スクー 「キムゼミ 第十回 - 読書の流儀 -」

【 キムゼミの目的 】

 『人生を変える、作る』
 人は自分の人生を作っていると感じている時に幸せと感じる。
 自分の人生を作る力は自分の中に内在している、と信じることが大切。
 自分の意思と自分の決断と自分の行動で自分の人生を変えることができる。

【 Schoo受講生の「恋愛と結婚のマニフェスト」ベスト3 】

No.3. 相手が私を好きになってくれなくとも自分が誰かを好きになれたという気持ちを大切にする
(キム先生)
相手が私を好きになってくれるのはあくまでもボーナスで、少なくとも自分は誰かを愛することができて好きになることが出来る、その「愛」と「好き」というとても素敵な感情を抱かせてくれたのは相手という存在なので、相手の存在に感謝しながら、自分の中で生み出された「愛」や「好き」で自分の心を潤していく、ということを伝えている表現なのかなと。
なので、失恋対策にもとってもいいんじゃないかなと。
(徳田さん)立ち直りにも聞きそうですかね。相手にも多くを求めてないですよね。自分が好きだからその気持を大切にしていて、それが嬉しいということですよね。
(キム先生)相手が自分のことを好きになってくれるかどうかというのはあくまでも相手の自由意志であって、自分が本当に相手のことを大切にするのであれば、相手のそういった自由意志までも大切にすることが出来る人になるととても素敵な人だと思う。
一方で結構心が苦しいところもあると思うが、まあそれは仕方ないので、矯正するものではないと思うので。
どういう状況になっても自分は幸せになれるということではある。誰かを愛することができれば。
(コメント)相手の「好き」はボーナスだなあ
(徳田さん)そうですね。そういう表現ぴったりかもしれないですね。

No.2 恋愛に限らず、人のよいところは心にとどめるだけにせず相手に伝えて笑顔を増やしたい。
(キム先生)
「愛」と「感謝」は感じた瞬間にちゃんと言葉にするということを習慣にするといいんじゃないかなと思う。
時差がゼロになるくらいに、タイムラグがゼロになるくらいに、心の中で思うだけではなくて、それを相手にちゃんと言葉または視線または行動で伝えていくことによって、相手を幸せにすることも出来ると思う。
誰かが自分に対して「好き」と「愛」または「感謝」という感情を言葉にして伝えてくれると、今日僕の一日というのはものすごく幸せな一日になるはず。
なので、誰かを幸せにすることは、自分のきれいな想いというものを相手に伝えていくと、相手を幸せにすることができ、相手のその笑顔を見てまた自分も幸せになるという「幸せのスパイラル」というものを生み出していくことができるんじゃないかと思う。
(徳田さん)そのスパイラルのきっかけが自分にあるということですね。自分が伝えれば、行動すれば、相手の良いところをしっかりまっすぐ伝えてあげれば、そのスパイラルがどんどんプラスに回っていくという感じなんですね。
(キム先生)スパイラルの起点を自分にする。そのために「愛」と「感謝」の気持ちは言葉にするということだと思う。
(コメント)男性は特に足りてないんじゃないですか〜
(キム先生)その気持もすごく分かる。男性はやっぱり行動で示すとか、あまりそういうことを言葉にすると自分の「好き」や「愛」の感情というものがどんどんレベルが低くなるという感覚を持っている方もいると思うが、そういう時にやはり必要なのは「優しさ」だと思う。自分がかっこよくなるとかメンツを保つとかプライドを守るとかそういうことも大事だが、やっぱり自分が好きな人に良い気分になってもらいたい、というような「優しさ」がそれを超えた時に優しく「言葉」にしてあげることができるんじゃないかと思う。
それが「本物の強さ」だと思っていて、男は強がるとあまりそういう行為を言葉にしない傾向があると思うんですが、「本物の強さ」というのはやはり「優しくなれる強さ」だと思う。
そういった「強くて優しく」もなれるような男性がいたら、僕はすごく嫉妬すると思う(笑)そういう素敵な男性に皆さんなっていただきたいと思う。
(コメント)愛と感謝だけじゃなく、自分の思いは口に出して発信しなきゃですね。不器用な男がモテる時代は終わった、、、
(キム先生)特に夫婦関係においては、やはりこうお互いが好きとか愛を伝えることを怠けている夫婦関係はたくさんいると思う。言わなくても分かるだろう、と。
でも言われなかったらわからない部分もあるし、言われたことによってあらためて相手の愛を感じてまた相手に感謝するということにもなると思うので、まあ親しい仲だけに、そういった感謝の気持ちと愛の気持ちというものは積極的に伝えていくという工夫をするだけで、2人の関係性というのはよりしなやかなものになっていくんじゃないかと思う。
(徳田さん)「優しさを表現できる強さ」を言葉にして行動にしていきたいですね。

No.1 そとがわに愛を求めるより うちがわの愛を見つける 自分の中に愛があることを忘れて ついそとがわに愛を求めてしまいがちな自分に うちがわだよ 中にあるんだよと何度でも言ってあげたいです。
(キム先生)
愛は外で発見するというよりは、「愛の生産基地は自分の中にある」と。つまり愛を生産する工場は自分の中にあると思えば、いつでも自分が生み出すことができる。
枯渇することもなくなると思うが、多くの方は自分の中にある愛の工場の存在を忘れるので、とにかく外から愛をもらって自分の心を潤わせようとしている部分がすごくあると思う。
そうではなくて、愛は自分で生み出すことが出来るんだと、その泉は自分の中にあるんだということを気づかせてくれる素敵な文章だ思う。
(徳田さん)確かに外から求めがちですよね。「愛されたい」とか「足りないなあ」とかそいうのを思ってばかりいますけれども、実は自分が生み出すものなんですよね、愛って。
(キム先生)仕事ができる人できない人の区別のポイントも、誰かに何かをやってもらいたいという人はだいたい仕事がうまくいかない。
そうではなくて、全ての場面において、誰かのために何かをやってあげたいと思っている人というのは、それによって周りが何かをやってもらったということにもなるし、またその人を見た時に、その人は常に与えることを考えるとその人からすごく素敵なエネルギーとオーラが滲み出る。そうするとその人の周りに人々が集まってくるということになると思うので、仕事をする上でも「何かをやってもらいたい」ということよりも、「何かをやってあげたい」と思うことができれば仕事がうまくいくし、またそれを「愛」のところでちゃんと実践していくことができれば、自分の周りにとっても素敵なオーラというものがにじみ出るんじゃないかと思う。
(徳田さん)恋愛とか結婚においてだけじゃないんですね。仕事とか生き方とかでもここが軸になりそうですね。


【 前回授業の質問 】

Q.結婚しなくても人はそれなりに成熟するものでしょうか? 自分の中ではわかりきっている気もしますけど、気になったので質問します。
(キム先生)
「結婚」と「成熟」は必ずしも比例でも反比例でもない気がする。なので結婚というものをしなくても人間はいくらでも成熟することができると思うし、結婚したからといって成熟するとは限らないと言う部分もあるんじゃないかと思う。
ただ結婚というものは、やはり自分が愛する人を自分の人生の伴侶にして、場合によってはそこから新しい命が生まれるという意味では、「家庭」という「愛の結晶」または「愛の居場所」を作ると言う意味ではとても素敵なことだと思う。
結婚をしないまたは子どもがいなくても、人間が成長または成熟に向けて努力をしていき、または最終的に成熟を手に入れるということは、全く不可能ではないような気がするので、あまりそういうところは気にされなくてもいいんじゃないかなと思う。
(徳田さん)結婚を必ずしなければいけないっていうものでもないですし、その人が成熟するかどうかもその人次第、というのは簡単ですけれどもそこにありそうですね。
(キム先生)それぞれタイミングがある。自分が結婚する年齢のタイミングがあったりとか、結婚はしたものの、本当に自分が一生一緒に付き合っていく伴侶じゃないというのが途中でわかった場合は、別れるという選択も全然ありだと思う。
または、縁がなかなかなくて、結婚をしないという選択や結果があってもいいと思う。あまり結婚というものを義務的に思わないことだと思う。
(コメント)同感です。結婚と成熟に因果関係はないかと。
(コメント)恋愛と結婚は許し合うことだと想います。そのためには柔軟な優しい心をどこかに持っていたいなと思います。これも愛なんですかね??
(キム先生)究極の愛だと思う。「許す」ということが人間にとって一番難しいことなので、その「許す」ということを自分の心の中で決めることはすごく勇気がいることだと思う。相手に対する本物の愛がなければ許すことができないと思う。
また表面的なことで「許し合う」ということよりもやはりもっと次元の高いまたはもっと深いところで2人の魂が繋がり合ってる場合は、ある意味では表面で現実の中で起きた問題または失敗等に対して、自分が許すということはそう難しいことではないんじゃないかと思います。
(コメント)結婚しなくてもパートナーがいれば良いのではないでしょうか?孤独は喫煙と同じくらい体に害があるらしいので、この人のために何かしたい!と愛せる人が周りにいたら良い気がします。
(キム先生)僕は孤独はすごくポジティブに捉えている部分があるので、自分との対話だと思う。なので、栄養、サプリに近いところもあるんじゃないかと思う。
「孤独」と「孤立」はまた違う部分があって、自分が周りと一緒にいたいのに周りから取り残されてしまっていると、「孤独」ではなくて「孤立」を感じてしまう。
そうすると人間は社会的な動物な部分があるので、そういった絆を全て失った「孤立」の状態というのはとても苦しいと思う。
自分自身が選択した意味で「独りになる」または「孤独になる」ということはとても大切なことだと僕は思っているので、むしろ大衆、群衆の中にいながらも、自分がちゃんと「孤独」というものを味わうことが出来る人というのはとても素敵な人だと思う。
なので独りになることを怖がらない方がいいと思うし、独りになる時間を設けることは、今のいろんな関係性、SNS等の関係性が複雑に絡み合っている中で一番大切なことの一つではないかと思う。
「孤独」は「自分との対話」だと思ってポジティブに受け止めてもいいのではないか。
(徳田さん)「孤独が嫌だから誰かと一緒にいる」というのは順番が逆のような感じがしていて、自分が自立していて、孤独も自分と向き合う時間もあるからこそ、誰かと一緒にいる時間が大切にできるんじゃないかと思いました。

Q.人を愛するときにものすごいおそれがあります。その恐れをどう手放せるでしょうか?
(キム先生)愛することにおいて、自分が相手に対してまたは自分が愛を与えることに対して、何らかの見返り、対価を求めた時にそれが恐れに変わるんじゃないかと思う。
愛を与えた相手がその愛を受け取った後にどういった反応をするかということに対しておそらくこの方は恐れを持っているような気がする。
そこは「自分の課題」ではない、という部分があると思う。そこは「課題の分離」をして、自分は愛することに専念する、集中するといいんじゃないかと思う。
それを受け取った相手がどういった反応をするかということは、その相手の自由意志であるということで、どういう反応をしても私は受け止める、というような自分の中でのある種の「覚悟」「決心」があれば、素直に愛することが出来るんじゃないかと思う。
(徳田さん)なるほど。相手の「対価」が怖い、ということですね。
(キム先生)あと多くの場合は、自分が過去に誰かを愛したことによって傷つけられたりとか、苦しめられたりとかそういう体験があったかもしれないが、それがまた繰り返されたら嫌だなというのはあると思うが、過去が繰り返されるということはあまり自分の中で考える必要がないんじゃないかと思う。
おそらく今でもこの思いを持っているというのは、過去も「恐れを持ちながら愛した」ということになるような気がする。
なのでそういった「負の連鎖」というものを、自分が完全に見返りを求めずに愛することに専念する、集中するということで、見返りと対価を求めないという気持ちを持って愛することで、そういった恐れというのは消えるんじゃないかと思う。
なので「恐れの正体」についてもう少し自分と向き合って、果たして自分は何を恐れているんだろうか、ということをより具体的に考えた方が良いと思う。
やはり恐れというのは一つの概念なので、「恐れ」といった瞬間に何かそこを含む何かがあるような気がするが、中身は全然違う。
自分が果たして特定の誰かを愛する時に、具体的にどういった恐れを自分が抱いているのか、という「恐れの正体」を明確にしていくと、見えないモンスターってものすごく怖い。
それをちゃんと正体を突き止めて光を当てると、実はその恐れは恐るるに値しないものだったりするケースがたくさんある。そういうことを心がけていただければと思う。
(コメント)愛されたいのはみんな同じかと。なので、勇気を出して愛を伝えてみましたが、相手は"同じ気持ちではない"という反応でした。けど最近向こうから少しだけ近づいてきてくれてる気がします。愛は伝えないと何も始まらないと実感。毎週キム先生からエネルギーをもらっているからかな、感謝です。
(キム先生)これは2つの捉え方があり得て、我々は誰かに対して愛を伝えた時に、その愛が愛という形ですぐに戻ってきたら一番嬉しい。でもそうではないケースもある。
なのでこれのように、愛というものが「好意」というもので時間差をおいて戻ってくることがあるということを念頭に入れておくということ。
もう一つは、我々は世界に生きている部分があるので、例えば僕が徳田さんに愛を伝えて、徳田さんからは永遠に愛という形で戻ってこなくても、私がこの世界に対して発した愛というものは、ぐるぐるぐると回ってぜんぜん違う人の親切な心や愛や好意という形でも戻ってくる。
なので同じ相手から戻ってくるのにタイムラグがあり得るということ、あと少し戻ってくる形が変わりうるということを念頭に入れる、というのと、もう一つは、この人から直接返ってこなくても、ぐるぐるぐると回って時間差をおいて別の主体から別の形になって戻ってくるということもある。
そのくらいの大きな気持を持って愛をすると、愛のプラスマイナスという思考が消えていくんじゃないかと思う。
そうするとより心に余裕が持てる、穏やかに眺めることが出来るようになるんじゃないかと思う。
(徳田さん)すごく素敵な「愛の伝播」ですね。

Q.自分は褒められると、むずがゆく感じたり、なんか別の意味があるんじゃないかと考えてしまい、なんか疑う自分がいるんですが、天邪鬼な思考の直し方はあるんでしょうか?
(キム先生)人間は自分が受け入れた言葉で出来ている、と思っていただきたい。
なので自分が悪い言葉を、非難含めて悪意に満ちた言葉というものを受け止めたり、そういうことばかり考えると、自分の中身というのがどんどん暗くなっていく。
誰かが自分に対して褒め言葉を浴びせてくれた時は、それをちゃんと受け止めると、自分がその褒め言葉どおりになっていく。つまり以前話したように、言葉というものが何かに対して表現する手段としても使われるが、言葉自体がエネルギーとなってその言葉を自己実現してしまうこともある。
なのでたとえ他者が自分に対して、自分からしてあまりそうじゃないなと思いつつも自分に対して褒め言葉を投げてくれた時は、自分はそう思わなくてもちゃんと感謝をしながら受け止めると、その言葉がエネルギーとなって自分自身がそういう風になっていく。その言葉の自己実現的な形になっていくところがあるので、それを受け止めるのに自分が資格があるかどうかということを考えすぎずに、素直に褒められた場合は感謝の気持ちを持ってちゃんと受け止めると。
もし自分の中で褒められた自分と今の自分に少しギャップがあるとしたら、受け止めた後に褒められるに値する、また褒められた言葉が自分にとってあまりギャップがないように努力していくということを後からしていくというのもいいんじゃないかと思う。
先に受け取ってしまうということもいいんじゃないかと思う。
(徳田さん)それが自分のエッセンスになるんですね。自分の中で近づいていけるってわけですね。
(キム先生)逆に努力の方向性を気づかせてくれたりする。
(徳田さん)たくさん褒められたいですね。褒めてあげるのもいいですね。


【 読書の流儀の5ヶ条 】

1.読書の目的は新しい視点の獲得

(キム先生)僕が読書をする際は、自分の視点を持ちながら読んでいる部分があるんですが、読書をすることによって、本を読み終わった後に、読む前より自分が新しい視点を手にしたかどうか、ということを僕はすごく大事にする。
本は誰かが書いているわけで、その誰かというものは、ちゃんと世の中を眺める視点を持っている。視点を持っているので、その視点を自分が獲得することができれば、同じ対象に対して自分の目だけではない、自分が考えるある程度尊敬できる人の視点も手にすることができると思うので、本を読まれる時は、今の自分の視点というものを固執しすぎずに、その著者の視点になってみると。最終的にはその著者の視点まで自分が自分の中にインストールしていくというような観点で読まれるといいんじゃないかと思う。
(徳田さん)それが新しい視点になって、自分の新しい知識になるんですね。
(キム先生)本屋を回っている時に、「今日は古今東西の誰を指名しようかなあ」と言う感じで、また自分の部屋の中でもたぶん買った本全部読んでいる方ってほぼゼロに近いと思うので、積ん読されてる本とかいっぱいあると思うので、お風呂から出て「今日は誰を指名しようかなあ」ということで選んで、ちょっと対話をすると。
で、対話をしている時に、「この人はあるものに対してこういう風に思ってるんだ」というところで、「今度自分も真似してみよう」と。
いろいろ真似する対象、ネタを探すという意味でも読書というのは有効じゃないかなと思う。
(徳田さん)その人の書いた例えば人生とかも自分が見れるわけですものね。同じ世界に行けるという形だと、視野は広がりますよね。
(キム先生)人間は時間が限られているし、環境も制限されているので、世の中のあらゆることを経験することができない。
直接的な経験はできなくても、本を読むことによって間接的に経験することができるし、また直接的に経験した人がその経験から学んだことというものも書いているので、経験はしていなくてもあたかも経験した気分になったり、またその経験から学んだものも、経験しない状態で自分が手にすることができるというメリットもあるんじゃないかと思う。
(学んだ)先人と語り合う場だ。
(徳田さん)キム先生は新しい本を見つける時、どんな感じで読みたいと思うのですか?
(キム先生)僕はテーマが先。最近の僕のテーマは俳句。日本語の本ではなくて、英語の本で、「辞世」という侍が最後世の中から去っていく時の「Death Poem」というが、日本ではそういう文化がある(=辞世の句)。侍の文化でも日本の昔の俳句や短歌を書かれている方というのは、人生の最後になって、人生そろそろ終わりに近づいていくということに対して、メランコリーな気分でいろんな文章、詩を書いているところがあって、そういう英語の本がある。「Japanese Death Poem」という。それには漢字はいっさい出てこない。俳句、短歌にしてもローマ字で右側に、左側に英語で意味が書かれていて、書いている人は短歌、俳句の中にこういった思いを込めているのだ、というものが400個くらい入っている本を読んでいる。
日本語でもそういうものを読んだことがあるが、あらためて英語でそれを読んでいたら、日本語の昔の言葉というものは本当に美しくて、それは日本語が美しいというのもあるが、やっぱりそれを語った人、また書いた人の精神状態というものがとっても成熟して本質的だなと。やっぱり日本はメリハリがものすごく聞いている部分がある。その侍精神含めて。
そういう世界はとても美しいな、とあらためて自分の中で、古い日本語、特に詩をもう一回ちゃんと勉強しようということが僕の中のテーマなので、そういう風に何か自分の中でテーマが浮かび上がった時は、本屋のそのコーナーに行ってゆっくり見る。ただ時間が全く無いので、いろいろパラパラと見ている中で大体土地勘が掴めてくる。それでちょっと何冊か、4,5冊買って、ひたすらそのテーマについて読んでいくという感じ。
ぶらぶらと本屋に行って、何かこう読みたいなと選んで読むケースもあるが、何か自分の中でテーマが一つ浮かぶと、ちょっとそのテーマについて深く勉強したいなと、ちょっと研究者気質がその時また復活するところがあるので、そうするとAmazonなり本屋に行って集中的にそのテーマについてマスターをするというような、2つのやり方。
(徳田さん)またさらに言葉の深さとかが出てきそうですね。そういった昔の俳句だったり辞世の句というところからなにかインスピレーションを受けて。
(キム先生)実際は僕は日本に来て、僕の日本語は全て岩波文庫。岩波文庫の赤い本は、プラトンとかソクラテスとか本当に古典がいっぱいある。
日本は明治維新以降、特に20世紀初期に西洋文明というものをいかに輸入するかといったところにフォーカスを当てた時代があった。なぜかといえば、日本はある意味鎖国の状態で、島国的なところがあったので、日本の文化が世界に劣っているわけでは一切ないが、日本以外の文化に対する無知はあった。あまり交流がなかったので。
それが明治維新以降入ってくる時に、翻訳をする際にやっぱり文脈まで翻訳しないとなかなかその意味が伝わらない部分があるので、1920−30年くらいから、1960年くらいの間は、東大または日本で一番頭のいい学者たちはみんな翻訳をやっていた。自分のオリジナルのものを作るというよりは、人類の遺産というものを日本の多くの方に読んでもらうためにたくさん翻訳をする。
翻訳をしたその本ももちろん素敵。プラトンやソクラテスなど素敵だが、僕がすごく好きなのは、一番日本の中で感性豊かで頭がいい人たちが翻訳をすると、一番美しい日本語を使う。僕が英語でも読んだ本で日本語の翻訳本を読むと、英語の原文より日本語の方が美しいケースが結構ある。
岩波文庫はすごくそうだと思っていて、岩波文庫は安いので、自分が3ヶ月くらい山にこもるとかだったら、岩波文庫だけばーっと買って背負って入って出てきたらたぶん達人になっている。そのくらい素敵な本がたくさんある。
岩波文庫を読む時に、その本の中に何が書かれているかという本の中身に対する関心ももちろんあるが、その内容をこの人はどういった日本語の単語の羅列で表現したのか、というところで見る。そうすると、内容はともかく、日本語の使い方は一般には見られないとっても美しい単語の組み合わせだ思うと、チェックして自分の日本語ノートにどんどん書き込んでいく。
言葉は古いが、言葉の並べ方が新しい。すべての本は。皆さんが既に知っている単語を使うが、その並べ方によって泣いたり感動したり学んだりするところがあるので、その羅列がちょっとユニークなケースというものは、僕の中でピッとくる。そこは必ず自分のものにする。
言葉がレゴブロックだとすると、その組み合わせがすごく上手な人がいるとすると、「その形ちょっと真似よう」ということをずっと意識的にやってきたところがある。
なので、わりと僕の日本語は岩波文庫。
(徳田さん)言葉の羅列がきれいなんですね、並び方。それで言葉の感度が上がっていくわけですね。

2.「巨人の肩の上の小人」
      頂上を更新するように読む

(キム先生)英語では「 Standing on the sholder of the giant」。アイザック・ニュートンの言葉。「小人」は我々を指していて、人間=小人が遠くを眺めることができるのは、小人が身長が高いからではなくて、小人が巨人の肩の上に乗っているからなんだと。
この「巨人」は誰かというと、人類が築いてきた知的遺産。先人たちが築いてきた知的遺産の上に立っているから、我々はいろんなことを知るようになったり、便利に生きたり、健康に生きたりすることが出来る。
つまり、やっぱり我々というのは先人たちが築いた知的遺産というのを吸収する。その一番有効な方法の一つは読書である。
ただ我々は、そういった先人が築いてきた知的遺産の上に立つだけではなくて、0.1mmでもいいから頂上を更新する気持ちで読むと良いと思う。
なので、その本に書かれたものを100%理解する、吸収することだけではなくて、その本を読むことによって、著者は気づいていないけど、自分としてちょっとした付加価値というものを付け加えるんだという気持ちで読むと、本の読み方が完全に受動的なものから若干能動的なもので積極的なもので若干クリエイティブな、創造的なものにもなりうるのではないか。
【きざメモ!】
(徳田さん)受動的とおっしゃっていましたが、読むだけだと、インプットはできますが、どうアウトプットしたらいいかわからない、そのままになってしまうことがあると思うんですが、それをどうアウトプットにつなげるか、というのがすごく大事だなと思います。

3.本は食べ物と同じ
      省察・思索の伴わない読書は食べ物を噛まないで
      飲み込むのと同じ

(キム先生)どんなに栄養の高い食べ物であっても、噛まずに飲み込んでしまうと、自分の栄養にならない部分がある。素敵な本であっても、それをなんとなく、さっきの話のように、ちょっと受動的に、自分の思索や推察を加えずに単に吸収するだけの読み方をすると、すっとまた抜ける。すぐ忘れる。
自分の人生を豊かにする形では使われないようになってしまう部分があるので、書かれているものを自分なりにちゃんと思索または推察、洞察というものを加えてみる、というのがある意味では「食べ物を噛む」という行為。噛んで噛んで噛んでそれを吸収すると、自分の筋肉になったり骨になったり身になっていく部分があるので、さっきと同じように、受動的な読み方ではなくて、ちゃんと能動的に読むことが大切。
(コメント)私、早弁みたいになってるかも〜
(徳田さん)よく噛んで飲み込む、ということになると、時間もかかるのかなと思うんですが、ゆっくり読むのが大事でしょうか?
(キム先生)読書の際に目的が大きく3つくらいあると思う。一つは自分が知らなかった情報を手に入れること。例えば、フランスのパリに行きますと。で「地球の歩き方」を買いました。そこに書かれている情報は全部噛み締める必要はない。その時は必要なものだけを取る。情報を集める、または自分の無知を知に変えるという意味ではそういった読み方でも全然いいと思う。早食いでも全然いいと思う。
例えば古典だったりとか、教養になるもの、すぐ力にはならないがいずれ自分のある意味では基礎体力になるような、教養になるようなことについては、ちゃんと思索を加えながら読むことが大事。またはフィクションのような、小説やエンターテイニングで読むものというのは、早く読む必要もないし、あまり考えすぎずに、リラックスしながら読むという、食べ方は読書の目的や本の性質に寄るんじゃないかと思う。
パパっと食べるのが良い時もあれば、ワインでも飲みながら友人とゆっくり話しながら懐石なりフランス料理のフルコースのような食べ方。それはシチュエーションによって我々食べ方は違うと思う。それと同じように、そのシチュエーションに合わせて、本を読むスピードや読む際の自分の集中力などそういうものを使い分けてもいいんじゃないかと思う。
(徳田さん)何のために読んでいるのか、が大事になりそうですね。

(コメント)
内容をすぐに忘れてしまう。読書が苦手な人は何から始めたらいいでしょう?
(キム先生)これは読書が苦手ではなくて、記憶が苦手な人。
以前少し話したと思うが、僕は自分の中に記憶力は存在しないと思っている部分がある。先程の岩波文庫の素敵な表現があると、「素敵な表現だ。これを覚えておこう!」とはならない。3日くらい経つと忘れるのは100%確定だから、今すぐこれをちゃんと書き残す。またはスマホで撮影する。最初はペンでチェックして、後からカメラでどんどん撮っていって、その画像を全部自分にメールする。そしてパワーポイントのスライドを出して、2つのコンポーネントがあるようにする。左側に画像を貼って、右側に書けるようなフォーマットにできるので、左側にひたすら画像を貼る。例えばショーペンハウアーの「知性とはなにか」という本で何か良い文章を見つけて、線を引いたものを左に画像として貼り、右側にそれに対して自分が感じていることやそこに書かれている素敵な表現をどんどん書く。そのスライドがどんどん出来上がる。1冊あたり100ページくらいのパワポが出来上がる。
やり方としては、自分の中で内容面または表現で素敵なところをチェックをして、後になってひたすらスマホで写真を撮り、それを自分のeメールに送って、PCに保存し、パワポまたはキーノートで、フォーマットを2つにして左側にどんどん貼っていく。週末時間があって自分の心がすごくリラックスした時に、一つ一つ見ながら右側に感想などを書いていく。ある意味では共同作品を作る。
(徳田さん)そういうものを、何か迷った時やヒントを得たいなという時にもう一度見直すんですね。
(キム先生)あとはPCで書くと検索ができる。「記憶」と打ったら記憶関係のものが全部出てくる。検索できるという意味では、データベースを自分で構築するのもいいんじゃないかと思う。【きざメモ!】

4.読むのではない。汚すの!
      共著本を作るつもりで読む

(キム先生)本をきれいに読む人と書き込みながら読む人といろいろあると思う。僕は完全に書き込み派。汚すくらいにいろんなことを書いていくので、先程のやり方もあるが、僕がずっとやったのは、本の中にいろいろ書き込む。賛同する時も反対する時も書き込んでいくと、最終的に後になって本を見てみると、その著者の書いたものと自分が書いたものが底に混在する形になって、ある意味共著本というか対談集のような形になっていく。
個人的にはきれいに本を読まずに、ブックオフでも売れないようにどんどん書き込んでいく。本を自分のものにするには汚していく。どんどん自分の意見を書き込んでいく、線を引いていく、ということをされた方がいいんじゃないかと思う。その時僕は確実にその本が自分のものになった気になる。
(徳田さん)どんどん書き込んだり、線を引いたり、ドッグイヤーしてみたり、「自分だけの本」にしていくということですよね。
(キム先生)図書館で借りるという方もいると思うが、その場合は、写真を撮ってさっきのやり方でやればいい。またはパワポに画像を貼ったものをプリントアウトして手書きで書き込んでもいい。また、絵で表現する方も中にはいらっしゃると思うので、手書きの絵で表現するのもありじゃないかと思う。
(徳田さん)自分のアイデアとか発想を書いていくわけですね。
(キム先生)いつかみんなで集まって、「汚した本」を見せ合いながら読書会を開いてもいいかもしれない。
(コメント)付箋まみれになります。線はもったいなくて引けない。読み返してみると思うことが変わったりするので、すごい色になりそう。
(キム先生)もったいないと思わずに、ぜひ引いたり書いたりたくさんした方がいいと思う。著者も喜ぶ。僕の本をイベントの時に「読みました」と持参される方がいる。その時に2つ嬉しい時があって、一つはずっとお風呂で読んでいてぼろぼろになりました、という時。もう一つは、いろんな線を引いたり書き込んだりしてあるのを見るとちょっと泣きそうになる。著者の立場からすると、本に線を引いたり何かを書き込んだりするということが、著者としては最高の喜び。

5.「1時間3回読み」のススメ

(キム先生)本を読む時間がなかなかないという方も中にはたくさんいると思う。一冊読むのに時間がかかりすぎるとかあると思うが、本を読み切るという読書の時間というのは、本を読み終わって後から時間を計って決めるのではなくて、本を見た時に、これには自分がどれくらいの時間を与えるかということを先に決めて、その時間内でその本を全部読む、ということをしないと、本は永遠に読み終わらない。
僕自身はだいたい一冊1時間。その時に、10分、20分、30分に分ける。10分の時はタイトルと目次をじっと見て、20分の時は、ある程度表とか一番メインの話をパラパラパラとちょっとチェックしながら読む。残りの30分は書き込みながら読む。このように1時間の中で3回読む。
みなさんは1時間で3回読むのは無理だと思っているかもしれないが、1時間で3回読むと自分で決めればいいだけの話。最初の10分で目次とパラパラと最後のページまでいって、20分の時にもうちょっとちゃんと読むところをチェックしながら読んで、最後の30分でどんどん書き込みながら読む。
マインドセットとしては、「1時間後にセンター試験がある」と。「この本から絶対出る」と。そうすると1時間の間に絶対読まないといけない。そうするとその1時間の間ものすごく集中力が高くなる。そのくらい1冊の本に対して、自分の命のかけらである時間というものをどれだけ与えるかを事前に決める。それに基づいて、つまり本より自分の時間を優先する。本にその時間に従わせる形で読むと、そのメリハリがきくと、人間はものすごく集中力が発揮できる。
逆に、本当に重要なポイントが自分の中に残る。ポイントを3回読むことになるので、そうすると大体1冊を12時間かけて読んでも、3週間後に内容を聞かれた時にその人はほとんど答えられない。ちょっとしたディテールの話しかできないが、1時間の中で3回読んだことがある人は、構造的に頭の中で著者の考えと構造というものが全部頭の中で理解が出来るので、3週間後に聞かれてもだいたい語れる。【きざメモ!】
1回ちゃんと読むより、3回適当に読む方がはるかに効果が高い。
フォトリーディングなどの「速読」ではない。すごい集中力も要らない。ただ自分が持っている集中力をその時間に当てはめて、とりあえず終わらせるだけ。時間内に終わらせることを心がけて、1時間3回読みを1回やってみるとすごい効果が出ると保証ができる。
大学や大学院で自分が研究している院生や学部生を指導する時によく使った方法。論文って結構難しいが時間内で3回読ませる。そうするとちゃんと構造がつかめる。
3回読むと、「建設」ではなくて「建築」が分かる。最初その建物を立てようとした人を「建築家」という。それに基づいて建設現場で色んな人が頑張る。その建物のそもそもの構造が分かると、建物の見え方が全く違ってくる。「建築」、著者がそもそもなぜこの本を書いて、ここにはどういった思いが込められているかとちゃんと理解できると、その本を読む意義があると思う。「アーキテクチャ」「建築マインド」を手に入れるためにも、3回読むと、「アーキテクチャ」「建築マインド」が頭の中に入る。


【 推薦図書 】

「読書という荒野」見城 徹 著 : http://amzn.asia/66paIfd

(キム先生)著者の方は、人生ものすごく過剰な熱さで生きている方であり、彼は元々編集者からスタートしていて、読書に対してものすごくこだわりを持っている方でもある。
最近読んで、すごく熱い本だなと。あとは読書の本質について、本の本質についても理解しきった方の言葉でもあるので、とても言葉の使い方も素敵だと思う。
エンターテイニングでもあるのでぜひお読みになればと思う。
(徳田さん)うちのスタッフもこれ読んだと言っていて「めちゃくちゃ面白かった」と大絶賛していました。
(キム先生)ラーメンで言うとものすごい豚骨でこってり。なので自分がちょっと今なあなあで生きてるな緊張感ないなと思っている方もちょっとこういう「こってり」を試していただければと思う。

【 徳田さんのマニフェスト(仮) 】

私も読書がちょっと苦手というか積ん読派なんです。いろんなものが散らばって読みかけのものとかあるんですが、まずそれはそれで一回いいのかなと思って。

1.自分の見ていない世界を知れるっていう意味では、本はものすごく大切なものであるなと思ったので、たくさんの分野、ジャンルを偏らせないでいろんな分野、俳句の本なんて読んだことないんですが、今日のキムさんのお話をきっかけに手にとってみたいなと思いました。

2.どんな本を読むにしても、何かこう自分が本を読んでどう行動できるのかっていうところで、作者が思っている考え方とかたぶんこういうことを伝えたいんだろうなっていうのはもちろんあると思うんですが、それを自分なりに解釈してしまおう、と思いました。作者の方の考えをきっかけに自分の生活に取り入れて、自分だったらこう出来るな、近づけるな、というのを自分なりに解釈して行動に移していきたいと思います。

3.そして最終的に、本をそもそも読むに当たって、この本をなんで自分が読んでいるのかっていうのを常に忘れないようにしたいと思いました。何故かと言うと、この本を読んで、なんのために読んでいるかわからなくなると、結局また集中力も切れてしまって、行動にも移せないことになると思うので、まずは毎回これはなんのために読んで、読んだ後に自分はどんな姿になっていたいのか、というのを頭の隅に置きながら読んでいきたいなと思っています。

【課題提出はこちら】

回答URL:https://goo.gl/forms/SCvJ9GCfIJONRdb93


【次回予告】

「第十一回 - 旅とライフスタイル -」
8月14日(火)20:00〜21:00

「特別編 - Schoo 受講生で作ったベストマニフェストを振り返ろう -」
8月28日(火)22:00〜23:00
※ 開講時間がことなるのでご注意を!

【キム先生からのお知らせ】

オンラインサロン「愛と勇気と癒しのキムゼミ」
https://lounge.dmm.com/detail/1186/
※ 8/10 第一期、満員になりました。


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