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The length of relationship matters? I believe the dense does. 出逢ってからの時間は本当に関係あるのか


彼と出会って、この間で1か月が経った。
そういえば、パートナーになり、
ちょうど今日で1か月だ。

そう、わたしたちは、
出逢ってすぐ、
3日くらいでパートナーになった。

それはごく自然に起きて、

でも初めに出会った時は、
映画やドラマで観るような、

赤い糸が見えた、とか、
「この人だ」とビビッと感じたとか、

そういうドラマチックなものでもなく、
ロマンチックにも特に感じていなかった。

ただ、とにかくお互いよくしゃべっていた。

わたしが勤めていた・住んでいたところが、
とてもユニークな所であったことも大きいのかもしれない。

わたしの信じている世界観・価値観、
まるで旅人をしている時のような非日常の中で

とにかく人と人の中で、
もまれるわ、思ったようにはいかないわ、
出逢いに溢れ、修行に溢れ、

とことん徹底的に、
自分と、人と、向き合い、

川のように流れているようで、
激流のように右に左に、上から下に、

自分の意思とは別に動かされていくような、
自分の常識が通用しないような、
でも一人一人の自主性や個性が生かされるような、
そんな場所にいた。

だから、「仕事は何をしているの?」という
はじめて出会った人と会話する際、
定番のこの質問に答えるだけでも、
わたしという存在がだいぶわかるくらい、

フィットする人にはフィットし、
興味のない人には興味ない、
ストライクゾーン狭めな内容になるのだ。

またわたしの話は、
相手がわたしの人生を
だいたいわかってしまうくらい、

いろいろ具体的に話してしまうので、
その話を最後まで聞いてくれたり、
自分の話を盛り込んで話せる人というのは、
結構限られている。

特に、社会的課題や地球的課題。

それに対して
どういう風に感じ、
なにを学び、
どう考えて、
いま生きているのか。

プラス、
わたしはそれを意識しすぎて、
自分を犠牲にしてしまってきた経緯があるため、

わたし、社会、地球、

それらが
想い、エネルギーとして、
自分の中で、人々の中で
どのように循環しているかを
とても大切に想っている。

ただ、そういう話ができるようになったのは、
そういう話ができる人たちと出会ったのが、
人生を本気で生きると決めたとき。

その後に大きな挫折と失敗を繰り返して、
そしてトドメに上に書いた場所で、
ありったけの人という名の鏡の中で
多様に満ちた自分をやっと受け入れて、
等身大の自分をやっと受け入れて許せて、
すべてに感謝でき、
やっと肩の力を抜けるようになった。

今以上に、
心地よく自分と重なれたことはない。

そんなうらもおもても、自分100%のとき。

自分ととても似ていて、
話とタイミングが合ったのが、
不思議なご縁で流れるままに
出会うことになった彼だった。

お互いに、いろいろな社会問題の話もしたし、
もちろん、純粋な興味や関心、
好きな食べ物とかそういう話もした。

でも翌日には、
人生の教訓や、家族構成、過去の関係、
想い描いているパートナーシップ、
大事にしている生き方、
なぜ今の仕事が好きなのか、
幼少時代、
自分の人生のターニングポイントなど、

話の内容はどんどん深くなっていった。
自分の核心に触れるような話を、
お互い夢中になって話していた。

遠距離になってからも、
お互いの話をする習慣は変わらない。
LINEでメッセージもし合うし、
電話もする。

どういうことがあった、
こう感じた、
これが素敵だった、
こういうことをしていきたい、
これについてどう思う?

とお互いにシェアしあう。

互いにどんなライフスタイルを目指しているか、
何を大事にしていきたいか、
そういう話もする。

そして本当に不思議なくらい、
それがぴったり、と思ってしまうくらい、
互いによく似ている。

「こうしたいんだ」
と話すと
「わたしも、実はそんなこと思ってたんだ」
ということが、よくある。

人生の教訓も、学びも、
それに対する考え方も、

なんでそういう風に考えるようになったのか、
なんでそういうことがしたいのか、
なんでそういうことを大事にしたいのか、
とそこに至る背景が似ているため
よく似ている。

根っこがたぶん似ている。
だから「いいな」と思う葉っぱも、花も、
なんとなく、似ているのかもしれない。

例えば、アパートの部屋の条件。
今日話していたら、だいたい似ていた。

そういえば働き方のスタイルや
パートナーとの時間も、自分の時間も、
大事にしたい、そういうのも同じだったし、
仕事のフィールドが異なるから、
働くスタイルは違うにせよ、
とてもよく理解できた。
同じようなことをイメージしていた。

おとといは、
結婚や子どもなどのタイミングと、
その考え方について話した。

働き方、住環境、結婚に子どもについて。

出逢って、一緒になって、約1か月。

もしわたしの友人が、
「1か月前に出会って一緒にいる彼と、
住む環境や結婚、子どもについて話したんだ」

と言ってきたとしたら、
一瞬戸惑うかもしれない。

「ん?そんなに早く?
なにか焦ってる?」
と思わず思うだろう。

でも全くそういう訳ではない。
純粋な興味と、
お互い将来を
どんな風にイメージしているかを知るために話す。

わたしは、
パートナーと何か一緒にこの世界に生み出す、
ということを
ずーっとやりたいと思ってきた。

だから、
パートナーとの時間を数年間は
たっぷり過ごしたい、と今は思ってる。

一緒に仕事をして、
自分たちだから
生み出せる価値を提供してみたい。

場所を設けて、人々を招いて、
何か学んだり、時間を共有したり。

一緒に何かを創り上げたり、
同じ経験を思いっきりしてみたい。

そうした中で、
「そろそろ家族を持ってみたい」
とお互いが思い始めた段階で、
次のステージにいってみたい、と思う。

「結婚とか子どもって、どう思ってる?」
と言われたとき、
上のように答えた。

「よかった。ぼくもそう思うんだ。」と言い
「うんうん、似てるね、よかった。」
となんとなく確認しておくだけで安心した。

これはふたりのことだから。

そうそう、
「子どもはただ年齢も関係してくるから、
個人差はあるだろうけど、
いつまでがリミットなのかは気になる」
と伝えると、

「いいmovieがある」と、
“When you have a baby ”という

わかりやすいイラストと共に
さまざまなデータをベースにした、
4分くらい映像を話した後にみた。

そういうmovieの存在を知っていて、
ちゃんと観ているのが彼らしい。笑

わたしより、よっぽどこういうことをよく知っている。

A down to earth man.

とてもありがたい。

結婚のタイミング、
それはそれぞれの価値観にもよるだろう。

彼もわたしと同様、
自分と自分の人生と
しっかり向き合いながらも、

「自分にぴったりのパートナーにもう出会えないのかもしれない、」

とあきらめかけていた時に、
わたしと出会ったため、
互いにパートナーとの時間を結婚する前に
大事にしたいと思っている。

改めて自分たちのことを想うと、
「ああ、本当に時間の長さではないなぁ」
とつくづく思う。

もう何年もお互いを知っているような
錯覚さえある。

“出逢ってからの時間が長いからいい、”
“お互いのことをよく知っている、”

そういうイメージはあるが、
本当にそうだろうか?

たとえ幼なじみであっても、
話す内容が偏っていたりする。

自分にすごくフィットする場で出会った人や、
人生のターニングポイントとなる時に
短くとも濃い時間を共有した人たちの方が、

家族や仲間のように感じてしまうことは
何度か体感している。

どんな自分も見せられる、認め合える、応援し合える家族や、刺激し合える仲間。

期間の長さではなく「濃さ」なのだと思う。

きっと、共感する人もいれば、
そうではない人もいると思う。

それは個人の価値観や、
人生の歩み方によって、
分かれるのだと思う。

それも個性だ。

だから人は人から学べて、磨き合え、成長して、
世界が飽きることなく、
おもしろい、と映るのだと思う。

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