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猫に小判、愚者にSNS

こんにちは。
今日はお昼間にnote作成です。

お昼間だとまだ脳が働いているので
昨日書いたnoteのように頭を働かせないように
書くことが少し難しいですが、今日もサクサク書いていきます。

今日のテーマは
「猫に小判、愚者にSNS」です

最近も盛り上がっている時事テーマの一つに
「ラウンジ嬢が高級寿司屋の店主に殴り掛かられる」
というニュースがありました。

知らない方は調べればすぐに出てくるのでぜひ調べてほしいですが、
とても簡単に省略すると
ラウンジ嬢がお店側に苦言を呈してそれに店主がキレた。という内容です。
これだけだと店主が短気に聞こえますが実際はもっと内容があり
店主が悪いとも言い難いのでぜひしらべていただきたいです。

私は実際に現場を見てないので良し悪しは判断できません。
ただ、私が色々調べてて感じたことがありますのでそれについて話します。

愚者にSNSの価値をはかることはできない

私はこの件について朝起きてから30分くらい
ずっと各種SNSやYouTubeを見ていました。
もちろんラウンジ嬢本人のXも見てきました。
そんなことを続けて、ふと思ったんですね

「あれ?これって俺の人生に関係なくない?」

調べてる時は店主の気持ちになったり
ラウンジ嬢の気持ちになってみたり大忙しでした。

ただよくよく考えてみると、私はその二人でもなければ
店主を止めた店員でもないし、その日店にいた人間でもないわけです。
なのになんでこんなに色んな感情を躍らせて、
朝の気持ちいい時間を使ってるんだろうと。
そう思ってすぐにSNSを閉じて朝ごはんにしました。

多分、こういう人たちが多いと思うんです。
実際にはなんにも関りのない人に
やたらめったら執着し続けてしまう人。
これは批判コメントをする人だけに限定されるわけではなく
見てるだけの人も私と同じように感情が躍っていたら同じわけです。

こうやってSNSという濁流にのまれて言ってしまうんだと思います。
猫に小判の意味は
どんな立派なものでも、価値がわからない者にとっては、何の値打ちもないものであるというたとえ
とあるので、若干意味は違いますが

私を含む「愚者」はSNSを全くうまく使いこなせていないと思うんです。

情報と感情をちゃんと分けられる方であれば全く問題ないのでしょうね。
そういう方たちがSNSというものをうまく活用していくのでしょう。
そうでない方は、私と一緒にSNSをできるだけ早く
シャットアウトするほうが幸せかもしれませんね。

他人の人生を生きる人たちへ

私が30分以上かけて自分には全く関係ないことだと悟りSNSを閉じました。
こういうことを繰り返していると

他人の人生を生きてしまう。

そう強く感じました。
自分に関係のない人のことで頭がいっぱいになり
気付けば、時間だけが過ぎていく。
何日経ってもそこにしがみつき、そこに人生があると錯覚する。


そもそもテレビもなければケータイもない
SNSなんてもってのほかの時代であれば
今回のような騒動に気持ちを持っていかれることはないわけです。
だって知る由もないんだもの。

今の時代は良くも悪くも知ることが出来てしまう。
それがゆえに気づけば時間も奪われ
現実と関係ないことに感情を揺さぶられ
そして自分の人生を見失ってしまう。

あなたの人生は目の前にあります

少なくともSNS上の赤の他人にはありません。
そしてSNS上の赤の他人はあなたの心を身体を暖めてくれはしません。

それでもSNSの濁流にのまれ、他人の人生を生きますか?


30分以上見続けた私ものまれそうになっていたので
SNSをそっと閉じて、愛する妻に、愛する猫に話しかけ
そっと抱きしめて、「自分の人生を生きよう」と改めました。

深く考えすぎたかもしれませんが
物事の奥深くには常にこういう真意が転がってると思います。
それを感じながらこれからも生きたいな。

今日もありがとうございました!
また明日よろしくお願いします。

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