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私の女子サッカー観戦史 ‐2‐ 

私の女子サッカー観戦史 ‐1‐ に続き第二弾です。日本女子代表躍進の始まりからなでしこジャパン誕生、そしてアジアから世界へと突き進んでいった2010年くらいまでの私が見てきた女子サッカーの記憶です。

日本女子サッカーの進撃の始まり

2000年代に入ったころから少しづつ力をつけてきたサッカー日本女子代表ですが、世界はおろかアジアで勝つのも一苦労な時代がありましたね。そんなアジアの壁を破ったのが、アテネオリンピック2004アジア地区予選準決勝朝鮮民主義人民共和国(北朝鮮)戦だったのです。

この試合は観に行きたいと初めておもった女子サッカーの試合でしたが、同じ日にJリーグの試合を見に行く予定であったので残念ながら見に行くことはできず、のちに思えば行けなかったことが非常に悔やまれる日となったんですね。

Jリーグ観戦から帰宅後、自宅で結果とハイライトを見て驚きと歓喜をしましたね。今まで勝つことができなかった北朝鮮に勝利。それも3-0の完勝ではないですか。歓喜の国立競技場の上空に映し出された大きな満月は非常に印象的で心に残るものでした。

この日の国立競技場につめかけた3万1324人の観客は今でも日本女子サッカー国内最多観客動員記録になっています。2004年4月24日は日本女子サッカー界にとって大きな節目、進撃の始まり、女子サッカーの夜明けとも言える日になったと思っています。

愛称は「なでしこジャパン」に

2004年の7月頃に新聞報道などでサッカー日本女子代表の愛称が公募により「なでしこジャパン」に決まったということを知りました。第一印象としては正直うーんあまりしっくりこないなぁ・・・とは思ったものの、試合を見続けていくうちに慣れていったのかあまり気にしなかったのですが、勝つこと、良いサッカーになっていくことでしっくりくる愛称に思えるようになるんですね不思議と。

誕生浦和レッズレディース

2004年におこなわれた「浦和レッズを語る会」で犬飼社長(のちの日本サッカー協会会長に就任)がLリーグの「さいたまレイナス」を浦和レッズ傘下に入れ浦和レッズレディースとして活動をするとの発表を聞いた瞬間は「ついにレッズも女子チームを持つのか!」と気持ちが盛り上がりましたね。

始まりの元日決戦

2005年1月1日に行われた全日本女子サッカー選手権大会(のちの皇后杯)決勝ベレーザとさいたまレイナスの試合を観戦したのですが、振り返るとこれが私のスタジアムでの女子サッカー初観戦でした。

この試合で埼玉レイナス最後の試合となったのですが、浦和レッズレディースとなるチームを見てみたい衝動にかられ観戦となったのです。残念ながらレイナスはベレーザに敗れ準優勝に終わったのでした。やはり悔しい気持ちが沸き上がりこの時から私の打倒ベレーザの始まりとなったのでした。また、その後の天皇杯決勝でヴェルディが優勝、初の同一クラブ男女同時優勝。ヴェルディとベレーザの選手が一緒に記念写真を撮っている光景を見て羨むと同時にいつの日か浦和レッズ、レッズレディースが同時にタイトルを獲ることを願う夢の始まりでもありました。

‐3‐に続きます。

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