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多様性を受け入れることの大切さを示した第6期ゲゲゲの鬼太郎

本日3月29日、約2年間続いた「ゲゲゲの鬼太郎」(毎週日曜日朝9:00~9:30、フジテレビ系列にて放映:以下、第6期)が最終回を迎えました。今回で6作目のアニメシリーズとなったゲゲゲの鬼太郎ですが、今作はいったいどのような作品だったのか、僕なりの考えをまとめました。

現代日本社会への問題提起

第6期の特徴として特筆したいのは、現代日本の社会問題を取り扱った話が多かったことです。もちろんそれぞれの話には妖怪が登場しますが、日本の現代の闇を皮肉ったような話が多かったように感じました。たとえば、第9話「河童の働き方改革」ではタイトルにある通り、近年日本で話題になっている「働き方改革」がテーマでした。IT企業で時給キュウリ3本で働かされていた河童たちが、自分たちが搾取されているのではないかという疑念を抱き、経営者に蜂起するという話です。第55話「狒々のハラスメント地獄」では、狒々(ひひ)という妖怪が人間のテニス選手のコーチとなり、熱が入りすぎてしまいパワハラまがいの指導に走ってしまうというストーリーでした。第67話「SNS中毒VS縄文人」では、SNSでいいねを稼ぐために犯罪行為までやってしまう女性の姿が描かれました。

テーマとしてはライトなものからヘビーなものまでさまざまで、日曜の朝に放映されるアニメとしてはなかなかきわどいところを攻めていたのではという印象です。前作の第5期(2007年4月~2009年3月放送)よりも子供向けという要素が薄く、むしろ現代社会に生きる大人へのメッセージを伝えているのではと思わせるような作品でした。

主題歌

第6期は主題歌もさまざまなアーティストが手掛けており、それも魅力の1つでした。オープニングはシリーズを通しておなじみの「ゲゲゲの鬼太郎」ですが、歌っているのは演歌歌手の氷川きよし。第6期の前に同じ時間帯で放送されていた「ドラゴンボール超(スーパー)」でも「限界突破×サバイバー」を歌っており、最近はアニソン歌手としての一面もあるようです。

エンディングはだいたい四半期ごとに入れ替わっており、まねきケチャやレキシ、go!go!vanillas、オープニングも担当した氷川きよし、BUCK-TICK、スターダスト☆レビュー、SCANDALといった、アイドルやロキノン系、大御所バンドなど多様なアーティストが担当していました。基本的にはゲゲゲの鬼太郎の世界観を反映させた書き下ろし楽曲で、なかでも印象的だったのがレキシの「GET A NOTE」。誰でもわかりますが、タイトルは「下駄の音」とかけており、鬼太郎のトレードマークである下駄の音の「カランコロン カランコロン」という歌詞のリフレインが頭に残る楽曲です。最終クールで使われていたSCANDALの「A.M.D.K.J.」(あみだくじ)も、SCANDALらしいロックナンバーで格好よかった。

犬山まな

今回はおなじみの鬼太郎ファミリー(鬼太郎、目玉おやじ、猫娘、ねずみ男、一反もめん、砂かけ婆、子泣き爺、ぬりかべ)のほか、人間側のヒロインとして犬山まなという中学1年生の女の子が登場します。序盤では鬼太郎はできるだけ人間とかかわらないように距離をとっていましたが、彼女を通してだんだんと人間と妖怪をつなぐ架け橋のような存在になっていきます。鬼太郎自身はそのような立場を明言しているわけではないですが、まなの存在が鬼太郎の考え方に大きな影響を与えたのは間違いないでしょう。

第6期は基本的に1話完結でストーリーが展開していきますが、一部連続した章が描かれている時期もあり(主に各クールの節目のあたり)、そのそれぞれでまながキーパーソンになっています。第47~49話の「名無し最終決戦編」では、名無しの策略によりまな自身が仲良くしていた猫娘を消滅させてしまうというショッキングな場面もありました。後述する最終回で、鬼太郎を連れ戻すために重要な役割を果たすのも彼女です。シリーズ全体を通して、妖怪に歩み寄っていく立場の人間として描かれており、鬼太郎が「人間と妖怪の共存」をめざすうえでとても大事な存在でした。

ねずみ男との友情

第6期のクライマックスは、これまでのシリーズでも登場した鬼太郎の宿敵で日本妖怪の総大将ぬらりひょんとの対決。人間社会に秘密裏に入り込み、人間と妖怪の対立を煽ろうと暗躍する妖怪です。クライマックスでは、鬼太郎が物語中盤で倒した西洋妖怪の大ボス、バックベアードをぬらりひょんが復活させ、人間世界に対する破壊活動を開始します。

最終回直前の第96話「第二次妖怪大戦争」では、ねずみ男と鬼太郎の友情に感動しました。この回では、ぬらりひょんの謀略により、人間と妖怪の間で戦争が起こります。ねずみ男は最初は一人で海外に逃げようとしますが、首相に争いをやめるように提言しに行こうとする鬼太郎をほっとくことができず、一緒に首相のもとに向かいます。

ねずみ男は基本的には小規模な悪事を行い、毎回失敗して鬼太郎にたしなめられるというポジションの妖怪で、鬼太郎とは「悪友」の関係。だけどいざというときには鬼太郎の心の支えとなる重要な存在なんですね。第6期では基本的に鬼太郎と人間の関係性に焦点が当てられており、仲間の妖怪との関係性に関してはあまり触れられていませんが、ねずみ男は鬼太郎が感情を表にできる数少ない妖怪の1人だと思います(第6期だとあとは猫娘くらいかな)。前述した名無しとの戦いの際にも、戦意喪失していた鬼太郎に喝を入れたのはねずみ男でした。ここぞというときにはやる男、それがねずみ男です。

「見えてる世界がすべてじゃない」

最終回では、人間と妖怪の争いが終わらないことに絶望した鬼太郎が迷い込んでしまった「あらざるの地」への扉を猫娘が命を賭して開き、まなが助けに向かいます。最終的にはまなが自らの記憶と引き換えに鬼太郎を連れ戻し、鬼太郎は暴走したバックベアードを倒します。争いの元凶だったぬらりひょんは自らの行いを反省することなく自害。まなは鬼太郎ら妖怪たちとの思い出の記憶を失ってしまいますが、それから10年後の2030年、大人になったまなが妖怪に襲われそうになるところを救った鬼太郎を見て、記憶を取り戻します。エンディングでは、まなと猫娘のLINEのやり取りが映され、記憶が戻った後にまなが以前のように鬼太郎や猫娘たちと仲良くしているということが示唆されるという終わり方でした。ぬらりひょんがあっけなく自爆したことや、まなの記憶が戻った理由がわからないことに若干の不満がありますが、打ち切り同然だった第5期とちがい、すっきりした終わり方だったと感じました。

第6期で制作陣が視聴者に伝えたかったのは、「多様性を受け入れることの大切さ」だと思います。今回のシリーズを通して、妖怪に対して嫌悪感を示したり、好奇の目を向けたりする人間の姿がたくさん描かれてきました。クライマックスでは、人間と妖怪の戦争にまで発展してしまいます。

今回の物語の中では「妖怪=見知らぬもの」の象徴だと思います。人間は誰でも自分の知らないこと、得体のしれないものを遠ざけたり、ひどい場合には中傷の対象にしたりしてしまう側面があります。昔よりは多様性を受け入れる環境が整備されてきたとはいえ、自分の好みではないこと、理解できないことに対して心無い言葉を投げかける人はまだまだいます。たとえば、アイドルにはまっている人に対して「気持ち悪い」とか、傷つけるような暴言を吐く人がいるわけです。確かに、自分の趣味や嗜好、信条などと相容れないことに出くわすことはあります。だけど、それを排除するようなことがあってはならず、理解はできなくてもその存在を認めることが大切。それぞれの好みの違いで不和を起こしてはならない。なんとか人間と妖怪との共存を図ろうと奮闘する鬼太郎やまなたちの姿に、そんなことを学びました。最終回のタイトル「見えてる世界がすべてじゃない」は第1話から次回予告の締めのセリフとして使用されており、自分が知らない世界はたくさんあり、自分とは異なる存在をいたずらに否定すべきではない、それらを認めることが必要だということを繰り返し伝えていたのです。

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