マガジンのカバー画像

1000日note

271
もともとのきっかけは、徳力基彦さんの1000日note 途中なんども挫折しながら、2022年11月からまた再開です。 投稿したものはすべてものマガジンにも入れています
運営しているクリエイター

記事一覧

ケンタッキー・フライド・チキン小牧店:昭和59年(1984年)秋:昭和40年代小牧市に生まれて

ケンタッキー・フライド・チキン小牧店:昭和59年(1984年)秋:昭和40年代小牧市に生まれて

ここに表示されている年は、「自分の思い出の年」の基準であって、その当時にあった出来事ではありません。

諸事情により、私のnoteは公開後2週間で有料にしています。予めご了承ください。

ケンタッキー・フライド・チキンでアルバイトしよう大学生活にも慣れ、学業やクラブ(Vocal部)活動も慣れてきた。
そろそろ地元でアルバイトでも再開をしたいと思っていた。

これまでは小牧ストアーのお菓子屋、Vマー

もっとみる
ホーエー家電小牧駅前の電気屋さん:昭和52年(1977年)春:昭和40年代小牧市に生まれて

ホーエー家電小牧駅前の電気屋さん:昭和52年(1977年)春:昭和40年代小牧市に生まれて

ここに表示されている年は、「自分の思い出の年」の基準であって、その当時にあった出来事ではありません。

この頃の小牧の街の中心は、小牧駅周辺でした。
小牧駅の周辺にはチェーン店、個人店、飲食店、販売店大小さまざまなお店がありました。

小牧の駅前はユニーやニューヨークというパチンコ屋と電気屋さん「ホーエー家電」がありました。

ホーエー家電は、白物とオーディオとレコードが販売されていたお店。
当時

もっとみる
入鹿池の思い出:昭和53年(1978年)夏:昭和40年代小牧市に生まれて

入鹿池の思い出:昭和53年(1978年)夏:昭和40年代小牧市に生まれて

ここに表示されている年は、「自分の思い出の年」の基準であって、その当時にあった出来事ではありません。

ここでは中学の時の思い出

「今度の週末 入鹿池に行こう」県住(県営北外山住宅)に住んでいた末松(曖昧な記憶ですが…)と北官舎(航空自衛隊の北部の官舎)に住んでいた加藤くんと行くことになりました。(あともう一人いたかも)
彼ら二人は応時中学校体操クラブの同期でして、たまたまその週末に練習がなかっ

もっとみる
喫茶ルパン というコミュニティ:令和5年(2023年)夏:昭和40年代小牧市に生まれて

喫茶ルパン というコミュニティ:令和5年(2023年)夏:昭和40年代小牧市に生まれて

ここに表示されている年は、「自分の思い出の年」の基準であって、その当時にあった出来事ではありません。

今回は思い出ではなく、最近のお話。
2023年8月5日。

訪れたのは何年ぶりだろうか、以前このブログでも紹介した喫茶ルパン。

コロナが明け施餓鬼で訪れた小牧、横浜に戻る途中、久々に訪問しました。

もっとみる
小牧南と応時の学区:昭和53年(1978年)春:昭和40年代小牧市に生まれて

小牧南と応時の学区:昭和53年(1978年)春:昭和40年代小牧市に生まれて

ここに表示されている年は、「自分の思い出の年」の基準であって、その当時にあった出来事ではありません。

横浜に来て家族と話、あることに気がついた。
子どもの頃、小学生の頃のクラス編成である。
当たり前が当たり前ではなかった。

私は、小牧市にある小牧南小学校を卒業した。
児童目線からみた、当時小牧南小学校という地域

農家の方がいる
お勤め人の人もいる
自衛隊がある
あまり自営業の人がない

クラ

もっとみる
L&M:昭和57年(1982年)夏:昭和40年代小牧市に生まれて

L&M:昭和57年(1982年)夏:昭和40年代小牧市に生まれて

ここに表示されている年は、「自分の思い出の年」の基準であって、その当時にあった出来事ではありません。
この記事を書いたのは2004年のブログを転記しました。

当時音楽が好きでバンドを組みたかった。 人と違うことがしたい。
そんな思いから、シンセサイザー(以降、シンセ)に興味をもった。

当時、購入していた音楽雑誌の裏にショルダーシンセをかっこよく弾いている写真が私に衝撃を与えた。

楽器の名前は

もっとみる

note継続について

なんとなくはじめたnote1000日連続。

年に数回海外へ行くことがあり連続投稿が厳しいとわかり
最初の目的は困難とわかり、それでも続けていましたが、自社事業の優先順位を考えて、これは必要なのか?と

おおよその結論ですが、連続投稿をしなくなる可能性があります。

ある特定の曜日を除いて。

この気持ちを覚え書きとして記します。

とりあえずインドネシア語の翻訳してみる

とりあえずインドネシア語の翻訳してみる

とりあえずインドネシア語の翻訳してみる

毎朝、短い言葉をインドネシア語に翻訳してみています。
まだ、単語を覚えるているレベルなので、目的は、自動翻訳をしてその単語の整合性を確認して、単語を抜粋して覚えます。

時間がないかな、やれることからひとつずつ。

マガジンの紹介この記事は毎週木曜曜公開、マガジン「インドネシア調査したい、移住するか?」でまとめています。

https://note.com

もっとみる
GA4をUAっぽくって

GA4をUAっぽくって

GA4をUAっぽくって

GA4をUAっぽくって

GA4をUAっぽくLookerStudioでつくるというのが少しだけ話題になり。
私も試しに作ってみたけど。

2画面ほど趣味で作成して「なんだろか」になってしまった。
もしかしたら、GA4に慣れないリハビリ画面かもしれないけど、早くそんなことは忘れて前に進もうよ。
GA4はデータをご自由になツールで、BI的にLookerStudioを使えばよく

もっとみる
企業変革支援プログラムとは

企業変革支援プログラムとは


企業変革支援プログラムとは
要約すると、中小企業家同友会の「人を生かす経営」に基づいた各社の経営指針を実践するためのツールです。

中小企業家同友会の「人を生かす経営」は労使見解の中に収められています。

* 松下幸之助の人を活かす経営と、中小企業家の人を生かす経営の違いは
松下幸之助は企業のおける人の活かし方であるに対し、中小企業家同友会はその人の人生そのものを考え幸せに生きるためのことについ

もっとみる
50代の夏のおじさん

50代の夏のおじさん

50代の夏のおじさん

夏になると、おじさんは臭いです。
臭い原因は汗ではなく、肌にある老廃物が原因です。

老廃物は、食生活などが原因です。
即改善が難しいのなら、せめて汗をふくこと、と着替えのシャツは持ち歩きましょう。

とにかく50代の夏のおじさんは臭いです。

マガジンの紹介この記事は毎週月曜曜公開、マガジン「おっさんがオッサンに物申す!」でまとめています。

https://note.c

もっとみる
タカラブネ:昭和52年(1977年)夏:昭和40年代小牧市に生まれて

タカラブネ:昭和52年(1977年)夏:昭和40年代小牧市に生まれて

ここに表示されている年は、「自分の思い出の年」の基準であって、その当時にあった出来事ではありません。

noteのために書き下ろしました。

小学校の5年6年と、小牧市指定のよる体操クラブに入っていました。
うろ覚えですが、小牧市児童の体力強化のプログラムだったかと思います。

小学校6年では、小牧市の体操クラブは味岡小学校で日曜日に練習をしていました。
親から交通費をもらい名鉄 間内(ひとによっ

もっとみる
自主・民主・連帯

自主・民主・連帯

7月13日 埼玉で中小企業家同友会の定時総会がありました。
定時総会ではあらゆる学びがあります。
今回は「連帯」について、深く問い、学びを深めています。
同友会の理念のひとつである「自主・民主・連帯」
この理念を同友会会員ではなく自社や自分(経営者)自身に置き換えた場合
「連帯を理解しているのか、連帯を実践しているのか?」と考え出しました。

会社に置き換えると
社員同士が同じ目的の実現めざし力を

もっとみる
飛び込み営業の思い出:1990年#28

飛び込み営業の思い出:1990年#28

飛び込み営業の思い出

B2Bで、お客さんからの問い合わせや紹介営業の多い会社でしたが、
定期的に飛び込み営業を行いました。
社内では「新規開拓営業」という目標件数のもと。

新卒時代は、エリアを与えられその周辺を飛び込みます。
そのエリアというのは
・再開発地域(当時の秋葉原)
・新規物件の周辺

再開発地域は、その場を立ち退く必要があるため、話を聞いてもらうことが多く。ほかの業種の飛び込み営業

もっとみる