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神仏参拝で結ばれる縁 それは歓迎のサインかも

学生時代からよく観光目的(お寺訪問)で京都に出かけていました。(いちお日帰り圏内)

昨年末に個人鑑定してもらった縁もあり、神仏参拝との心の距離がより一層近くなった気がしています。

今年はこれまで以上に新しい神社に参拝するだけでなく、神様からのサインなども少しずつ深掘りしていければと考えてます。

あくまで本やネットの情報がベースになっていますが、備忘録の意味も込めて「これは神様からのサインでは?」という己が体験した現象を幾つか記してみます。

それは神様の歓迎サインかも

①天気が急変する(急に晴れたり、雨や雪が降ったりする)
②突風が吹く
③空気の違いを体感できる(体が暖かくなったり、すっきりした気分になれる)
④ご祈祷に立ち会う
⑤結婚式に遭遇する
⑥人払いが起きる
⑦動物などに出会う
⑧宮司や住職から話しかけられる
⑨おみくじで大吉をひく

などが己の体験談に挙げられます。

これらを意識し始めたのはごく最近なのですが、今振り返ると以前から神社参拝時に、ご祈祷や結婚式などを意外と目にしていたような気がします。

ちなみによく自分が出会うサインは④のご祈祷と⑧ 宮司や住職との会話。ある意味セットに近い事象ですね。
④では、太鼓の音をよく耳にします。
さらに⑧を派生させると、雲水や巫女など見習いの方が急に自分の目の前を通り過ぎたり、目が合って挨拶をしてくれる事もあります。

あとは⑦の動物に遭遇。蛇や蝶々というパターンはネット上でよく目にしますが、私は圧倒的に鳥類。特にカラス(八咫烏)がダントツです。

以前白髭神社(滋賀)本殿をお参りした際、辺りの写真ばかり取っていて、奥宮参拝を後回しにしていたことがありました。
そうこうしているうちに突然カラスが自分の側に飛んできて、カアカアと激しく鳴くのです。

多分、神様の使いである眷属がシビレを切らして「おまえ、いつまで写真取ってるんじゃ!はよ、奥宮に参拝に行け!」と言っていたのでは?と思ってます(妄想)。

基本、神社に参拝した際に複数個の不思議な現象が起きたら、神様が歓迎してくれているのではと前向きに捉えると、自身の気持ちも上りやすくなると考えています。

神仏参拝とは 心を落ち着かせる瞬間

以前までは神社を訪れた際、あまり願掛けもせず簡単な挨拶で済ませてそそくさ帰るようなタイプでした。少し真面目?にじっくりと参拝するようになったのはここ最近になってからのことです。

ところで先日、比叡山麓ある京都の九頭龍神社に参拝してきたのですが、ここの参拝方法はとにかく他と比べてもユニークなのです。

本殿前で二礼四拍から簡単な祝詞を複数回唱えたり、本殿周りの敷地内を9回ぐるぐる回ったりするのです。

同じところを行ったりきたりする参拝は勿論初経験。最初は何気なく境内を歩いていたのですが、時間を追うごとにこんなことを感じ出しました。

自分たちの願い事を心に念じ、ただお祈りして帰るのでなく波動の高い神社の敷地内に長く留まることで、己の精神を落ち着かせるという意味合いがこの作法にはあるのではと感じたのです。

他にもロウソクに毛筆で名前を書いたり(習字は苦手)、おみくじを引いたりでなんだかんだと約1時間は滞在していたと思います。

それだけ長い時間神社に留まり続けていると、願い事を叶えてもらおうという我欲や我執のような思考は自然と薄まっていきます。
加えて心持ちもだんだん落ち着いてきますし、冷静に自身を俯瞰視できるような空間と時間がここにあるのだと感じました。

まとめ

現代社会は日々の変化も大変目まぐるしく、その流れに付いていくのもやっとのことです。
さらにこの世界における価値観はより多様性になってはきましたが、二元化や分断化がされやすくもなりました。

そんな混沌した状況の中、心を落ち着かせる手法として、マインドフルネス(瞑想)やアンガーマネジメントが改めて注目されたりしています。しかし、日本人にとって一番合っているやり方は、神仏参拝ではないかと考えます。

普通の人は怒りを露にした状態で神社には参拝しないだろうし、妬み満載の気持ちで仏様に手を合わせないと思います。

よく家の外塀で用足しする人向けの対策として小さな鳥居を設置したりするのは、日本人の内面に秘めた神仏精神に問いかける良い事例ではないでしょうか。

神仏参拝から日頃の生活を振り返ったり、自身を内省する時間を作り出したりすることで、己の成長や飛躍へとつながっていくこともできるのではと思ってます。

闇雲に生き急ぐのではなく、時には神仏参拝で心を整えてみてはいかがでしょうか。

ここまでご愛読ありがとうございました、








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