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ろぼっとって、なんだ?

ASIMOが20年間活躍した日本科学未来館の科学コミュニケーターを3月末で卒業する。

ASIMOが誕生したのは2000年である。それが世の中に、そしてロボット業界に与えたインパクトは計り知れないだろう。社会的、学術的な影響についての説明は詳しい人に委ねるとして、私とASIMOとの思い出を綴る。その後に未来館の話もする。

前座のASIMO

私のASIMOの印象は、未来館よりもむしろ高専ロボコンとの関連が強い。

一時期、高専ロボコンの全国大会では、前座としてASIMOがルール説明をしていた。テレビでは放送されないが、両国国技館の競技場でASIMOがある種のパフォーマンスをするのである。また、開会式で選手が入場したあと、ASIMOが選手達の間を横切って登場した。

私が現役の頃はちょうど二足歩行のレギュレーションが前提での競技であったため、軽々と横切って歩く姿と、その動きの割に動作音がほとんどしないことが印象的だった。実は中に人が入っているのではとちょっぴり疑ったりする。

そんなこともあり、高専時代の私にとって、ロボットでイメージするものといえば、現実であればASIMO、フィクションであればドラえもん、というくらい大きな存在であった。エンジニアがロボットに携わる動機付けとしてありきたりだが強力な象徴であった。

最先端ゆえの新陳代謝

今回の話題のもうひとつの主役である未来館について。私の修士の研究活動は未来館で行っており、非常にお世話になった。その話はまた別の機会にしようと思う。

未来館の展示の特徴は、最先端の科学技術を扱う点にある。そのため、展示の内容を少しずつ更新していかなければいけない。そのため1つの展示エリアは10年程度で入れ替わっている。なので、小学生の頃に社会科見学で訪れて観たものが別の展示になっているのである。

そう考えると、ASIMOが20年間未来館の顔として活躍し続けたのはすごいといえる。途中で少しづつ機能を更新していたとはいえ、最先端のロボットであり続けるというのは相当なことである。最近では、ヒューマノイドロボットといえばBoston DynamicsのATLASをイメージする人も多いのではないか。その意味では、ASIMOの最先端ロボットとしての任務は次に移ったのかもしれない。

ヒューマノイドロボットのその先へ

ASIMOの卒業は、ある意味で00年代からの日本のヒューマノイドロボットの一時代の区切りと考えられるかもしれない。わたしたちがかつて未来に描いていたロボットと共生する世界観の一部は、ヒューマノイドロボットとしてはまだであるが、サービスロボットという形で世の中に実装されつつある。そんな中で、この先のロボットは何を夢見ながら開発されるのだろうか?

され、ここで告知である。未来館では、3月18日から特別展「きみとロボット ニンゲンッテ、ナンダ?」が開催される。以下、開催概要から一部抜粋して引用する。

さまざまに発展・拡大を続けるロボット技術は、私たち人間にとってなくてはならないものです。工場などで活躍する産業用ロボットだけでなく、人間と同じように動く人型ロボットや、家族の一員のようにも感じられるパートナーロボット、写真や音声などのデータから生み出されるデジタルクローンまで、いまや「ロボット」の定義や概念、形も多岐にわたります。それはひるがえって、ロボットと人間の関係性が多種多様で複雑になってきたということなのかもしれません。私たち人間とはどのような存在で、どのような思いをロボットに抱き、今後どのような関係を築いていくのでしょうか。

この展示には私が関わった研究も展示される予定である。もしかしたらここにロボットのこの先の未来についてヒントがあるかもしれない。機会があれば足を運んでいただければ幸いである。

やや駆け足な文章と告知になったが今回はここで筆をおくことにする。

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