から資金を集めている以上「受託者責任」があります。もし購入した株式が値下がりした場合でも「自分達はこのような意思決定のプロセスを経て、この銘柄を購入した」と投資家に対して明確に説明できるように、意思決定のプロセスを論理的にする意識を常に持っています。つまり、あえて彼らは感情を排除し、ロジックで判断しているのです。
対して、リテールのお客様は自分の資産を運用しているので「大きく儲けられそうな株式があります」という話があれば、「なんとなく面白そう」と印象や感情で購入される方も少なくありません。
香港で「ヘッジファンドのプロフェッショナルさ」「資産運用に対する責任感の強さ」と向き合い、シビアな世界で揉まれる中で、「これを日本のリテール金融の世界に持っていければ、日本の金融の在り方そのものを変えられるな」と感じるようになりました。「高い倫理観」と「幅広い専門性」、そのどちらも兼ね備えてこそ、プロとしてお客様のお金を扱うことができるはずなのに、当時の日本の金融業界は真逆の状態でした。そんなギャップを少しでも埋めるにはどうしたら良いかと考えるようになった時、独立に向けて気持ちが更に一歩前進しました。
そして、2018年に株式会社Japan Asset Management(以後JAM)を立ち上げました。JAMは総合的な金融サービスを提供する資産運用コンサルティング会社です。資産運用のアドバイザーは特定の証券会社や銀行などに所属していることがほとんどですが、私たちはIFA(Independent Financial Advisor)という独立系ファイナンシャルアドバイザーと呼ばれる業態を取っています。

創業当時のオフィス。私の実家の事務所からスタートしました。

日本の金融の在り方を変えるために「IFA」を選んだ

IFAという業態を取った理由は「顧客第一を起点に、日本の金融業界の変革がしたいから」でした。
証券会社に勤務していた当時から「顧客第一」にお客様と接していたという自負はあります。ただし、企業に所属する社員としては「企業の事業成長」や「収益目標の達成」という点を意識しなければならないのも事実です。そうなるとどうしても会社の販売方針やノルマを優先させざるをえない場面が多々あります。
私自身、一度立ち止まって胸に手を当ててみると、「本当に、心から、お客様の為になっていると言い切れるか?」という違和感や罪悪感にも似た感情にぶつかるようになりました。そしてそれは、経験を積むごとに大きくなっていきました。現在、金融機関において営業に携わる多くの人は、同じような違和感や罪悪感と戦っているのもよく知っています。だからこそ、もっと顧客1人1人に真摯に向き合った営業をしたいと考えるようになりました。
これを叶えるには、特定の会社に縛られず、かつ証券だけでなく保険や不動産などあらゆる商品を取り扱う「IFA」という業態がベストだと判断しました。人が生きていく中で関わるであろう全ての選択肢を当社で扱い、総合的なコンサルティングを提供できてこそ「顧客第一」と言えるはずです。

資産運用という良識を、日本の常識に

JAMはビジョンとして「資産運用という良識を、日本の常識にする」を掲げています。「いやいや、なんかそれっぽいこと言ってんな」と揶揄されることもありますが、私はこのビジョンが現実となれば、日本はもっと良い国になると信じています。
私がそもそも起業を志したのは「社会に何かインパクトを残したい」という、ある種漠然とした思いだったのですが、真剣に「社会へのインパクトって何だろう?」を考えた時に着目したのが「日本の活用されていない金融資産」でした。
失われた30年、諸外国に劣るGDP。そんな日本の経済状況の中で育った私から見ると、日本はレアメタルや石油といった資源が豊富な国ではないですし、過去には世界に誇った技術力も他国に抜かれつつある中で、唯一他国にも勝てるのは「高度経済成長期に先人たちが築いた金融資産」だと思いました。今はその金融資産は全く活用されず、預金として眠っています。そんな国は類を見ないほどです。「この金融資産が動けば、日本のGDPが上がる。そうすれば日本の経済は明るくなるのでは」と考え、このチャレンジに自分の人生を賭けたいと思うようになりました。
資産運用の正しい知識を身につけ、人々が貯蓄や資産運用に取り組めるようになる。そんな「良識」が日本の「常識」となれば、個人金融資産のうち預金に眠っている1,000兆円が動きはじめ、その預金が3%でも利回りを稼げれば年間30兆円 = GDPが毎年約5%成長する、ということになります。これほどまでに「日本の金融資産」にはものすごいポテンシャルがあるわけですが、そこに気づけている人はまだまだ少ないのが現状です。私達にならこの大きなチャレンジができるかもしれないという意味を込めて、このビジョンを策定しました。
お客様のニーズに応えるためには、常にコンサルティングの在り方を見直し、新しいサービスを日々模索し続けることが不可欠です。今年で創業7年を迎える当社の強みは、まさにその「スピード感」であると自負していますが、「資産運用という良識を、日本の常識にする」は創業当時から現在まで、そしてこれからも変わらぬ当社のビジョンであり続けるでしょう。このビジョンに共感して集まった仲間たちとともに、今後も邁進していきます。

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