将来やりたいことのはなし①


わたしは、人生において達成したい/やりたい課題があります

それは、
日本社会におけるダイバーシティの普及
です(笑)


これだけ言うと
なんやそれ堅苦しい!!!
って言われちゃうと思うので噛み砕くね笑


わたしは昔から、
自分が心からワクワクしない状況において、無理して合わせる
ってことに対するストレス耐性がほぼ皆無ですww

愛想笑いもできるしよくするけど
愛想笑いをしなきゃいけない状況が続くと
果てしないストレスを感じ、
そして、その場からいなくなる(笑)


とにかく、「何かに合わせる/誰かに合わせる/既存の制度に納得しないまま従う」
みたいな状況に対してアレルギー反応がある
のよ


でも日本においては、どうしても
「空気を読んで従うこと」
が求められてしまうし、それが評価に繋がることが往往にしてある。

そういう、「同質性こそ至高」って考える文化だから、多数に属さないものに異常に厳しい風潮があるように感じるんだよね


で、わたしはそこに息苦しさを感じちゃって、
小さい頃からすんごいストレスを感じてきたのよ

しかもひとりっ子で 親も放任主義だから、
基本なんでも「とりまやってみなよ!」
って感じで好きなことさせてもらいながら
のびのび生きてきたから
なおさらそのストレスに耐えられないの多分www

だから小さい時からずっと、
周りの人に合わせて我慢しなきゃいけないことにめちゃめちゃ違和感を感じてきました


まぁ実際、日本は地理的にも歴史的にも、
島国で単一民族で植民地化という植民地化とされたことないから、
そういう文化になるのは当たり前だし、
そこをただ否定したいわけじゃない


なんだけど、
もっと人と違うってことに対して大らかになったら、
もっとみんな生きやすくなるんじゃないかな?

って思うのよね


で、その根元に「学校教育」ってものがあると思ってて、

日本の学校教育ってさ、
みんながそれぞれ持ってる凹凸を標準化していくようなやり方をとるじゃん?

わたしは、そこに問題意識を持ってて、

みんながそれぞれ持ってる凸をひたすら伸ばしていく教育を初等・中等のうちにできれば、

みんなの持ってる凹はカバーされていくんじゃない?

っておもうの。


できないことをできるようにする努力より、
できることをめちゃめちゃ伸ばすことに時間をかけた方が有意義に思えてしまうんだよね


だけど、日本の学校教育では、
できないことを埋めることに躍起
できたはずの、持ってたはずの才能が潰されていってしまってる気がする


幸い、わたしは小さい頃からすごく周りに恵まれてきて、
親はもちろん、担任の先生も、
全部わたしの純粋なやりたい!って気持ちを肯定してくれて、なんでもやらせてくれたのよ


なんでもやらせてくれた、っていうと
金持ちかよとか思われるかもだけど
そういう意味ではなくて、
絶対にわたしのやりたいと思ったことを
「そんなのダメに決まってるでしょ」って否定しないで
「いいね、おもしろそう、やってみなよ!」
っていってくれる大人ばかりだったの


その過去があったから、
わたしは今自信を持っていろいろなことに飛び込めるし、
自己決定力がついてきたなぁとおもってます


そうやって
自分で決定してやったものが成功した!
っていうその成功体験
こそ、初中等時に学ぶべきものだと思うのよ


それが積み重なってくると、
自分に相対的ではなくて絶対的な自信がついてきて、
そうなると、もはや他人と比べるなんて無駄なことしなくなる


比べて優位に立つっていう不安定な自信だと
どうしても周りと比べて周りに合わせて
外れないようしなきゃいけなくなるけど

絶対的な自信がつくと、もう誰に何言われても構わないから、自分の好きとか自分の凸が最高に伸ばせるようになるのよね


まぁ、こんな偉そうにいいながら、まだわたしだってそんな大層な人間じゃないけど笑、

少なくとも比較優位で満足感を得るようなことはなくなったし、誰かに合わせる必要もなくなってきて、そうなってからはひたすら生きやすいです毎日(笑)

だからね、わたしはそういう

絶対的な自信を持つ人を増やして、
自分の個性にも他人の個性にも寛容になれるような、
そして他人の苦手を自分の得意で補おう!って気持ちでみんなが生活できるような、
そんな社会にしたいな

って漠然とおもってます


ちょっとまだまだ長くなりそうなので二回に分けます笑

賛否両論ある考えかもだけど、
一意見としてみてもらえると嬉しいです🤣

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