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サッカーは、プレイするよりも観戦する方が合っていた話

今日から、後悔していることを元に、エッセイを書いていこうと思う。

私にはいくつかの後悔があり、40を超えて何者にもなれなかった私にとって、人生の汚点となっている。

今日は、運動音痴なのに、サッカー少年団とサッカー部に入った後悔について書きたいと思う。

1.はじめに
小学2年生のときに、近所の人達がやっていたことや、『キャプテン翼』と三浦知良みうらかずよし選手に憧れていたため、サッカー少年団に入った。

5年生で辞めたものの、中学で再びサッカー部に入った。特に運動が得意だったわけでもない。

試合や練習で怒号を浴びたりしたが、小心者で気が小さかったため、純粋な心を傷つけられたと感じている。

少年団やサッカー部には、上手な人が集まったAチームと、そうでないBチームがあった。

オフサイドがイマイチわからず、私がラインズマンをした試合でAチームが負けたこともある。

今でも腹立たしいのが、ある人が髪を染めたため、全体責任で坊主にさせられるという、散々な目にもあった。

この記事では、興味のないことや、合わないことを無理してはじめて、同じような後悔をする人が出ないように、教訓として書いていこうと思う。

2.運動音痴がサッカー少年団に入って感じたこと
少年団の練習はさぼってばかりいたが、正直なところすぐに辞めたかった。

辞めることを母が許してくれなかったのだが、気が小さく、運動音痴な私に、サッカーは合わなかったと感じている。

少年団では、監督やコーチが殴る蹴るといった暴力があった。Aチームは、特にその傾向が強かったと思う。

自分の弱いところを鍛えてもらったと思っている人もいる中で、私は反発心が強いため、そうは思えなかった。

男は男らしく、女は女らしくといった風潮が強い時代だったが、今の時代のように、その子にあった生き方が許される世の中であってほしかったと感じている。

3.大好きなヘラブナ釣りに没頭したかった
高校ではサッカーをやらなかったため、好きな釣りがまぁまぁできたが、中学では部活がほぼ毎日あったため、ほとんど釣りに行けなかった。

私が好きなヘラブナ釣り師の中に、吉田康雄氏がいる。彼は、「吉田作」というウキを作っていたり、シマノジャパンカップで2度優勝したりしているが、雑誌に連載中のコラムを読んで、私も釣りを仕事にしたかったと感じている。

自分に合わないことをしている場合、早く見切りをつけて、やりたいことに取り組むべきだったと後悔している。

もしかしたら、自分に合わないと感じたサッカーを辞めて、釣りに没頭する環境を作っていれば、釣りを仕事にできた可能性もあったのかもしれない。

もし、この記事を読んでいる人の中で、無理をして続けている事vがある人がいたとしたら、早めに辞めて、新しいことに挑戦するのもひとつの手だとお伝えしたい。


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