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YouTube「とむのアートチャンネル」 https://www.youtube.com/channel/UCnj06oPc9g3tDiwLsJLu2xA はアートや美術史を紹介をしています。 配信動画の原稿をnoteに掲載します。 気に入った方はチャンネル登録をお願いします。

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美術館に行こう【ミニマル/コンセプチャル展】に行く前に見る動画。

現在、愛知県美術館で開催中の「ミニマル・コンセプチャル展」に行ってきました。 現代アートの展覧会です。 現代アートってよくわからないし、取っつきにくいって思っている人のも多いんじゃないでしょうか。 特に今回の展覧会は、まさにそんな感じの展覧会です。 今回は、現在愛知県美術館で開催中の「ミニマルコンセプチャル展」に行く前に見ると、ちょっとだけ、展覧会が楽しくなるかも。 現代アートを見る手がかりが、ちょっとだけ掴めるかも、て感じの動画をお送りします。 とむのアートチャンネルでは、アートのことや美術の話題をお送りしています。 気に入っていただけた方はチャンネル登録をお願いします。 さて、今回の展覧会ですか、ミニマルアートとコンセプチャルアートの展覧会です。 四角い鉛の塊が、床においてあったり、壁に蛍光灯が設置してあったりと、一見しただけだと、何が言いたいのか、わからない作品が並んでいます。 こういう作品を見ると、もう現代アートってこれだから嫌だ。わけ解んないってなっちゃいますよね。 実は現代アートって、モナリザや、ゴッホのひまわりを見る感覚で見てしまうと、ほんと、訳が分かんなくなってしまいます。 現代アートには現代アートの味方というのがあるのです。 まず、今回の展覧会のテーマになっているミニマルートとはなにか、コンセプチャルアートとはなにかというところからいきたいと思います。 まず、コンセプチャルアートについて説明します。 みなさん、絵画やアートを見るときって、何が描かれているのか、どんな風に描かれているのかを見ますよね。 ゴッホのひまわりだったら、ひまわりが、ゴッホ独特の色彩と筆使いで描かれています。それを見て、美しいとか、すごいとか、ゴッホの内面が伝わってきそうっておもって、感動するわけです。 現代アートを見るときはこの感覚を捨ててください。 視覚情報は、現代アートを見るときはあまり役に立たないのです。 どういうことか・・・ 1917年にマルセル・デュシャンというアーティストが「泉」という作品を発表したことが発端で、アートの常識がガラリと変わってしまいました。 この、「泉」という作品、ただの便器なのです。便器を仰向けにして、サインを入れただけの作品なのです。 概要欄にリンクを張っておきますので、ぜひご覧ください。 さあ、これがアートと言えるのでしょうか。 このアートはどこを見たらいいのでしょうか? 便器のフォルム? サインの描き方が芸術的だった? 便器選びのセンスが良かった? どれも違います。 デュシャンは最もアートとは縁遠い、人々が「美」を見いだせないものを提示して「アートとはなにか?」ということを問いかけているのです。 つまり、便器の見た目にはなんの意味もなく人々がこれを見て「考える行為」そのものをアートとしたのです。 デュシャンは、アートは「視覚」で楽しむものから「思考」するものに変得てしまったのです。 要するに、現代アートは目で楽しむものと思って見に行ってしまうと、訳が分かんなくなってしまうのです。アートはすでに、視覚を離れて「思考」で楽しむものという段階に入っているのです。 こういった、「作家の考え」を表現したアートのことを「コンセプチャルアート」というのです。 もう一度いいます。 作品の見た目からは大した情報は得られないのです。作家が何を考えて作ったのかが大切だということです。 続いて「ミニマルアートとはなにか」についてお話します。 最近「ミニマリスト」という言葉や、生活スタイルが話題ですよね。必要最低限なものだけで生活し、無駄を省いたライフスタイルとでもいうのでしょうか。 ミニマルアートも同じようなものです。 アート作品にはいろいろな要素が入っています。 モチーフ、例えばひまわりとか、人物とか。それを描けばそこに形があり、色があり、それはキャンバスに絵の具で描かれていて、更には描くためには少なからず技術が必要です。デッサンを学んだり、技法を習得したり何かと忙しいのです。 でも、メッセージを伝えるのに、これらの要素って本当に必要なのでしょうか? もっと、言いたいことだけに注目して、無駄な要素をどんどん削ぎ落としていったらどうだろうか? 色は本当に必要だろうか?形ももっともっとシンプルに、と、突き詰めていくと、素材の色そのままでいいんじゃない?ってなるし、 形なんか四角とか丸とか、幾何形体でいいんじゃねえ?ってなるし、 立方体なら業者に発注してつくってもらえば良くない?ってなるわけです。 そして、どんどん突き詰めていった結果、もう、作家の個性なんて邪魔じゃない?ってなって、じゃあ、自分で作らなくても業者に発注して作ってもらえばいいじゃんってなって 気がつけば鉛の立方体を床に置いただけ、みたいな作品に行き着くわけです。 この作品は別に手抜きでできた作品じゃないんです。 無駄を究極まで削ぎ落とした結果行き着いたスタイルなのです。 こういったアートのことを「ミニマルアート」と言います。 え〜〜そんなのありなの? 反則じゃんって思う人もいるんじゃないでしょうか。 でも、メッセージの強い作品ばかりに囲まれていたら、正直うるさくないですか?  音楽だってメッセージソングばかり聞いていたら、もういいってなって、ラブソングとか、もう少し当たり障りのない音楽が聞きたくなって、だんだん、歌詞ってちょっと邪魔だなってなって、クラシックやインストゥルメンタルに行って、最終的には「波の音」でいいや!ってなる気持ち、わからなくないですよね。 とりわけアートって個性が強いので、鑑賞者が入り込む余地ってないんですよね。ミニマルアートなら、最低限のものしかない空間に自分をおいて、あとは自由に解釈する。そう考えると、ミニマルアートの意義も理解していただけるのではないでしょうか? 長くなりましたが、展覧会の話にいきます。 今回の展覧会は「ミニマル/コンセプチャル 〜ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960−70年代美術」というタイトルの展覧会です。 コンラート・フィッシャーはドイツのアーティスト兼コレクターでした。新しい作家たちに理解を示し、1967年にデュッセルドルフに妻のドテロとギャラリーを開きます。 そこで、収集したコレクションなどが展覧会の中心となっています。 この展覧会は全部で9つのテーマで構成されているのですが、私がぐっと来たポイントを3つにまとめて紹介します。 1つ目は「自分で作らなくてもアートなの?」 2つ目は「記録ってアートなの?」 3つ目は「日常が芸術になる」です。 1つ目「自分で作らなくてもアートなの?」 今回のメインビジュアルにもなっているカール・アンドレの作品群を中心にはなします。 まず「雲と結晶/鉛、体、悲観、歌」は10cm角の鉛のキューブが床に不規則に散らばって置いてあります。しかし、ある一角だけ、12個×12個のキューブが四角くぴっちりとくっついて配置されています。 これだけの作品です。 散らばって置かれているキューブが「雲」を表して、くっついているキューブは「結晶」を表しているのだそうです。流動的なものと固定されたものを対比するにはこの要素で十分ですよね。まさにミニマルな表現と言えます。 解説を読むといろいろメタファーがあったりするようですがここでは割愛します。 今回私がぐっと来たのは、これを作家が自分で作っていないということです。 おそらくキューブは発注して業者によって作られていますし、展示において作者のカール・アンドレがこの場に来て配置したのではないと思います。 それは、彼の一連の展示を見ればわかります。 カールアンドレは、フィッシャーギャラリーで個展をする際も、作品を持って行ってないのです。 ギャラリーに作品に関する指示書を送って、現地の職人が素材を作っています。そして、指示書に従って、展示を行います。 つまり、作家はアイデアだけを伝えて、あとは現地のスタッフが作る。 これでいいんでしょうか? 実はこれはアートの世界では「あり」なんです。 元にポップアートの巨匠アンディ・ウォーホルは自分で作品を作らない。既製品をそのままアートにするので有名です。 既製品を使う手法は「レディメイド」といって確立されたアートの手法なのです。 だから、「作者が自分で作ったものしか認めない!」なんて言ってはだめです。 もう、アートは自分で作らなくていい時代になっているのです。 でも、ちょっとまってください。この作品は「ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館」の所蔵です。 この作品はそこから輸送されてきたのでしょうか? カールアンドレの思想を表現するなら、 仕様書だけをもらって、日本でキューブを作って、スタッフが配置したほうがコンセプトにかなっているんじゃないでしょうか・・・? と、まあ、こうやってごちゃごちゃ考えるのが現代アートです。 2つ目です「記録ってアートなの?」です。 普通、記録ってアートになりえませんよね。 今日何時に起きたかをメモしたところで、それがアートだと言われてもピンときません。 でもそれをアートにした人が日本人の「河原温」さんです。 河原さんの有名な作品で「Today」シリーズがあります。 毎日毎日、今日の日付をキャンバスに描きこむというアートです。 特に特徴的なところはありません。黒いキャンバスに白文字で「MAY29,1971」のように、一般的なゴシック体の文字で書くだけです。 だから、僕らは日付の描かれただけのキャンバスを見て「ん?」ってなるんです。何だこれは?レタリングが上手い人の作品なのかな?って混乱するわけです。 でも、この作品が1966ねんから2014年に亡くなる前年まで3000点も作られたと聞いたらどうでしょうか? 一見、意味のなさそうなことでも、これだけ反復して作れば、それはもう祈りの領域。アートと呼んで差し支えと思うわけです。 また、河原さんは二人の友人に当てて絵葉書を送るという行為をしています。しかも、そこに書かれているのは、ゴム印で押された「自分の起床時間」です。それだけです。「I GOT UP AT 8.15AM」とだけ押してあるのです。近況報告もなければ、友人の近況を聞く素振りもない。これだけの情報を何通も何通も送り続けています。 友人にしたら迷惑?? でも、この時間は間違いなく河原さんの生の証であるにも関わらず、無機質なゴム印の情報が大量に送られてくることに寄って、人間味を全く感じられないのです。つまり河原さんの安否は藪の中といった感じでしょうか? ただの記録から、なにか深いメッセージがにじみ出てくるのだとしたら、それはアートと言って差し障りないのではないでしょうか? 3つ目は「日常が芸術になる」です。 ブルース・ナウマンというアーティストの言葉が掲示してありました。 「私がアーティストであり、スタジオにいるなら、私がスタジオでしていることがアートであるに違いない」 なるほど、自分がアーティストである前提でアートとは、を考えれば、日常のすべてがアートとなると言う理屈は納得できます。 そして、ギルバート&ジョージという二人組のアーティストは「人間彫刻」と称して、自らが彫刻になってしまいます。 「生きる彫刻」となった彼らは、つまり自分自身がアートであり、自分たちの行動がアートだということです。 彼らは散歩したり、歌を歌ったりというパフォーマンスをします。 彼らの作品を見ていると、荘子に出てくる「胡蝶の夢」というお話の構造に似てる気がします。 莊子が夢の中で蝶になり、自分自身が蝶なのか、蝶が自分自身なのかわからなくなるというお話です。 自ら彫刻になったギルバート&ジョージですが、彼らの作品(主に写真ですが)を見ていると、人間が彫刻になったのか、彫刻が人間になったのか、そう思うのは私だけでしょうか。 さて、見どころはまだまだありますが、あとは実際に見に行ってそれぞれ感じ取ってください。 ちなみに、今回のお話は、資料から引っ張ってきたものもありますが、私の主観で話した部分もあります。 現代アートの見方はそれでいいんです。作品は作者の手を離れた時点で、鑑賞者が自由に解釈していいのです。 もし、答え合わせをしたかったら、解説文が掲示してあるので、それを読んでみるのもいいでしょう。 展覧会に行ってきたよって方は、コメント欄に感想を書いていただけると嬉しいです。 「ミニマル/コンセプチャル展」は愛知県美術館で2022年1月22日から3月13日までです。 その後3月26日から5月29日まで兵庫県立美術館へ巡回します。

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