目白村だより6(村はずれのビストロ)            



「エシャロット」の外観

勝手に名づけた“目白モンマルトル”は、御愛嬌として、池袋モンパルナスの通名
は、相当に一般的なようだ。ところが、私の好きな落合南長崎のビストロ「エシャロット」の雰囲気を、一部の人がモンパルナス(パリ左岸の一部地域)といっているのを聞いて、にやっとしてしまった。この店は、25年前に出来た隠れ家的な店で、背景の抜けが良く、作りは決して高級ではないが、古色が付き場末観が半端ない。クリニャンクールや、それこそモンパナス界隈のはずれのビストロの様で、此処にくると、妙な落ち着きを覚える。

フランスの某アーティストが、もしパリにあったらと想定、モンパルナス風景に溶け込ませたデッサンを店にプレゼント、その絵が店内にある事も、モンパルナスの所以なのかもである。しかし、店内には、右岸の「シャルティエ」のポスターがはってあるので、モンパルナスよりも、やはり目白モンマルトルのはずれと、あえていいたくなる。
「シャルティエ」は、もともと1896年にグラン・ブルヴァールの傍に低価格で本格的な食事を、とのコンセプトで作られた大衆食堂。1896年と言えば、第一回オリンピックが開かれた年である。リュミエール兄弟によって映画が一般に知られるようになり始めた頃でもある。アール・ヌーヴォー運動が、はじまりだしたパリが文化の中心だった時代の空気感が、漂っている。すぐに列の出来る大人気となり、モンパルナスにも作られたが、戦争などで、オペラに近い本店だけが残った。(今でも食事時には、列が出来る)本店は、グラン・ブルヴァールの横道、モンマルトル通りにあり、店内は、当時のまま列車の棚様の荷物置きが座席の横にあり、勘定書きは、ボーイが書いた紙テーブルクロスに。注文した料理が、書かれてあり、勘定というとその場で合計してくれる。すぐに誰かと相席にさせられるが、とにかくワインを飲んで30ユーロくらいで上がってしまうのだから、文句はいえない、それよりなにより紳士も労働者も一緒くたの、ここの雰囲気は、ルノワールやロートレックが出てきそうな古いパリのエスプリである。オーナーは何度か変わったが、変わらないコンセプトは“大衆”。2019年に新たに、モンパルナスに「新シャルティエ」がオープンしたが、私は、ここにはまだ行っていない。
パリ(フランス)は、その場所によって、業種の限定が厳しい、新しく店を始めるには、その許可が煩雑で、飲食店は特に厳しく、そのためにオーナーがチェンジしても、同種業で、 店の外観を守りながら繋げてゆく。当然人気店なら、店名を変えず、ビストロやレストランやお菓子屋の中には、それこそ「シャルティエ」のように100年以上たっている店が、沢山ある。持ち論、第二次大戦で破壊されなかったことも大きいが、それもあって戦後にできた店が、新しく感じるほどだ。

目白村のはずれのビストロ「エシャロット」の店主、彼は「ロブション」で修業を積んだそうだ。日本とも縁が深いロブションの超高級のイメージとは、真逆の「シャルティエ」ならぬ村はずれのビストロ。(フレンチ)への、彼の想いが、衒わずに伝わるところがかっこいい。
ところで、目白で100年伝統のある飲食店はない。戦前からの店といったら和菓子の「志むら」ぐらいだろうか。それとて、創業が
昭和14年だというからまだ100年にも満たない。戦争で焼け野原になった東京と、焼かれなかったパリとを比較する気は無いけれど、東京の町の中でも、目白の飲食店の変遷は相当激しい。私の知っている飲食店だけでも、無くなった店は、10や20ではない。そして、このコロナ流行で、まずチェーン店系から、ずいぶん無くなってしまった。賃料が高く環境制限が厳しいらしいが、現在残っている店には、是非頑張ってもらいたい。もちろん「エシャロット」にも。

目白村はずれのビストロ








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