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International Communication

高専の時に、フィンランドのMetropolia University of Applied Sciences(以下、メトロポリア応用科学大学)に短期留学したときの思い出話をする。

フィンランドへの2ヶ月間の留学は、私にとって初めて海外に長期滞在する機会であった。そのときの体験は、私の乏しい感性を豊かにし、視野を広げてくれた。今回は、その中でInternational Communicationという授業のことについて触れる。

メトロポリア応用科学大学では、夏休み期間に2週間のサマースクールがあり、さまざまな授業を取ることができる。私たちの短期留学では、前半にサマースクールでいくつか授業をとり、後半は大学でプロジェクトを行うスケジュールになっていた。そこで、私は一緒に留学したもう一人の学生と、いくつかの授業を履修した。その一つが、International Communicationである。

私は今でも英語は得意ではないが、当時の私の英語力は散々なレベルで、まともな日常会話もあやしかった。しかし、好奇心と楽観的な無知のおかげか、この授業を選んでいた。事前に宿題として100ページ程度の英語のテキストが送られてきた時には、分量の多さにやや後悔もあったが、最終的にはこの授業を取れてとても良かったと思う。

授業は、デンマーク出身の先生が行っていた。参加者は、フィンランド、デンマーク、ドイツ、オーストリア、ウクライナ、そして日本と様々な出身であった。授業は英語で行われ、内容は主にコミュニケーションの方法についてである。講義形式の座学というよりは、対話による実践を主軸において進行するので、椅子を円形に並べて参加者同士で向かい合うような形式で行われた。

授業の詳細についてはあまり覚えていない。というのも、そもそも私がそこで話されている内容についていけずに十分に理解できていなかったし、だいぶ前の話だからである。でも、大雑把には、アイコンタクトが重要とか、第一印象が大切とか、いってしまえば当たり前のことが多かったと記憶している。そんな中で印象的だったことがいくつかある。

当時の私にとって、ヨーロッパの様々な国の出身者が一堂に介しているという機会が新鮮であった。ヨーロッパという地域があり、たくさんの国があることはもちろん知っていたが、その地域で生活している人たちが異なる文化背景を持っているという当たり前のことを私はこの授業を通して実感した。

例えば、参加者のほとんどは母国語が英語ではない。そのため、英語が得意ではないと遠慮がちに語ったドイツ出身の女性やオーストリア出身の男性の言葉が印象的であった。ただし、当時の私からしたら彼らも流暢に会話しているので、個人の性格的ものもあるし、言語的なルーツの距離を感じたりもした。そういう振る舞いも含めて、乱暴な言い方をすれば、目の前にいる人たちのリアリティを強烈に経験したのである。

授業の中では、自分の生い立ちや個人的な話をする機会も多くあった。あるお題では、参加者の半分が一度教室を出て、半分が教室に残る。教室に残った参加者は先生から話す話題についての指示とその意図を説明される。その後、教室から出た人たちが戻ってきて、残っていた人たちから話を聞いて何かしらのリアクションをとるというものがあった。

私はただでさえ、英語の聞き取りで四苦八苦している中で、どんな話が振られるのか文脈がわからないという状況にビビっていた。そして、教室に入ると、ウクライナ出身の男性の前の席に座った。

彼は、カップルと一緒に参加しており、なんとなくすかした雰囲気がある印象を持っていた。そんな彼が話したのは、彼の兄についてであった。当時の私の拙い英語力の理解によれば、彼の兄はギャングか何かに参加しており、ドラッグにも手を出しているという。そんな兄に対してどうしたらよいと思うか意見を求められた。

これがどこまで事実なのかわからないが、この話をしているときの表情や雰囲気は、軽い口調ながら真剣なものを感じた。私の語彙力では、それに対して大したことを返すことができなかった。だが、こういう話題を話す機会があることそのものが貴重な機会だと感じた。

このときの話題が結局何だったかは覚えていない。おそらく、深刻な話に対してどういう態度をとるべきか、というようなものだったと思う。

私も彼も母国語ではない英語でどこまでお互いのことを伝え合い、理解できたのかはわからない。そもそも、他人のことを理解できると考えること自体が楽観的である。しかし、あの瞬間少しだけ、彼の人生のほんの一部を垣間見ることができた気がしている。

2週間の授業はあっという間で、この期間で英語力が飛躍的に伸びることはなかった。それでも、コミュニケーションを取ろうとすれば、言語的な障害を乗り越えて対話することができる可能性を実感した。

さて、この話を書くきっかけは昨今の世界情勢にある。ウクライナ出身の彼が現在どうしているのは残念ながらわからない。また、フィンランドもロシアの隣国であり、緊張感が高まっている。今現在進行している状況について、私は十分な情報を持っていないので発言は控えるが、それでも、今起こっていることが画面越しのどこか遠くの場所の出来事というわけではないのだと感じる。

International Communicationの授業は私個人にとってのきっかけであり、ここで書いたようなことは、日本国内で暮らしていても考える機会はある。程度は違えど、出身地が異なる人たちと触れ合う機会は少なくない。ただ、衝撃度というか、強烈な印象として、これらの出来事は私の価値観の一部を形作っているように思える。なんだか、この経験をうまく伝えられない自分の文章力の低さに悲しくなる。

フィンランドでの思い出はたくさんあるので、また折に触れて話ができればと思うが、今回はこの辺りで筆を置くことにする。

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