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爆音に慣れろ。そして楽しめ。

私たちは今、真っ新な状態なのかもしれない。

世の中は、大きな音を立てて新しいものに変わりつつある。人生で初めて行ったライブハウスは、福岡県のとある場所にある老舗。ライブは既に始まっていて、受付で事前に購入していたチケットをもぎってもらい、微かな中にも重低音を感じる扉を恐る恐る開けた。恐る恐る、だ。恐る恐る開けたのに、突如耳に入ってきたのは、「うるさい!」という感情が最も相応しい大音量。コンサート会場の心地良さを想像していたのだが、全く違う。耳を塞ぎたくなる衝動を抑え、低いステージに目を遣ると、知り合いのバンドが気持ちよさそうに演奏している。知らない曲だったが、自主製作音源を配布していた彼らの音自体は知っていた。リズムの整ったドラム、心地よく心臓に響く重低音を奏でるベース、決して単調ではない味のあるギター、そして上手でも下手でもない、でも何故か聞き入ってしまうボーカル。徐々に耳は慣れ、爆音が心地良くなる。その日を境に私はライブハウスの虜になっていった。

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ライブハウスを訪れたことのない人は、最初は私と同じ感覚を味わうことになるであろう。「うるさい」と。あんなうるさい音楽は聴いていられない!と。そう諦めて会場を後にする人もいるだろう。そして不思議なことに、ライブハウスの爆音というのは、どんなに通い続けてもその日一番最初に扉を開けた瞬間はやはり「うるさい」に近い感想を持ってしまうのだ。なぜか。人は突然の爆音には瞬時に対応できない生き物なのだなと思わされる。こんなにライブハウスが、ロックが、パンクが好きなのに。

そう、人の耳は、突然の爆音には対応できないようになっているのではないか。心地良い普通の音量の普通の空間から、一気に想像もできないほどの爆音の世界に身を投じた時、その環境に慣れるまでにはやっぱり時間を要する。人間の構造については全くわからないが、実体験からなんとなくそんな気がしている。

これは、今の、否、これから間違いなくやってくる、否、もう既に来ている「新しい時代」についても同じなのかもしれない。

私たちが平和だと思っていた普通の日常は、この世に存在する人類の誰もが想像しえなかった事態によって一瞬にして覆された。過去の戦争について学校で学び、過去の自然災害から教訓を得、再来するやもしれないそれに対応しようと、思考とモノの準備はしていたつもりだ。二度と起こしてはいけない戦争。予知ができない自然災害への備え。これらは全て、今現在この世を生きている人たち、せいぜい100年感で起きた出来事だ。スペイン風邪が流行したのは100年前。SARSなどが流行したのは最近のようにも思うし、エイズだって治療薬は未だにないが、とはいえ日本人にとってはどこか対岸の火事のような認識で、当事者意識は少なくとも私は皆無だった。少なくとも私は、と書いたが、おそらく多くの日本人が私と同じだろう。それがどうだろう、誰もが当事者になりうるコロナウィルスの襲来だ。もう戦争は起こしてはいけない。自然災害には備えを。自分たちが今後直面するかもしれない”記憶に新しく現実味のある”危機に対して色々な思考を巡らせながら生きてきたつもりだったが、未知のウィルスとそれに纏わる世の中の凄まじいスピードでの変化については全く想定していなかった。想定できるはずもない、どんな形であれ自分が生きてきた僅か35年間の中に、こんな苦境は無かったのだから。

小さい頃からの夢を実は少しずつ叶えている気がする―——私はこれからも好きな仕事で生きていきたい―——この仕事でもっと進化してやる———そんな野望は、コロナウィルスの前では全くと言っていいほど歯が立たない。世の中にとって必要なものとそうでないものが徐々に、そして確かに明確化していく中で、私のこれまでやってきたことは間違いなく後者だ。平和の上に成り立ってきたものだった。私は、ゴールデンでも何でもないGWあたりまで、「うるさい!」と思っていた。うるさいうるさいうるさい、と。急激に変化した世の中についていけずに、でもどうにか慣れなければいけないと思いながら「うるさい!」と叫んでいた。しかし、爆音は慣れるのだ。徐々に、「うるさい」とは思わなくなってきた。

「うるさい」と思わなくなった先には二つの道があるのではないだろうかと思う。爆音に適応し、現実を見据え生きていく人。もう一つは、爆音に耐えられずに逃げ出してしまう人或いは扉を一旦閉め、扉の向こうの爆音を前に立ち竦む人。私はライブハウスが大好きだ。というよりは実は、「ライブハウスが大好きな私でいたい」という側面があるのだ。音楽が好きで生音が好きで音楽好きの仲間と想いを共有したくて。それを叶えてくれる場所がライブハウスだからだ。思い切って「扉を開け」、「爆音に怯み」、「そして慣れ」、「それを楽しみ」、「かけがえのない時」を過ごす。

私たちは真っ新な状態で、扉を開けたのだ。現在の私は、「爆音に怯み、」の部分をクリアした気がしている。少々遅い。爆音を爆音と感じずに「それを楽しみ」まで一気に飛び越えられる人達だって大勢いるはずだから。私は怯んでいる期間が少々長かったように思うが、それは個体差があって当然だ。だって未知のウィルスなんだから。しかしここからが問題だ。慣れ、楽しみ、かけがえのない時にしたいから。

これまで誇りを持ってやってきた私の仕事は、今の状況を前にしては「要らない」ものになりつつある。口があれば、声が出れば、誰だって出来てしまうものだから。じゃあ、自分にできること、否、一度しかない人生をどんな状況でも充実したものにするためには何ができるだろうか。良くも悪くもコロナ禍は凄まじいスピードで世の中のあらゆる分野を加速させた。今、この瞬間も、光の速さで進化しているかもしれない。これまでの生き方、これまでの理想、これまで描いてきた未来は、大きく、大きく変わることだけは理解した。あとは、取り残されないことだ。過去に縋るでもなく、これまでの自分の思考に囚われることもなく、ある程度の「これまで」を捨て、新しいものを拒絶せず、現実と未知の可能性に思考をチェンジしていこう。これまでの自分が「すべて」ではないのだから。

新しい扉はもう開いている。爆音を全身で浴びながらも、心地良く人生を歩めるように。

それと。早く私はライブハウスで爆音を浴びたい。音楽は人を救う。私は何度となくその力に救われてきた。私たちを救ってくれた音をどうにかして鳴らし続けたい。


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