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人はエネルギーを奪い合っている 聖なる予言

私にとって、とても大切なある方が、「聖なる予言」という本を読んでいることを知り、あらすじだけをさらっと読んで、即座にAmazonで中古のものを購入した。

ちょうど購入したのが、軽バンの中に木で家を作っている最中で、旅に出たら読もうと心に決めていた。それが一番ふさわしいタイミングであるように感じていた。

時は1ヵ月近く経ち、ちょうど4日前に旅立った。旅の初日に封を開け、少しずつ本を読み進めた。読む人を選ぶ本だと言われていたけれど、私はここ最近で、一番のめりこむ様に読んでいる。


中学1年のとき、担任の先生がこっそり、オレンジジュース2本を教室に持ってきて、とある実験を私たち生徒に行わせた。それは、1本のジュースには「愛している」「大好き」「美味しそう」といった前向きな言葉をかけ、もう一本のジュースには、「まずそう」「気持ち悪い」「吐き気がする」といった否定的な言葉をかけるというもので、どう味が変化するのか確かめるというものだった。

そして、信じられない結果になった。「愛している」とか「大好き」と前向きな言葉をかけていたオレンジジュースは甘く、「まずそう」「気持ち悪い」と否定的な言葉をかけたオレンジジュースは、酸味が強く感じた。それもクラスのほぼ全員が同じ意見を持っていた。

もちろん、オレンジジュースは両方とも開封前で、メーカーも、賞味期限も、同じものを使っている。


この信じられないけれど、私の目の前で実際に起きてしまった現象を、「聖なる予言」では説明している。エネルギーという言葉で登場し、本書ではオレンジジュースの代わりに、人が作物に与える影響を観測している。

霊的なものにはあまり触れてこなかったのだけれど、私自身中学生のときの原体験があり、あのときの不思議な現象を説明するには、これが一番しっくりくるように思えるのだ。


そして昨晩、続きを読んでいると、エネルギーの奪い合いという概念が出てきた。人はエネルギーを奪い合いながら、生きているという。人と話すとき、自分が優位に立とうとして、主導権を奪おうとすれば、それは相手からエネルギーを吸い取っているのだという。逆に、相手に合わせたり、過剰に気を遣っているときは、エネルギーを吸い取られているときだ。

きっと誰しもが、人からエネルギーを吸い取った経験も、吸い取られた経験もある。話した後に、元気になるとき、疲弊してしまうとき。行くと元気になる場所、疲れてしまう場所。奪う側と奪われる側。


私はエネルギーの奪い合いという概念を通して、過去の自分を顧みると、恥ずかしい気持ちや、後悔の念も少々わいてきた。そして、昨晩Youtubeに動画を投稿したのだが、それが見る人のエネルギーを吸い取るのじゃないかという気がしてきて、1時間後に非公開にした。どうせ世に何かを送り出すならば、エネルギーを吸い取るものではなく、エネルギーを与えるものを出したいと思ったからだった。

エネルギーを与えているつもりでも、実はエネルギーを奪っているということもこの世界には起きている。


ネット上、特にSNSやyoutubeには、エネルギーを吸い取るものと、エネルギーを与えてくれるものの2種類がある。しかし、おそらく前者が大半を占めていると思う。

私は旅をしている今はほとんどSNSを開かず、代わりに運動をしたり瞑想をしたりしているのだけれど、以前と比べて身体の調子は良い。

原付生活をしていたとき、道の駅でウクレレを弾いていたらたまたま出逢ったフルマラソンの高橋尚子選手の友達だという方のエネルギー量はすごく高かったことを思い出した。

まだ本書を読み進めていく必要があるのだけれど、運動や瞑想、睡眠、といったものは、人のエネルギー量を高めるのだと思う。


引き続き、旅をしながら、この本を楽しみたい。

今日もお元気な1日を!

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