進路のはなし


就活に違和感が〜とか言ってる記事を書いてから早3ヶ月近くが経とうとしている。

この3ヶ月間も様々な葛藤を繰り返しながら過ごしてきた。

しかし、2020年に入り、ようやく決断をすることができ、今は久しぶりに前を向いて毎日を生きることができている。

ということで、今回は、今の段階での私の出した答えを書こうと思う。



結論から先に言うと、私は同級生とともに21卒として就職活動はしない。

就活に漠然と感じてきた違和感を無視しない決断をしたのだ。


だから今こうして、周りの友達が全力でインターンしたり選考を受けたり、公務員の試験勉強をしたりしている中、マレーシアにてショートステイと題して悠々自適に生活している。


では、就職活動をせずにどうするのか?


この答えとしては、一言で言うと、

「迷うことなく将来に前進できるよう、興味関心あること全てに120%飛び込んでみる時間を作る」

ということである。


これでは曖昧すぎてよくわからないかもしれないので具体的に言えば、また半年間休学し、
ずっと問題意識を持っていた"技能実習生"に直接関わったり、
海外で働く経験をしたり、
とにかく本を読んで学びたいことをとことん学んだり、
得意や専門性を一つ身につけたりなど、
他にも細かいことを挙げれば様々あるが、
主に以上のようなことに全力で取り組んでみたいと考えている。

以上のことは、全て私がここ最近興味関心を持ちながらも、時間がないことを言い訳にあまり手をつけられてこなかったものである。


時間がないことを言い訳にしてやらずにいたことを、時間を作って全部手をつけてみることで、自分の本当に進みたい/進むべき道を見つけてやろう!と思ったのだ。


では、もう少し詳しくこうするに至った経緯を書きたい。


まず、再三述べてきたが、私はこの半年以上の間、就活というものにものすごく違和感を感じ、葛藤してきた。

その間、なぜ自分はここまで就活に対して違和感があるのか、この違和感の正体は何なのか、ということについてたくさん考えた。

その結果見えてきた結論は、「どうしても日本の就活システムになじめたかったから」ということと、「自己分析の限界にぶつかったから」ということだった。


ではまず、日本の就活システムになじめなかったとはどういうことか。

これは、今まで小中高大と、大して将来について考える機会も設けられず、ただ能力を一般化する教育ばかり受けてきた私たちが、
突然個性だの意思だのを求められ、やりたいことを見つけることを強いられ、
そのくせに就活において存在するたくさんのルールや「正解」によって、会社が用意した枠に学生が当てはめられ、個性がぶっ潰されていく、
これに対して著しく嫌悪感を抱いたのだ。

他の就活生が、一気に黒髪にして就活メイクなるものをして、スーツに身を包み、あんだけ個性的だったみんなが無個性のロボットみたいになって、そしてESや面接の「正解」を作り、自分を会社という枠に当てはめていく。

そして、会社側はたった15分かそこらで私たちを評価していく。

このシステムに、違和感が拭えなかった。


もっと、就活のためとか関係なく、それぞれが早いうちから自分自身にたくさん向き合い本当にやりたいことを見つけ、

また、他国のように、長期インターンなどの実務経験を通して、会社と学生のお互いがお互いの実質を見極められる状態を選考に代えるべきではないのか。


なんて、一朝一夕では変わらない、就活のシステム自体に疑問を持ってしまったがために、何をするにも前に進めなくなってしまったのだ。


しかし、今思えば、少し否定的に見過ぎたかな、とも思っている。


例えば、日本は長期インターンなどせずに面接やテストさえ乗り切れば、そのポテンシャルを買ってもらい就職することができるが、これは見方によってはメリットであるし、
本当にインターン等を通して企業とお互いを見極める就活がしたかったら、日本で長期インターンをやれば、場合によっては実質同じような状況を得ることもできる。

このように、少し偏向した批判をしてしまったような気もするが、いずれにせよこの違和感を拭えなかったのだから仕方がない(笑)

これについては、この半年間の休学を通してシステムの何かを変えることは難しいが、少なくとも日本を否定的に見るばかりで、その他の道を検討したり挑戦してこなかったこの頭でっかちな自分のマインドを変える期間にできればと思っている。


では、就活に違和感を感じたもう一つの理由である「自己分析の壁にぶつかった」とはどういうことか。

これは、簡単に言い換えると、「見えていたと思っていた"やりたいこと"が実は見えていなかった」と言えるだろう。


私は、やりたいことがないかと言われたらそれはNoで、むしろ社会において問題意識を感じることや、やりたいと思うことは多いほうだと思う。

しかし、就活においては、そうやって自分の興味が次々広がってしまうところが裏目に出てしまった。


私はそこまで深い思い入れや原動力を持たずに様々なことに興味関心を持ってしまうところがある。

しかしそれらは、何か大きな出来事があって得た興味関心ではなく、21年間生きてきて得た価値観から直感的に生み出される興味関心で、
就活のように「何でそれに興味があるの?なんで?どうして?いつから?」とどんどん深掘りされると、一つの"面接ウケする"答えをしようとすると閉口してしまうようなものばかりだったのだ。

もちろんそれらにそれっぽい理屈をつけて面接で語ることは可能だ。

しかし、そのように自分で自分の本心が掴めないまま、それっぽいことをつらつら話して面接が通っていくことに対して強い違和感を得た。


「こんな私の付け焼き刃の仮の姿で私の人間性が判断されるってなんなんだろう。」
という壁にぶつかった。


また、やりたいことが、社会問題解決にアプローチするものだったので、企業に入る以外の選択肢も複数あり、就活に入れ込めなかったというのもある。

NPOに入ったり、ソーシャルビジネスとして社会起業家になったり、院に行ってその問題をより深く研究したり、、、
いろんな道があったのだ。

やりたいことがない!と叫ぶ人が多い中、
私はやりたいことが多すぎて立ち止まってしまったのだ。

かつ、どの興味関心もその源泉が浅く広く、
右脳でなんとなく生きてきた私にとって、
突然その全てに理屈をつけることができなかった。

なんでやりたいかって、やりたいからやりたいんだよ!ワクワクしたんだよ!!それだけだよ!!!!!
なんて思ってしまったのだ笑

もちろんこれはかっこいいことでもなんでもなく、みんなはちゃんとできていることだし、ただ私に言語化能力と自己分析力が足りなかっただけである。

企業からしても、理由を持って志望する人と、ワクワクするから!!とか言って志望する人じゃ、前者をとりたいに決まっている。

ただ、私はその言語化できないという自分の状態を見て見ぬ振りして、無理やり言語化して取り繕うのではなく、迷うことなく言語化できるレベルまでやりたいことを掘り下げようと思うに至ったのである。



、、と、まぁこのようにまたつらつらと語ったわけだが、要は私はこの休学期間を通して、
今まで特に行動もせずに批判してきたり、頭の中だけでやりたいことに向き合っていたが故にぶつかってきた壁を壊すために、
興味関心があること全てに手を出してみて、自分の持てる可能性を広げたいと思っているのだ。

私に就活はまだ早かった。

これが、半年間で気づいたことだ。

そうだとしたら、やるべきことはただ一つ。

迷いなく将来に進めるように、動きながら自分にとことん向き合うことだ。

そして半年後に、晴々しく迷いなく、前を向いて将来に向かって歩んでいけることを祈って、この半年間を走り抜けたいと思う。

ということで、これからも悩み続けますが、今までとは違って、止まりながらではなく動きながら考えていこうと思いますのでどうぞお付き合いください。


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