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上高地 「神への冒涜」というパワーワード

2023年の夏、僕らが長野を旅したときのこと。

上高地

上高地とは、長野県松本市にある標高およそ1500mの山岳景勝地である。清流梓川(あずさがわ)と穂高連峰の眺めが美しく、特別名勝と特別天然記念物にも指定されているらしい。「国が認めた借金救済制度」とかいう胡散臭い広告をよく目にするが、その言葉を借りるなら、上高地は「国が認めた絶景」ってことだ。

そんな絶景に失礼を承知で白状すると、そこまで上高地に行きたかったわけではない。というのも、それまで計画していた「青森ねぶた祭り」の観覧チケットが確保できず、計画が振り出しに戻ってしまい、夫婦ともに旅への意欲がドン底に落ちていたからだ。どうにかして搾り出した行き先が上高地だったのである。妻が描いた青森のゆるキャラ「マギュロウ」が怒りをあらわにしてこちらを睨んでいた(目は常に怒っている。)。

上高地まではマイカーで乗り入れることができないので、沢渡(さわんど)バスターミナルからシャトルバスに乗って上高地バスターミナルまで行くのが王道ルート。僕らは始発である午前5時のバスに定員ギリギリで乗り込む。

大正池

僕らは上高地バスターミナルより手前(下流)にある大正池を見てみたかったので、そのバス停で下車をするつもりだった。しかし、50人ほど乗客がいるのに、直前になっても降車ボタンが押される気配がない。

戦犯になりたくないので、なるべく降車ボタンは押したくないし、「たいしたことない池なのか?」と不安になってくる。しかも、僕らの席は後ろから2列目で、通路には補助席を使用している乗客もいるのだ。この人たちに補助席を畳ませて降りるのは断腸の思いだったが、意を決して天井の降車ボタンを高速で押下する。

結果、僕らともう一組しか降車しなかったのだが、1対1の「降車チキンレース」で負けた気がした。

大正池では、早朝にしか拝めないという霞がかった池を見ることができた。湖畔には20人程の観光客がいたが、まるで図書館にいるような緊張感のある空気を共有しており、みんな息を呑んで池の畔に佇んでいた。少し視線を上げると、霞の向こうに浮かび上がる焼岳の山頂だけが朝日に照らされ、神々しくその存在感を放っている。

大正池

河童橋

大正池から河童橋まで1時間30分ほど歩く。上高地で最も有名で、最上級の景色が河童橋の周辺だ。観光客の多さにうんざりするものの、温かみのある吊り橋、後ろにそびえる穂高連峰、陽の光を反射してキラキラと緑色に輝く梓川の組み合わせは、これが現実かと疑うほどに美しい。

河童橋

午前7時頃に到着したときには、既にそこそこ観光客がいて、かろうじてソーシャルディスタンスもとい、パーソナルスペースを保つことができた。帰り通りかったかっとき(午前11時頃)には、この10倍くらいに人が増えていて、そこにいるだけで疲れてしまいそうだった。

山岳地帯を訪れるときは、比較的雲が晴れている朝が良い。しかし、河童橋の場合、早過ぎると日陰が多いため、鮮やかさを求めるなら昼間がオススメだろう。一長一短という感じである。

近くで売っていた信州牛のおやき、メンチカツ、わさびコロッケにかじりついてエネルギーを補給。梓川右岸コース(下流を眺めたときの右側を右岸というと決まっているらしい。)を歩いて明神池を目指す。

このコースは、小川のせせらぎを所々に感じる湿原の道だった。緑が生い茂る中、敷かれた木の板の上を「トントントン」と小気味良いリズム刻んで歩く。疲労は感じてきたが、ほぼ平坦な道なので、息切するほどの辛さはない。

早い時間なのに下山してくる観光客はいて、擦れ違い様に「こんにちは」と声をかけてくれる。何度か挨拶を交わすうちに、声をかけてくれるのは年配の方々が多いように感じた。山では挨拶をしようという習慣は古いものになりつつあるのかもしれないが、それでいいと思う。仮に一人旅だとしても、僕は人との交流を求めているわけではないので、正直面倒になる。早いところ廃れた方がいい。(挨拶してくれるのは単純に嬉しいが、嬉しさが面倒くささを超えてこないだけである。フォローになってないか。)

明神池

明神池にある桟橋の先に小さな鳥居がある。桟橋の手前には線が引いてあり、ここから先は一人ずつしか入ってはいけないしきたりがあるようだ。次の人は線の手前で待っている。相当神経が図太くない限り、桟橋にいられるのはせいぜい1分である。

桟橋の先に立ち、周囲を池に囲まれてゆっくり景色を楽しむことなんてできやしないので、ほとんどの人が写真を撮っておしまいになる。旅としてそれでいいのかという疑問がないでもない。

桟橋以外の場所から池を眺めても、鏡のような水面と丸い池の形は美しい。猿が池を泳いでいるのも見ることができた。

明神池

パワーワード「神への冒涜」

気持ちよく池を眺めていると、突然「神への冒涜(ぼうとく)だ!」と叫ぶ声が聞こえてきた。冒涜とは、神聖なものをけがすこと。現実にそんなセリフを言い放つ人がいることにも驚いた。

前後の会話から推測するに、この池で足を洗った観光客がいたようで、それを見た別の観光客がブチギレたようだ。そんなに怒らなくてもいいのに。

足を洗うのはマナーとしては良くないとは思うが、「神への冒涜」と言われると、そのパワーワードばかりが気になってしまう。まだ「所有権の侵害だ!」のほうが納得できる。手を洗うなら許されるのか、手と足の違いは汚さなのか。手水舎でなら足を洗って(清めて)もいいのか。様々な論点が出てくる。とにかく、神仏系を他人に押し付けるのは良くない。

話が逸れたが、明神池は穂高神社奥宮の敷地内であるため、入場料がかかる。この神社では御朱印をいただけるのだが、そんなことは知らなくて御朱印帳を持ってきておらず、予め書かれた紙をいただいた。これを家に帰ってから御朱印帳に貼ろうとしたのだが、なんと紙のサイズが御朱印帳より僅かに大きく、カッターで切らなければならなかったのだ。さすがにサイズは合わせて欲しいと思う。妻はこれは印刷だと疑っており「印刷機をあんな高いところまで運んだのか!」と怒りをあらわにしていた。印刷だとしても、麓で印刷したものを運んできたのであろう。

明神橋を渡り、左岸ルートで河童橋まで戻る。こちらは乾いた白砂や砂利が多い道で、沖縄にありそうな「海まで続く道」のようだった。午前11時頃なので、今から登ってくる観光客が多い。

河童橋の近くにあるビジターセンターに寄ってお土産などを見る。なぜか記憶に残っている大学時代にこの辺で買ったキーホルダーは当然売っておらず、別のキーホルダーを見てみた。しかし、既にキーホルダーが欲しい年齢でも、時代でもなくなっているようだった。

壁にかかった中部山岳国立公園南部地域の赤いポスターのシンボリックな槍ヶ岳が印象に残ったのは、どこかアメリカの国立公園を意識した絵柄だったからかもしれない。

中部山岳国立公園南部地域のポスター©環境省


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