受け入れるも愛
「人をもっと愛しなさい」
「君は愛を出し惜しみしている」
とメッセージを受けて、
いやいや、人には親切にするように心がけてるし、有事の際には渦中に飛び込んで助ける覚悟もある。
それを「愛しなさい」とは全否定で、私が誰も愛してないって言われてる感じがして
正直、その言葉は心外だと内心反発しました。
数日後に友人との会話で
夢は何?なぜ叶えたい?叶えたらどうなる?
どうなったら幸せ?と聞かれ
私の夢は大きな舞台で音楽をしたい。
それは何故?
「理解されたい、万人に愛されたい」ことに気付きました。
「愛されたい」には「愛されていない」という気持ちが含まれてる。
もともとモテる方ではあったし、音楽(バンド)をやっていた頃には勿論ファンもいたし、沢山の愛をもらいましたが、私は「ありがとう」と言うだけで、それ以上受け入れることは無かったんです。
愛されたいと言いながら、人から向けられる愛にちゃんと向き合わず拒否していたんですね。
愛を受け入れるのも愛。
「もっと愛しなさい」には「受け入れなさい」と言われている気がしました。
『拒愛症』というものがあるとネットで知りました。
子供のようなことはしてはいけない
はやく大人にならないといけない
愛着を持ってはいけない
心痛めても断捨離はする
物を欲しがってはいけない
自分が関わると迷惑かもしれない
他人と関わりすぎない適度な距離を保つ
傷つけられないように警戒を忘れない
裏切られたら見抜けなかった自分を責める
最悪を想定しておけばそれ以上酷くならない
そもそも自分は愛されるはずがない
愛されている気がしてもそれは一時的な事か勘違いで、何か得や理由があるはず
失うのが怖いなら最初から受け入れなければいいんだ!みたいな発想ですね。
これらは全く自分に当てはまって驚きました。
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