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「慌てるな、まだ終わりではない。なんとかなる」

 今、心細くこの時を迎えている人に伝えたい。「まだ、終わりではない」。「あわててはいけない」。僕は、僕自身にそう語りかけている。

 新年早々に大きな地震が襲った。多くの家が倒壊した。家屋の下にはまだ取り残された人がいるという。ご家族はどんな思いでこの夜を迎えておられるだろう。ニュースの度に死者が増える。

 羽田空港では考えられないような航空事故が起こった。民間機の乗客乗員は全員無事だったが、石川の被災地に向かう海上保安庁の飛行機は5人が亡くなった。炎の映像が目に焼き付いている。

 からだが、こころが、ざわついている。僕は正直小心者だ。少しのことでくよくよが数日続く。そばから見ると「思い切ったことをする人」。だが本当は逃げ出したいといつも思っている。いつもドキドキ。クラファンもそうだった「あああダメかも」となんど折れかけたか。不思議に必ず「悪い方へ、悪い方へ」と考える。大変な勢いで「そっちの方へ」と向かっていく。特にこんな時は。

 さらにまずいことに本来関係のない些細なことが、先行する「悪いこと」に関連していたように見えて来る。例えば明日は新年炊き出し(困窮支援)。夏と正月に実施する抱樸のまつりだ。追悼集会、食事、くじ引き、野外コンサートなど、しんどい現実を跳ね返すひと時だ。だが、明日北九州の降水確率は85%。「あああ不吉な予感がする」。「この雨は今年の抱樸の先行きを暗示している」「いや、僕の体調か」。次々に「いらんこと」が浮かぶ。

 聖書にこんな箇所がある(マルコ福音書13章)。ある日イエスが立派な神殿を前に「どんな立派な建物もすべて崩壊する時が来る」と不吉なことを言い出す。弟子たちは「それはいつ起こりますか。前兆は」と尋ねた。「戦争になる。地震や飢饉も起こる。家族が仲たがいし親子で殺し合いが起こる。惑わす者が現れる」。なんて不吉な。気弱な人なら、もたないだろう。しかし、その上でイエスはこう断言する。「でも、あわてるな。それは起るが、まだ終りではない」。

 今回のことを過大評価してはならない。「これで日本が終わる」とか「世界の破滅が近い」とか、そういうことではない。今、そんなことを考えている方にはイエスの言葉を届けたい。「あわてるな。それは起るが、まだ終りではない」。あわて者の僕は、何度も何度も噛みしめながらこの言葉を自分に言い聞かせている。

 今、僕たちは等身大の悲しみを分かち合うべきなのだ。被災地で苦しむその人の思いに寄り添いたい。それを「国家」やら「世界」やら「人類」やら、ましてや「~陰謀論」などに仕立て挙げてはいけない。そちらに目が向くと、目の前の人の苦しみも悲しみも分からなくなり、自分の事しか考えられなくなる。それを孤独という。

 不安なら何度でも言う。「あわてるな。それは起るが、まだ終りではない」。さあ、声に出して言ってみよう。ハイ。もう一度。大丈夫、いろいろあるが、まだ終わりではない。あわててはいけない。

 希望のまちキャッチフレーズは「わたしがいる。あなたがいる。なんとかなる」。いいね。はい、ご一緒に!「わたしがいる。あなたがいる。なんとかなる」。百回でも言うぞ!「わたしがいる。あなたがいる。なんとかなる。」

 明日は、雨でもなんとかなる。みんなでびしょ濡れになって外で暮らす人々が感じる冷たさを分かち合うのだ。

追伸 後日談。3日の新年炊き出しは雨の心配の中、何とか実施することができた。野宿状態の人、地域の困窮者、自立者、ボランティアなど200名以上が集い追悼集会をし、その後の炊き出しで共に食べ、そして路上ライブの楽しいひと時を過ごした。その最中小倉駅方向に数台のヘリコプターが旋回していることに気付いた。「なんだ、なんだ」と炊き出し会場がざわついた。見る見る内に黒煙の柱がた立ち上った。小倉には昔ながらの路地が連なる商店街や食堂街がいくつもあった。この間、北九州の台所と呼ばれた「旦過市場」が二度にわたり火災に見舞われた。そしてこの日、多くの人に親しまれた「魚町食堂街」が炎に包まれた。北九州にとって驚きと落胆の年明けとなった。

 地震、羽田の事故、そして大火。本当に心がふさがる年明けとなった。だが、「まだ、終わりではない」。いやここから始まることもあると信じる。その後、私は能登に向うことにした。支援の仕組みを立ち上げるためだ。まずは慌てることなくそこに生きる人々の「等身大の悲しみ」に向き合うこおから始めたいと思う。

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