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カジュアルにホメルスタンス

褒められて嬉しくない人は少ないと思う。
尊敬する人や先生だけでなく、友達や後輩に褒められて嫌な気持ちになることはほとんどない。少なくとも私は嬉しい。

誰に褒められるかだけでなく、どのように褒められるのかも重要かもしれない。何か賞を受賞する時にように、大勢の前で大々的に褒められることもあるだろう。これはそう頻繁にあるわけではないので、少し照れ臭さも感じてしまう。本人の目の前ではなくどこか第三者の間で褒められるということもあるかもしれない。この場合は、後々何かのきっかけで知ることになるかもしれない。身近な例では、休憩時間や廊下ですれ違った時、ランチタイムの雑談の中で褒める・褒められるといったやりとりがあるかもしれない。

さて、私はできるならカジュアルに褒められたい。それはそんなに大袈裟なことじゃなくてよい。例えば、朝早く起きられたこと、打ち合わせの段取りが良かったこと、研究の実験や実装がうまくいったこと、など。そんなことは些細なことじゃないか、というかもしれないが、多くの場合、日常は些細なことの積み重ねである。ならば、その時々でポジティブな感情を演出することが大切だと思う。

そして私は、褒められるだけでなく、褒めたいとも思っている。例えば、後輩がミーティングで自分の考えや研究の計画を自分の言葉で説明したとき、スライドを作って発表をしたとき、実験を実施したときなど。とにかくその節々で気軽に褒められればと思っている。

できて当然のように思っていることのひとつひとつが、それをやり切るということ自体がとても尊いことだと考えている。もちろん、もし研究者としてプロになるのであれば、研究計画を書くことに一喜一憂していられないかもしれない。本質的な仕事に対して称賛なり批判をうけるべきなのかもしれない。しかし、少なくとも研究室の学生が何かを行うといった状況においては、その行動ひとつひとつを、試行錯誤の喜怒哀楽も含めて褒めてあげられるような心持でありたいと考えている。

だから、例えば、研究室のミーティングで、発表した学生に対してどこかしら褒める部分を探している。スライドのレイアウトが良かったとか、説明がわかりやすかったとか、ハキハキとしゃべれていたとか。ただ、最近はオンライン形式になり、そういったゆるいフィードバックをするのがやや難しいという印象がある。SNSのいいねボタンのようなものを、さりげなく、カジュアルに返せるような雰囲気と仕組みがあれば良いなと思う。

最後に、ややひねくれた見方をすると、褒めることも褒められることも自らの承認欲求を満たすだけの行為ではないかと捉えられる。褒められて嬉しくない人は少ないという前提から、褒めることが相手に対して良いことであるという結論を導くのは独善的かもしれない。「あなたには褒められても嬉しくないし、むしろ迷惑である」と感じる人もいるかもしれない。その場合は人間関係の問題なので仕方ない。ただ、それでも人を非難するような行動よりは何倍もマシだと考えている。

ただ、私は褒められて嬉しいので、褒めてほしい。ただ褒められたいだけという甘えかもしれない。もしかしたら、褒められているという動作があるだけでよくて、そこに中身がなくても良いのかもしれない。例えば、会話における相槌のように、ただの条件反射のようなもので良いかもしれない。それならそれ尚更お手軽だ。だから、勝手に勘違いして嬉しくなるくらい、自然に、カジュアルに、日常的に褒めて、褒められていこうと思う。

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