スクー 「キムゼミ 第八回 - 習慣の再構築 -」

【 キムゼミの目的 】

 『人生を変える、作る』
 
人は自分の人生を作っていると感じている時に幸せと感じる。
 自分の人生を作る力は自分の中に内在している、と信じることが大切。
 自分の意思と自分の決断と自分の行動で自分の人生を変えることができる。

【 Schoo受講生の「挑戦と自己革新のマニフェスト」
   ベスト3 】

No.3 ”自分のため"と"誰かのため"は別物ではない、と認識する。
(キム先生)
この表現も素敵だが、若干修正すると、"自分のため"と"誰かのため"というものを一致させる事ができる、ということだと思う。認識というよりは、"自分のため"と"誰かのため"を調和させるという意識を持つことが大事。
表面的にとらえると、誰かのために頑張る自分は苦しい、ということになったりもするし、自分のために頑張ることは自分よがりで誰かを不幸にする、またはその人に負担をかけてしまう、というシーソーのような感じになることがありうると思うが、そうではなく、一緒に上昇し合うポジティブなスパイラルに変えていくことが出来る。
そのために自分はどうすればいいのか、を常に頭の中で考えて、実行ができる人間になった時に、自分のためにやることが誰かのためになり、誰かのためにやることが自分のためになると思う。少し意識的に、自分の中で2つの関係性というものを、対立関係ではなく、調和する、創造するような関係に変えていく力が自分の中に内在している、ということを認識していただければと思う。
(徳田さん)確かに、人のためにやっていて、与えてばかりだなと思っているとキツいな辛いなと思うが、それが人のためとか自分のためとか関係なしにミックスされていると思うともっと豊かになりますね。
(キム先生)どちらもないがしろにするには値しない。両方とも大事にする必要があって、両方とも大事にすることが出来るということをちゃんと認識したほうが良い。頭の中では「どっちか」となりがち。どっちも大事にできる方法がある、という前提からスタートした方がいいと思う。
(コメント)なかなか、人のために、と心の底から思えなかったりします。
(キム先生)もっともっと自分の奥に入っていくと、絶対人のためになることに喜びを感じる自分がいるはず。自分の中でもっと深海、心の海の深いところに潜っていくことをやめないこと。全ての人間は絶対持っている。
なぜかというと、全ての人間は愛の結晶であり、愛がなければ絶対自分の命はなかったに等しい。愛の結晶だと思えば、自分の中に入れば入るほど、愛の泉に到達できる。そうすると、愛というものは、区別を超える愛になるので、自分も他者も同じ、個人レベルではなく人類レベルで考えることができれば、自分と他者の利害関数というものは完全に一致することになると思う。
そこに到達すれば、すべての対立、境界を超えることが出来る。ある意味では神の領域。全ては一つであると。それが究極の平和に到達する方法ではないかと思う。
Love&Peaceはまさにそういう言葉。愛というものを本当に自分が認識して、それを実践すると必ずそこには平和のある世界が現れてくる。
(コメント)自分以外の人のために深く考えると何だかパワーアップしている自分を感じることがある
(徳田さん)自分のためにできなくても人のためを思ってパワーを発揮できることってあると思う。
(キム先生)これがまさに、誰かのためにすることが自分の喜びになっているということ。きっとこの方が感じていることは、誰かのために自分が考えて行動するということで、自分の心が満たされているということを同時に感じている、実感している、ということだと思う。そうすると自分もパワーアップして、誰かも幸せになるという世界になってくると、それを全員が心がける社会になると本当に幸せな世界。
(コメント)相手に与えていると、吸い取られている感覚になることがある。愛が足りない...
(キム先生)この方の場合は、自分を大事にする、自分に対する愛というものと他社に対する愛というもののバランスが少し崩れているのかもしれない。この方はもっと自分に対する愛というものを心がけるといいかもしれない。たぶんそういう信号なんだろうと思う。自分の心から生み出した愛じゃない場合は、ある意味愛を与えなければならないという義務感になってくるので、本当に自分がその人のために与えたいのか、というところから始めてみるといいかもしれない。
(コメント)マズローの5段階の欲求には実は6段目があって、それが利他の心だとか。心の深いところに確かにあるんですね。
(キム先生)つまり自分の欲求を超えたということですね。

No.2 思慮深く自分自身に問いかけ、最後は直感で納得いくものを選択し、楽観的に行動する。
(キム先生)素晴らしい言葉。理性だけではなくて、ちゃんと理性と心、後理性に基づいて決断して行動する、というところまでまとめられている。最初なにか意思判断をする時に、自分が思慮深く考えて慎重に検討することはすごく大事だが、この方が書かれているように、最終的には自分の心の声、ここでは直感で納得いく選択をすると。そして行動する時は、楽観的な感じで光を見て可能性を見て行動することってすごく大事なので、いわゆる思考の力と感覚の力と身体的な力の三位一体を使いこなすいい指針となる言葉の羅列で素晴らしい。
(徳田さん)理性的な部分もあれば、行動するというところまで言い切るところがバランスがいい。
(キム先生)よくあるのは、思慮深く慎重に理性的に自分で深く問いかけて検討して、理性的に一番make senseな合理的な選択をし、それに基づいて、現実的に行動する、というのが、いわゆる世界の通常のやり方。それに対して、この方は、ちゃんと理性的に検討はするのだけれど、最終的に決断する時は、自分の心の声、直感で決断をして、行動する時は、リアリティも大事だが、これは絶対できる、というある程度の楽観を持って自信を持って行動に移していく。それは当たり前に見えて実は一番できていない。現代の人たちは。これを何回も読み直しながら、自分の選択と自分の決断と自分の行動に対して、この3つの基準でチェックしてみるといいのではないか。

No.1 潜在能力は、自分の中にかくれているスーパーマン。挑戦を続ける自分がピンチになった時にこそ現れて、自分を救う。
(キム先生)前回、挑戦をする際に、自分が持っている能力、つまり過去から積み上げてきて自分の中で確認ができた能力に基づいて目標を設定して、その能力が発揮できる場合は挑戦をするが、その能力では足りない、と思った時は挑戦をしない、という話をしながらも、でも実は自分が認識している能力は自分の力の3%しかなく、自分の中に眠っている97%の潜在能力というのは、挑戦に踏み切った時に現れてくる、ということなので、とにかく、今の冷静な現実的な判断ではなくて、やりたいことをやればいいんだと、挑戦をすればいいんだ、という話を理屈的にしたが、この方はスーパーマンなんだと。
確かにスーパーマンって、こんな時ほしい!と思った時に現れてくれる。なにかそういう風に自分の中にスーパーマンが眠っていると思えば、で自分が挑戦と勇気を持った決断と行動した時にスーパーマンが駆けつけてくれると思ったら、挑戦する際のバリアはすごく低くなるのではないか。

【 前回授業の質問 】

Q.最初は自分のために(internal)だったのに、ふと気がついたら誰かに勝つために(external)になっていて、すごく自分にがっかりするときがあります。internalなワクワクにスムーズに戻すコツはありますか?
(キム先生)モチベーションの動機の話をした時に、自分のモチベーションの根源的なところに何があるかといった時に、モチベーションが位置する場所、それを名声とかお金とか地位とかの外部的なexternalなものから自分のモチベーションやる気のスイッチを求めるのか、自分が心からしたい、また愛するからしたいという内面的なところからモチベーションのスイッチを置くのかといった時に、最初は内面的なところだったのだが、だんだん外面的なものになっていく。これはある意味人間にはそういう傾向があるので仕方ない部分もあると思うが、そこにもし自分が内面的なところに戻したいというような気持ちがあるとする場合は、やっぱり自分の心の中で本当にこれがやりたいかどうか、ということをもう一度確認をする。
以前紹介したサイモン・シネックの話で言うと、「WHAT」や「HOW」の以前に、自分がそれをやる理由は何なのかという「WHY」の部分を、もう一回自分の中で原点に戻って、初心に戻って、問い直してみると、自分の中のモチベーションの確認ができる。
場合によっては、外面的な意味でのモチベーションはすごくあるが、内面的な意味でのモチベーションはいまいち見つからない場合は、その仕事は自分でやめる、ということを自分で決断するというのもありかなと思う。
でもう一回戻って、原点初心を確認した上で、やっぱり私はこれをやりたい、といった時に、自分がそれをやればいいし、その時は、外面的なモチベーションのスイッチが内面化されたということになると思うので、もう一度「WHY」のところ、なぜこれをやりたいのか、ということを自分の中で問い直してみるといいのではないかと思う。

Q.自分の身内が未来の自分の声に惹かれてやったことない決断をするとき、リスクが高いと感じてあまり賛成できないことがあります。傷ついてほしくない人に対してどのように接すればいいでしょうか?
(キム先生)これはもう、その人に委ねること。その人が、ちゃんとした、その人の人生のための決断を下す力があるということを信じてあげるということだと思う。「私はこう思う」という助言はあってもいいと思うが、「こうした方がいいよ」とは言わない方がいいと思う。その方に対して情報を与えたり、参考意見として自分の話をすることはとてもいいと思うが、最終的にはあなたが決めることでそれについては私はどんな決断であっても選択であってもそれは支持はするけど、私が今見た時は、こういうこういうのもあるんじゃないか、というところのリスク含めてその人に伝えていくことは全然ありだと思う。その人が後悔しないような選択をするために必要となる情報についてはその人に提供することはあってもいいと思う。
(徳田さん)直接口をだすのではなく、サイレントギフトのようにうなずいて、ただちょっとアドバイスというか大事なところだけここだけつたえたいなというところだけ教えてあげるということですね。
(キム先生)枕詞一つ入れるのと入れないので全然違う。「あなたは最終的には良い決断をすると思うし、どんな決断でも私は応援しますけど、その案件については、私はこういう経験をしていて、こういう知識もあるので、あくまでも参考材料として受け取っていただければ嬉しいです」というと、押し付けがましくない。でも自分で冷静に判断する上で判断材料にはなると思う。
でも「あなたはまだ若いからわからないと思うけど、絶対こうした方がいいよ」というと、まあ聞き入れてもいいんだけどその言葉に従って判断を下すと何か自分の判断が乗っ取られたような気持ちになったりもする。
同じことを伝えようとする際、前者の伝え方の方がよりその人に響く確率も高かったりする。枕詞というのは良い日本語で、何が言いたいかという内容よりも、それをどういう風に伝えるかということがすごく大事な場面がある。そういう言葉の内容だけではなくて、言葉の表現の仕方、トーン、枕詞含めてそういうものの組み合わせによって、自分が達成したい目標より達成しやすくなったり、相手に対するリスペクトをより伝えることができたりするような、繊細な使い方が日本語はできる。そういう形で考えると、日本語というのは、使い方に寄っては、苦い食材を絶品料理にするくらいの腕を持った言語だと思う。
(コメント)もし私だったら、勇気くじきはしてほしくないと思います。決断をするのはあくまで本人なので。
(徳田さん)相手に委ねるのが大事ですよね。先程おっしゃっていた思考を乗っ取られるという表現がズシッと来ました。口を出してしまうと、自分の思いとか感情を乗っ取られた感じがありますね。
(キム先生)特にこれを自分の子どもや後輩や部下にできるようになった上司というのは、すごく尊敬される。本当のリーダーシップで、サーヴァントリーダーシップ的なところだったりサイレントリーダーシップなところもある。
やっぱり自分の子どもだったら、子どもより経験も知識もあるからいろいろ言いたくなる、後輩だったら部下だったらいろいろ言いたくなる。
それをやる人たちは世の中にいっぱいいるが、自分の上司や先輩や親がやっぱり自分の決断する考えるまた行動する力を信じてくれる、ずっと見守ってくれる人がいると、その人がいるだけで自分はすごく自信があがってくる。
そういった、案件の問題ではなくて、存在としての信頼を寄せてくれるような人になると、相手側からするとすごく生きる力になる。
(コメント)最終的にその決断が失敗したとしても、自信を尊重してくれるとなお嬉しい...
(キム先生)この決断は一回きりであれば、命にかかわるような問題だったら、絶対やめなさいということは言っていいと思う。そうではなくて我々は我々自身の人生を振り返った時に、いろんな失敗、火傷、痛い目にあって、今の自分があるということはみんな思っている部分がある。なので、その人がその人の決断に基づいて失敗する権利を奪ってはいけないと思う。なぜかというと、その失敗は短期的にはすごく苦くても、それがあるからこそその人が本当の意味で実感をして反省をして成長する機会であったりもする。バネみたいなこともあるので、そこを奪い去ってはいけない部分があるので、最終的な決断と行動とその行動に対する責任というものは、その人に委ねるくらいの気持ちで関わっていくといいんじゃないかと思う。

Q.外面的な欲求が内面的に変化しても自分の中に取り入れたと思っていいのでしょうか? シックリ納得!と、自分の中に落ちたらいいのでしょうか?
(キム先生)それしかないのでないか。自分の中に落ちなければ、他の全員が落ちても全く意味がないので、こういう時は本当の意味で自分の意思に対する絶対的な信頼というものがすごく大事な気がする。自分の人生の重大なことに関わる場合は、自分の心が納得するかどうかが優先順位が圧倒的に一番高い。世の中的にどうのこうのという以前に、自分の心が納得した時は、世の中が自分の敵に回ってもその人は自分の信念を貫くことが出来、後悔がなくなる。でも自分の心の声を抑えて周りに合わせて生きると、その人は後になって、自分の人生を生きた感覚にならない。自分の心で納得するかどうかということは、わがままなことではなくて、この時は超わがままになった方がよくて、それを限りなく大事にしていくことを心がけるといいのではないかと思う。

Q.未来の自分の声を聴く、深層心理に気づくことがとても苦手です。何か良い鍵、習慣などはありますか?
(キム先生)未来の自分の声を聴く姿勢を持った時に、聴こえなくなる時がある。「私これから何したらいいんだろう?」という時に答えが簡単に出ないことが結構あるが、そういう時は、今の段階で答えを探そうとせずに、自分にいろんな体験をさせてあげた方がいいと思う。今までにないような体験をすることによって、自分の深層心理と潜在意識の中でギャップが生まれる。自分の深層心理と潜在意識に対して新しい体験をさせてあげることによって、欲というものが生まれてくる。なので、ちょっと遠回りに見えるが、今日のテーマにもなるのでその時に詳細を話すが、こういう時は、自分に新しい体験をさせてあげて、答えを出すのは少し留保する、時間を置く、ということがあってもいいと思う。遠回りに見えて実はそれが一番確実で一番早く目的地にたどり着く道だったりする。袋小路のところが近いからといって、そこでずっとやっても壁が厚いと絶対通り抜けられない。そういう時は一見遠回りに見えても、むしろその道しかないし、それを行かざるを得ないことがあるので、物理的にはより距離がかかっても、そうじゃないと到達できない目的地だったりする。そういう時は賢く軌道修正していくことがすごく大事。
(徳田さん)最近知ったんですが、自分がやりたいことなんだろうってわからなくなった時に、自分が小さい頃幼少期に好きだったこととか、原体験にもどるというか、自分は元々何をやっている時が楽しかったのかな、というのを思い返してみるといいよ、と聞いたことがあって、そういうのって効果的ですか?
(キム先生)僕はあまりそういうことはしない。未来に何がしたいのかがわからない時は、日常を丁寧にするか、全く関係ない新しい体験をする。新しい人と会ったり、新しい場所に行ったり、そういうようなことをやればいい。
その話(原体験を思い出す)は結構いろんなところで聞く。「自分のやりたいことは子供の頃から変わってない」とか「原体験から未来のやりたいことがわかる」とか聞くが、僕の人生はそれらは全く関係がない。自分の子供の頃を振り返った時に、自分が将来何をやりたいのか考えた時に、全く記憶がない。あの時自分は未来について考えたかとか、やりたいことを全く思い出せない。僕の中では全くそういう話は実感がない。
どう過去を振り返ってもこれから何をやりたいか全く見つからないし、むしろ過去の自分がやりたくても、それはあまり関係ない、というのが僕の感覚。今やりたいかどうかで、今やりたくないことがあれば、今の生活を楽しめばいいと思う。無理に何かこれからの目的地を探してやるということが目標ではない気がしている。
今の日常、今日出会う人とか、今日与えられた時間とか、そういうものを丁寧に楽しむ、また感謝をしながら生きるということだけで僕は十分な気がしている。
お金を稼ぎたい、とか、昇進したいとか、いろいろあるが、昔はそんなものがなくても全然楽しく生きていけた。狩りをしながらとか、農業しながらとか、家族ととか、お金とかも要らないような世界が昔存在した。実際価値を生み出しながら楽しみながら。
あまり「成長しなきゃ」とか「新しく決めなきゃ」という強迫観念はなくて全然いいような、僕はそういう主義。
(徳田さん)今の自分の近くでみつけるというか、今を丁寧にするということですね。
(キム先生)今を丁寧にすると、感度が高まる。今の生活を丁寧にしないというのは、流れに乗ってしまって溺れてしまって、現在の時点というものをちゃんと自分が噛みしめること、踏みしめることができずにずっと走っちゃった、ということだと思う。
今の目の前にあるご飯を美味しく食べるとか、隣りにいる人と会話をするとか、自然を感じるとか周りを見るとか、そういうことをすると自分の感度が高まる。心の感度が高まると、自分の脳が自分の心を聞くということを心がけて聞こえるようになるということ。「ああ嬉しい」「ああ嫌だ」含めて。そうすると、脳が心の声を拾う感度が高まると、これから何がしたい、となった時に心の声が聞こえてくる。
ずっと「何かやらなきゃ」となると、心の声を無視して作ろうとするので、ちょっと聞こえそうになったものを拡大解釈して、「俺はこれをやるんだ」と走ってしまうと、逆に何かもったいない。それが本当に目指したいところですか、という話になってくると思うので、そういう時は、ちょっとそういうのはやめて、今日一日丁寧にちゃんと感謝しながら愛を持って生きようということで一日生きてみると、ふとした時に降りてくる。
「これがやりたかったんだ!」と。
(徳田さん)確かに現代生きているとできていないことだなと思います。
次の予定のこと考えていたりとか、あれしなきゃこれしなきゃ、と、今一緒にいる時間とかをどこかで大事にできていない、疎かにしている、もちろんその気はなくても、無意識のうちにそうなっているのかなとおもうので、そこは大事にしたいですね。
(キム先生)経済が発展したからといって、我々の生活が金銭的に豊かになったからといって、我々の幸せが増えたとは絶対ないですね。文明が発展することで人間が幸せになるとは限らない部分があるので、幸せになる道というのは本質的な意味では変わらないんじゃないかと。その本質を我々は見失いがちなのが現代社会だとすると、自らの意思で一回原点に回帰をするステップを自分の中で入れていくことが必要なんじゃないかなと思う。

【 習慣の再構築の5ヶ条 】

1.習慣は脳の究極の省エネ自動操縦システムである

(キム先生)脳が自分で判断することをやめた時にそれが習慣になる。なので、何かやる時に、脳がいちいち判断する場合は、まだ習慣になっていないということ。なので脳がそれ(判断)をやめた時に習慣になる、と思えばいい。習慣の正体はそういうことだと思う。
なぜかといえば、脳は合理的な判断をするので、何回か繰り返すとだいたいそれをやることによって得られる結果効果が分かる。すると、それが自分が生きるのに望ましいものだと思った時に、脳はいちいち判断をせずにルーチーンを作る。それが我々が普通に意識しなくてもできてしまっているある意味での習慣である。習慣の正体は、基本的に脳は省エネしながら達成したい目標を達成する自動操縦システムなので、習慣の正体はそういうものだとまずは認識することが大事。僕の中の習慣の定義はそういうこと。
(徳田さん)無駄がない、とも言えますか?
(キム先生)無駄がないけど、それがネガティブに作用することはある。その習慣の中身。その習慣がもたらす結果に対して自分が判断した時に、「ああやっぱり僕にとって幸せの種」ということもあるし、「ああ今日もまたこうやって怠けちゃった」だったら、その習慣は自分で結果をみて「嫌だな」と思う。だから習慣が無駄かどうか、は習慣の中身による。

2.習慣は、人生の味方にもなり、敵にもなる

(キム先生)例えば自分の中で「これは良い習慣だ」というのもあれば、「この習慣は直したいな」というものもあるはず。無意識で繰り返されてしまっている。自分の中で後で振り返った時に、この習慣は直したいけど直せてないんだといった時に、その習慣は自分の人生にとってプラスにはならない。そういう意味で、敵という表現は過激ではあるが、プラスではなくネガティブに作用することもありうる。
習慣自体はニュートラルではあるが、我々がそれを使いこなすことができなければ、時には我々の人生において不幸を生み出す、または幸せを減らしていくという風にも機能しうる。
だから今回の「習慣の再構築」というテーマというのは、習慣というものを人生の味方にして、自分の人生をより自由に豊かに幸せにしていくには、その習慣とどういう風に向き合って、どういう風に使いこなせばいいか、ということを伝えられればと思う。
(徳田さん)悪いことというか、自分の中で「やめたい」ということを続けていると、それが敵になる、ということですよね。
(キム先生)例えば話をする時に、ついつい知ったかぶりをしてしまうとか、相手の話を遮ってしまう習慣が自分の中にあったりとか、なにか嫌味を言ってしまうとか、今日はパートナーと仲良くしたかったのになぜかついつい口が出ちゃうとか、両親との電話の時に優しくしたかったのになにかの言葉がきっかけで「そういうこと聞かないでよ」とか、すぐ切っちゃうとか、そういうことはあり得る。
自分の意識の中でコントロールできない世界に習慣が生きていて、習慣が実際の結果を生み出すから、意識がその時は習慣という無意識に乗っ取られて、結果を見て意識が後悔をする。直したいのだけれど今の意識の領域では制御できないものだから、この習慣どうすればいいのだろう、ということで、悩んでいる方が結構いると思う。

3.「身についた習慣」を「身につけた習慣」に変える

(キム先生)最初の考え方としては、習慣というものは自分の人生の味方になる「良い習慣」と敵になる「悪い習慣」がある、ということを頭の中に入れるのがファーストステップ。
「良い習慣」と「悪い習慣」はどういう風に起源が分かれるかというと、僕の中での一つの結論としては、いつの間にか身についてしまった習慣はたいてい「悪い習慣」になる傾向がある。よっぽど家庭教育が良くなければ。
「良い習慣」もある。朝起きて葉を磨いて、という家庭教育がちゃんとあると、子供の頃に良い習慣を身につけると、本人は意識していないけれどいつの間にか身についてしまった習慣ではあるが、自分の人生にとってはとても良い習慣。
ほとんどの場合は、意識しないで身についてしまった習慣というのは、ちょっと「悪い習慣」に近い。
逆に言うと、自分が意識をして繰り返し努力をして身についた習慣はだいたい「良い習慣」。自分が決意して繰り返して身についた習慣は「良い習慣」である確率が高い。
自分の中で習慣となっているものをリストアップしてみて、「良い習慣」と「捨てたい習慣」を分けた時に、Aという習慣は身についてしまった習慣なのか身につけた習慣なのか。身についてしまった習慣は意識の範囲外。身につけた習慣は自分が努力して作った習慣。分類してみると、良い習慣と身につけた習慣は同じ分類。身についてしまった習慣とちょっと悪い習慣はそれとは別の分類。
結論としては、「良い習慣」をもっともっと伸ばして、「悪い習慣」をなんとかしないといけないということにたどり着く。自分の習慣を分類して、再構築を必要とする対象を選ぶというのがこのステップ。
(コメント)無意識な習慣はやめてもいい習慣な気がしました。
(キム先生)(習慣がいる)「住所」が無意識(2つの「無意識」の意味がある)。そこ(住所である無意識)に、"無意識に"引っ越してしまったのか、自分がちゃんと引っ越しをさせたのか。習慣は無意識の中に生きているが、意識の世界から無意識の習慣にする時に、自分が意識して(努力して)引っ越しさせたのか、いつの間にか引っ越ししてしまったのか。
(コメント)最近、「やめたいと思っているのは誰?」と自問自答するようにしています。そうすると、やめるきっかけになります。
(コメント)習慣は魔法みたいですね。良い習慣は自分だけでなく、人を幸福に導く。悪い習慣は自分だけでなく、他人を不幸にしてしまう。
(キム先生)やっかいなのは、習慣は自分の中で意識しないので、他人を不幸にしても本人は意識しない。他人からの評判はどんどん落ちているけれど本人は気づかなかったりする。それはコミュニケーションにおいてある。本人は気づいてないけどすごい悪い癖が出るということがある。習慣の怖いところは、本人に悪意はないが結果的に他人を不幸にし続けてしまっているということの現実的な結果は結構致命傷になりかねないものがあるので、全ての習慣、特に悪い習慣については、もう一度自分の中で意識の光を照らして、ちゃんと意識の世界に引っ越しさせて、訓練をし直して、無意識の世界に戻して「良い習慣」に変えていく、ということをやることがとても大事。
逆に、これをちゃんと作り直すことができたら、自分は何も考えなくても、どんどん周りが幸せになっていって自分が幸せになっていくということにもなるので、自分との向き合い方と制御の使いこなし方だけで、習慣の持つ人生における影響というものは劇的に変わっていくのではないかと思う。

4.意識の世界でつくり上げた新しい習慣を無意識の世界に移植していく

(キム先生)自分の中で「悪い習慣」があるとすると、「悪い習慣」が住んでいるのは「無意識の世界」なので、そのままで自分の意識の力で制御することは難しいので、一回それを意識してあげることで、その「悪い習慣」を「意識の世界」に連れて来る。「意識の世界」で繰り返し訓練をさせ、「良い習慣」に変えていく。変えていってそれを繰り返せば、それは「良い習慣」として無意識に移行する。
悪い習慣を良い習慣に変えていくためには、まず「悪い習慣を認識する」のがファーストステップ。2つ目は、悪い習慣に意識の光を照らし続ける。文章に書いてもいい。「これは私の悪い習慣である」と明確に認識をする。つまり「無意識」に放っておかない。「直そう直そう」ということで、その後自分の中で行動する。行動を繰り返して、反復をするとルーチーンになる。新しいルーチーンにすると、いつの間にか無意識の世界に、自分の意識の中で鍛え直した、鍛え上げた「良い習慣」というものを移植することが出来る。
無意識の中にある「良い習慣」はそのまま励ましながら置いといて、悪い問題児たちを連れてきて、意識の世界で愛を与えながら、繰り返し繰り返し訓練をし直すと、いつの間にかいい子たちになって戻って、みんなが平和な世界を作ると、自分はなにもしなくて意識をしないが、無意識の世界では自分を幸せにし、他人を幸せにするように、自動操縦システムが動いていくと、その人の人生はエネルギーをかけないがみんながハッピーになれる。そういった人生を作っていくことができるのではないかと思う。
概念的には、1,2,3,4というところを頭の中で実践をする。あとはケースバイケースではあるが、頭の中では基本公式はこういう公式なんだと。良い習慣と悪い習慣を分けて、悪い習慣に意識を注ぐ。悪い習慣を良い習慣に変えるための行動を起こし、その行動を反復していく中で、悪い習慣は良い習慣に変わって戻っていく、という意識を持つといいんじゃないかと思う。
(コメント)悪い習慣の認識の仕方はどうやるんでしょう?
(キム先生)自分で判断するかまたは周りに聞くといいと思う。良い習慣も書いてもらって、直してほしいところがあれば...とか。それが一番早い。なぜなら本人が一番気づかない部分がある。こういう時に人間関係の力が問われている部分があって、そういうことを聞いてもいい相手がいるかということもあったりするが、身近な人で自分が信頼する人に「私今よりいい人間になりたい。幸せになって周りにも幸せを伝えられる人間になりたい。私の中で直してほしいものとか直したほうがいい習慣とかそいういうものがあったら教えて」と言うとか。
あと、自分の中で向き合うと絶対都合は悪いが何か気づくところがある。「こういう時に僕は丁寧さが欠ける」とか「自分がしくじった時に謝るのがいつも遅い」とか、「両方の意見がぶつかった時に自分のことだけを考えて相手が間違えていると言ってしまう」とか、「自分の心が弱いから自分の身近な人についその人の悪口を悪口のつもりではないけど何か一方的にフェアじゃないことを言ってしまう」とか含めて。
また自分の一日を振り返ってみると、「朝目覚めたらすぐ起きればいいのに起きていない自分がいる」とか、「夜寝る前に風呂入ってきて、読書をして寝たらベストだがついスマホを見てしまい、朝起きても疲れが取れない。直そうとするけれど何日も続いてしまったり」とか。そういうことって分かっているけれど分かろうとしない自分がいるので、そういう時は、これからちゃんと分かろうと、見逃さないようにしようと、リストアップしようとやると、自分で気づいていく。
(コメント)日々を丁寧に生きるにつながってくるのですね!
(キム先生)こういう風に生きると、毎日が自分にとっての成長のステップになるというか、一日一日過ごすことによって自分がより成長して成熟していくことができると思う。僕はそういうものを快感として感じていて、昨日の自分は未熟だったけど、昨日の自分よりは成熟した自分になって、明日の自分は今日の自分より成熟した自分と出逢いたいと思うから、今日の自分も割と冷静に見て、悪い習慣とかそういうものがあったら、ちょっとでも直そうと。ずっと頑張ることはできないので、たまには怠けたりしてもいいと思うが、基本的には、方向的には、自分は成熟に向かっていくという。上昇するというよりは、より深くなっていく、という感覚としてとらえるといいのではないかと思う。

5.潜在意識に新しい体験をさせてあげる

(キム先生)さっき質問の時も話をしたが、先週、日本で潜在意識でとても有名な友人とインタビューをして、その方が言った言葉で、僕の心の中でとても響いたこととして、今ある悪い習慣を直してまた戻していくということもあると思うが、自分の中で新しい習慣を外から取り入れていくということもとても大事だと思う。
自分にとって良い習慣と悪い習慣以外にも、良い習慣になれる候補は世の中にたくさんある。それを自分の武器にしていくことによって、自分が意識をしなくてもどんどん幸せになっていって自由になっていって豊かになっていくことって出来る気がするので、やはり自分の潜在意識に対して刺激を与えるという意味でも、自分は普段しない体験でワクワクするような体験をさせると、意識は「ああ体験してよかった」となるが、潜在意識では強烈に影響を受ける場合がある。
そうすると、自分は何もしなくても、潜在意識が「ああなりたい」となった時に、自分に「将来これがしたい」とインプットして、ある時にひらめきとして自分の中で降りてくる。そのひらめきというのは通常空から、神から降りてくるイメージを持ったりするが、実は自分の中で潜在意識、無意識の中で「これやりたい」と言う心の声がひらめきと言う形である時降りてきた時に、そういうインスピレーションに基づいて新しい挑戦ができたりすると思う。
そういった種をまく、と言う意味でも、自分の、意識無意識含めて、刺激を得るような体験というものを自分にプレゼントするということになると、いつもの通りの慣れているような経験ではなくて、新しい体験というものをすることにより躊躇しなくなる。むしろ自分が積極的になれる自分に出会えるんじゃないかと思う。
(徳田さん)なかなか潜在意識とか無意識の部分をどうやってコントロールしたらいいのかわからなかったんですけれど、こんな風に、今までやったことがない、慣れてないことを自分にやらせてみたりとか、そこで新しいインスピレーションが、また次の習慣になったりすることがあるんですね。
(キム先生)「潜在意識」「無意識」という言葉が難しく感じる場合は「習慣」ということとイコールとしてもいいと思う。潜在意識・無意識が自分の人生において大きな影響を与えるということが実感できていない方は結構いっぱいいらっしゃると思うが、習慣が自分の人生に大きな影響を与えるということについてはほぼ100%皆さん同意されると思うので、その習慣の属性、性格をよく理解した上で、自分の意志の力というものを及ぼすことが出来ると、その習慣というは自分の人生のより味方になっていくんじゃないかと思う。
(徳田さん)今回もご自分の3つのマニフェストを作っていただきますが、今回はそれ以外にも、今後自分が習慣化したいものがあればタイムラインでシェアしてください。
(キム先生)宣言の効果はすごく大きいので、自分の中でこれちょっと直したい習慣があったらそれを書いて、それに対して私は今夜または明日からこういったアクションを起こしていきます、ということを宣言をすると、その宣言というのは文字になっているから、自分の意識により刻まれる。そうすると後はそれを繰り返せば良い習慣に変わる。
(コメント)新しく取り入れた習慣が悪しき習慣を変えるかもしれないということでしょうか?
(キム先生)影響を与えることもあるし、もしその2つの習慣というものが同じ内容の習慣であれば、入れ替わる、書き換えられるという意味ではそうなる可能性もある。
また、無意識の世界の中でも、良い習慣が増えると悪い習慣が良い習慣に変わっていくこともできるんじゃないかと思う。入れ替わりもあるかもしれないし、間接的に影響を与えて、悪い習慣たちは良い習慣が増えると非行少年がいい人になる可能性も高いと思う。

【 推薦図書 】

「習慣の力 The Power of Habit」
チャールズ・デュヒッグ 著 http://amzn.asia/0DQo6ax
(キム先生)
この本にはいろんな事例も出ているし、一番根幹にある概念というものは、きっかけールーチーンー代価という3ステップ。
きっかけを掴んで、繰り返していくとルーチーンになって、そのルーチーンが最終的に代価を与えるとなると、人間はそれが習慣になりやすい。
朝起きて5分以内に布団から出た時は必ずチョコを自分にあげるとか、スタバで100円高い飲み物を注文するとか。5分以内に出られなかったら安いアイスコーヒー、とか。
そうすると、きっかけとルーチーンと代価、特に最後の、こうした時にこういう良いものが待っているとなったら、人は自動的にそれをする。動機付与がとても大事。
早く起きたことによって得るものってなんだ、ということになった時、それが将来すごく成功するよ、ということだったら、その代価・報酬はとても遠くて抽象的すぎる。
直後に自分の中でこういったご褒美が得られるんだとなった時、人はそれをやる、インセンティブが高まる。
やる気を出させるためのエンジニアリングをしてあげるといいんじゃないかと思う。そのようなことが書かれている本。

【 徳田さんのマニフェスト(仮)】

1.習慣を分類する。
自分の中で何を習慣にしているかをあまり考えたことがそもそもなかったので、あらためて考えようと思う。
2.なんでも「まあいいや」と終わらせてしまうことが多々あるのが悪い習慣だと思うので、これに対して必ず「まあいいや」と思った瞬間に「ダメだよ」と意識してあげて、それを最後まで突き詰める、というところを今からやる。
3.周りにいる人がどんな習慣を大事にしているかをよく観察して、「いいな」と思ったものを取り入れる。

(コメント:習慣化したいもの)
・ここしばらくAM2時就寝をせめて当日内にしたい
・自分を喜ばすために今選ぶ行動は?と、瞬間瞬間問いかけるようにする
・毎朝5時に起きたい!目覚めてすぐに起きたい!
・今日から朝1時間の独学しようと機能決心したのに今朝二度寝した。明日から早起きと勉強する!
etc.

(キム先生)皆さんの「良い習慣」も共有していただければ、他の方が悪い習慣を良い習慣に変える良いレシピを学ぶことができるので、意見交換されるといいんじゃないかと思う。

【ワーク「習慣の再構築のマニフェスト」

投稿はこちらから:https://goo.gl/forms/aLvEVvubEjz8Tich2

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