スクー 「キムゼミ 第七回 - 挑戦と自己革新 -」

【 キムゼミの目的 】

 『人生を変える、作る』
 人は自分の人生を作っていると感じている時に幸せと感じる。
 自分の人生を作る力は自分の中に内在している、と信じることが大切。
 自分の意思と自分の決断と自分の行動で自分の人生を変えることができる。

【 Schoo受講生の「目標設定と実現法のマニフェスト」
  ベスト3 】

No.3 どんな自分でありたいかを問い続け、今できるかは関係なく、まずは思い描く。
(キム先生)やりたいかどうかが最も大事で、今できるかどうかは関係ない。自分が認識しているのは、今までの時間の中で証明した力だけ。本来自分が秘めている潜在的な能力については、自分は確認はできていなくても、そこには存在しているので、まずは自分がやりたいことを問い続けて決断をすれば、自分の中には潜在意識が味方になって、自分の夢がかなっていく。今の自分の実力という評価基準で自分の夢を決めないことが大切。
・人生において、「どんな自分でありたいかを問い続けること」しか重要ではない。それだけを問い続ければよい。それが明確であれは、自分の中で悩みが全くなくなるはず。意思判断においても言葉を発することにおいても行動することにおいても、それが明確でなければ、これら全て迷ってしまう。どんな時でも「自分がどうありたいか」を最も大事にしていくとよい。

No.2 楽しいよ!と勧誘されても、競走部と比較部には入らない。
(キム先生)楽しいよと勧誘されるより、楽だよと勧誘される方が多いが、そこにのらない。
「○○部」には入らない方がいい。オーケストラとかには入らずに、人生は独演だと思って、独演会だけをやった方がいい。たまに、本当に美しい音色を出している人とデュエットを演ったりするのはいいが、人生において「○○部」には入らない方がいい。自分が独演が出来るくらいの実力をつけてから「○○部」に入るのはいいが、「○○部」に入ることによって自分の存在意義を見出そうとしないこと。群れの中に入ることでその群れの一員であることを自分のアイデンティティにしないこと。自分一人で強く幸せに生きていける力を持った上である群れに入ることは良いと思うが、逆の順番で、群れに入ることで自分が一人で生きていける力を身につけられるんじゃないかと思い込んではいけない。みんなが登るから登るのではなく、私が登りたいから登って結果的にみんなが同じ山を登ったのならよい。

No.1 「今、幸せ」がデフォルト。此処から先は「幸せのプラスα」のための目標設定。
(キム先生)目標とか夢とかを実現する前は、その道程が苦しいと思ってしまうと過程は楽しめない。「 今の苦しみの上に明日の幸せが成り立つ」と自分の中で思い込んでしまうと、「今」はずっと続いて苦しい過程になってしまう。そうではなく、いま現時点においてもちゃんと自分が自分の幸せを見出すことができて、更にプラスアルファの幸せのために今日を設定していく、ということができれば、過程も楽しいし、結果に到達した時も楽しいし、到達できなくても楽しく幸せだと思う。
多くの方は現状に対する不満から目標を設定してしまう節があって、一つのモチベーションとして良い部分はあるが、できれば現在に対する不満は現在において自分の中で解消してから、そこから感謝や優しさや愛を見出すことができれば、今現在の自分の状態を眺める視点を変えることができる。視点を変えると全てが美しく見える。まず今現在自分がいる場所に対して自分自身である種の満足と感謝を覚えることが大事。その上で、更に幸せになるために目標設定をする、ということが望ましい。
(徳田さん)前の授業で、「人はないものを過大評価し、あるものを過小評価する」とあったが、この言葉はその逆でとても素敵。
(キム先生)どんな瞬間においても常に幸せになることが権利。どんなしゅんかんにおいても幸せになれる。そのためには、自分の中でのマインドセット、物事のとらえ方がすごく大事になる。究極に言うと、今自分が生きているという実感、生きていることに対する感謝の気持ちを忘れた時から不幸というものが始まると思えば、今生きていることに対する意味付けをすることができれば、人間は生きている間はどんな瞬間でも幸せになれるはず。
・ゼミ生皆さんの言葉は全て楽器の美しい音になるので、このゼミはまさにオーケストラ。一人ひとりが自立しているのも大事(徳田さん)。「正しいこと」ではなく「自分の感覚」と「自分の思考」を表現すればそれが自分にとって「正解」なので、どんどん発信していくとよい。

【 前回授業の質問 】

Q.今まで自分が続けてきた、人のためになる仕事と、自分がやっててものすごく楽しくてワクワクする仕事(未経験)、どちらの山に登りたいのか、わからなくなっています。どうしたらいいのでしょうか?
(キム先生)仕事を選んでいく上で、天職だと思える仕事というものは、3つの基準軸がある。
 1. 自分が好きか
 2. 世の中から必要とされているか
 3. 自分がそれを得意としているか
この3つを満たしていると人はその仕事に最高の満足を見出すことができる。
この方の場合は、「貢献感」と好きを追求する「ワクワク感」との対立になっている。この2つを1つの方向に向けてラインをあわせることがすごく大事。現状において自分の努力で成し遂げられるものなのか、それとも仕事を変えないと成し遂げられないものなのか、が大事。「能力があるか」は少し次元が低い。「自分が好きか」と「世の中から必要とされているか」が2大基準。その2つが噛み合っていない、補完的になっていない状況なので、今現在においてこれを補完的に変えられる可能性があるか、その可能性を形にするために自分は今何ができるか、をしっかり向き合って考えてみる。もしそこに可能性がない或いは可能性があってもそれを実現するための自分の中での時間とエネルギーと能力がないと思った時は、仕事を変えていくべきだと思う。
「自分が好きか」と「世の中に必要とされているか」が対立しているように見えるが、多くの場合、それらを補完的にするための自分の思索や推察が足りないケースが多いが、そこはきっと可能だと信じている。今の代替的な関係から補完的な関係に変えてみる、またそのための思索を積み重ねてみると、きっと方向性を合わせるためのアラインメントの道が見つかると思う。今まで自分がやってきたということが、これからもやっていく理由にはならない。なぜかといえば、我々は今この瞬間を生きているので、過去の延長線上の自分しか見出していないというのは、ちょっとさびしい部分があるから、今日のテーマでもあるが、「挑戦」というものは「過去からの延長線」ではなくて、ある意味未来から導かれていくという人生を生きる、ということなので、今まで全く経験がないからといって、これからそれができないかというと、そういうことは全くない。

Q.子供の時は、どんな瞬間でも幸せを見つけ感じることが出来やすかったと思います。どうして大人になると幸せを感じることに努力して、意識しないとできなくなるのでしょうか?
(キム先生)色んな理由があると思うが、いい意味での理由というのは、一つは「責任」だと思う。
大人になるということは、自分が欲しいものを手に入れる代わりに、何かを失うということを自分自身が理解する時だと思う。子どもは天真爛漫で、無邪気で、自分が欲しいものを欲しいと言うことができる、自分がしたい通りにすることができる。でもそれに対して子どもは「責任」が取れない。一方で大人になるというのは、良くも悪くも自分の言動がもたらす結果に対する責任をとらなければいけない部分があるので、いろんなことを決める前に考えてしまう。子どもは感じる通りにやってしまう。その代わりに大人は自分が生み出した結果に対して責任を取るということだと思うので、その意味では、この質問の状況が必ずしも悲しいとは言えない部分がある。と同時に、もし自分が幸せを感じることに対して、自分自身が努力して意識しないとできなくなることが、自分の外部的要因である場合は、ちゃんと自分が自分の努力を通じて取り戻した方がいいと思う。
一番ベストなのは、自分の心の声にしたがって生きる、ワクワクすること好きなことを追求する。その判断や行動がもたらす結果に対しては自分が責任を取る、という形になったら一番ベストだと思う。子供の天真爛漫さや無邪気さでありながら、その行動がもたらす結果に対してはしっかり責任を取る、ワガママにならない、意固地にならない。大人の責任感と子供の天真爛漫さを、トレードオフではなく補完的な関係に変えていくことが出来るか、というのが一つのチャレンジ。
たまにいるが、50,60歳の男性が少年のよう感じではあるが、ちゃんと周りに対する配慮もするし、自分の言動に対してちゃんと責任も取るという大人の部分もある、「少年のような大人」が一番魅力的だと思う。
人生は一見全て矛盾しているように見えるが、それをいかに融合させるか、創造的な形で統合させるか、というのが重要ではないか。
(徳田さん)大人になっていくと色んな経験を積みすぎるので、失敗とかに対して責任をとらないといけないというのが先にあると、どうしてもワクワクばかりをお求めてはいられなくなるのが大人だと思うが、ただそれも心の声に従って生きていくと取り戻せる、幸せだと感じる瞬間が増えるのかなと思う。
(キム先生)今の自分と未来の自分を大切にするということができれば、そういう状況の中から自分のために生きる道というものを見出すことができると思う。あきらめないこと。

Q.「競争しない人は向上心もない」と指摘されたことがありました。競争なしに向上心を得るためにはどうしたらいいでしょうか?
(キム先生)自分の努力のモチベーションを、外に置くか中に置くか、の違い。競争心というものは、自分と外を比較することによって自分の中でやる気のスイッチを押す、というもの。純粋な向上心というのは、外との関係性ではなく、自分の中にある純粋な内面的な動機によって、自分が努力をして成長するもの。自分の動機の源泉を自分の外ではなく自分の中に持つと良い。
何かについて努力をする時に、その動機は自分の外にあるのか中にあるのかチェックシてみると良い。
「あの人に勝つために頑張っている」「もっと給料をもらうため」「昇格するため」これらは全部外面的なモチベーション。自分の中で純粋に「これをやりたいからやっている」や「楽しいから演っている」など、やることがちゃんと自分の存在意義、自分が生きる使命に合致するからやる、というのが自分の内面的な要素。
ダニエル・ピンクが著書「モチベーション3,0」に書いたもので、「世の中の本当のクリエイティビティというのは、外面的な動機に基づくものではなく、内面の「やることが楽しい」という人たちから生まれるクリエイティビティが本物のクリエイティビティ。
「モチベーション3.0」ダニエル・ピンク著:http://amzn.asia/e5RMgZH

Q.以前出てきた「責任」について、行動して失敗した時に、自分自身のことはなんとでもなると思っているのですが、誰かに迷惑をかけた時に自分を責めてしまいます。責任って聞くとその部分がすごくしんどくなってしまうのですが、責任を取るというのは、どういう風に考えたらよいでしょうか?
(キム先生)結果的に他者に対して迷惑をかけるということについては、気にする必要はないのではないかと思う。結果迷惑をかけたかどうかよりも、自分の中で迷惑をかけようとしたかどうか、ということが大事。
もし自分の中で迷惑をかけるつもりは全くなくて、むしろ誰かを幸せにするために自分は全力を尽くし、結果的に誰かの迷惑になってしまったことには、罪悪感を保つ必要はないと思う。
逆に言うと、自分の中で結果がうまくいっても、それが誰かに対してプラスの要因を与えても、自分の根底にあったモチベーションややる気の源泉というものが、少し不順なものであるとすると、それはもっと罪悪感を持って反省して直していかなければならない。
何かに挑戦するということは、成功する確率も失敗する確率もあって、成功する確率を最大化し失敗する確率を最小化するために一生懸命努力をするが、必ずしも自分が望む結果に繋がらない可能性は十分ある。その結果自分が予想しなかった、また望まなかった、他者に対して迷惑をかける部分もあると思うが、もしそれに対して罪悪感を思いついたり自分を責め過ぎたりすると、二度と挑戦ができなくなってしまう。それはきっと自分が大切にする他者の望むことではないはず。
何か行動した時、挑戦をした時、自分の一番根底にある心の成分をちゃんと分析して、そこに純度が高い素晴らしいもの、愛と優しさがこめられていて、また自分の成長、他者への貢献という要素が入っているとすると、その結果に対してあまり気にせずに突き進んでいった方がいいと思う。

Q.目的地を設定する時に、自分の気持をきちんと踏まえることが大事だと思いますが、自分のためなのか? 周りのためなのか?、といった領域でのバランスが大事な気がしております。これは、どういう観点から考えた方が良いのでしょうか?
(キム先生)自分のためにやった方が良い。
自分の気持を本質のところまでちゃんと突き詰めて考えていくことができれば、それは必ず周りのためにもなる。でも自分の気持ちの表面を切り取ってしまうと、自分の利益にはなるが周りには迷惑をかけたりすることになると思う。
自分の気持もいろんな深さがある。どんどん深く入っていって、自分の気持ちの一番大切にしたい根幹、中核には何があるか、ということをちゃんと自分が向き合って気づいて、それを大切にして自分が何かをすると、それは自分のためのみならず、他者のためにもなる。
なぜかというと、自分の気持の一番根幹の泉の中にあるのは「愛」だから。それはちゃんと向き合っていかないと見つからない。自分の気持の本質のところ、中核のところまでたどり着くと、そこには全てが補完的な世界になり、相反する世界がなくなる。調和の世界が現れてくるので、自分のためにすることは他者のためになり、他者のためにすることは自分のためになる。
その境地に人生が到達すると、誰かのためにやってもいいし、じ自分のためにやってもいい。なぜかというとその2つは張り合わないから。代替的にはならない。全ては創造的になる。
(徳田さん)それは自分と向きあい続けて、表面的ではなく深いところまでいかないとたどり着かない?
(キム先生)深いところまで行かないと、自分がやったことは他者に迷惑をかけることになったり、他者のためにやると自分が苦しくなったりするところにたどり着く。自分の気持ちには深海のようなところがある。深く入れば入るほど静かになっていく。
「波」は「水の皮」と書く。何かと何かがぶつかるところは常に変化が激しい。波は波打つ。しかし、潜って潜って深海に入ると、そこにはすごく静かな穏やかな世界が登場する。そうすると感情が乱れることも全くない。
自分が何が欲しいのか、自分の気持ちの根幹に対して疑いのない発見、自覚ができるようになる。
でもなかなか深海に潜るのは苦しいし、なかなか深海に潜ったことがないので、波打つ波の形を見て判断しがちだが、そういう時こそ少し立ち止まって、自分の心の奥に潜っていくということをやってみるといいのではないか。
(徳田さん)静かな場所や一人になった時に、ものすごく自分と向き合っていく、自分と向き合う時間を作ることが大事になるのかなと。
(キム先生)深い呼吸と省察。日常を丁寧にしていくということ。考えることではなく、感じることを大事にする。

Q.失敗が怖くて、自分の「やりたい」に素直に従うことがなかなかできません。どうしたら、失敗への恐れを軽くすることが出来るでしょうか?
(キム先生)今回のテーマ「挑戦と自己革新」の中で。

【 挑戦と自己革新の5ヶ条 】

1.過去の自分は「慣れ」が、未来の自分は「挑戦」が好き。人生の決断は、過去のあなたに縛られたものではなく、未来のあなたに褒められるものを選択する必要がある。
(キム先生)
自分が今人生における何か重大な決断をする時は、2人の自分が自分に対して声を発している。
一人は「過去の自分」。「過去の自分」はどちらかといえば「延長線上の人生」を生きてほしい。「あなたが慣れたことを選択しなさい」と言う。「未来の自分」というものは、「慣れたもの」ではなく、「過去と同じものは嫌」「わたしはもっと違うものをやってみたい」「誰よりも『挑戦』を選んでほしい」と言う。
多くの場合は、自分が今までの人生を生きてくると、「過去の自分」と「未来の自分」どちらとより一緒に過ごすことが多い? それは「過去の自分」。
「過去の自分」は「今の自分」が歩いた道が「過去の自分」になっている。一緒に歩いてきたのである意味「安心感」がすごくある。しかしもし10年後、20年後の自分は想像するのが難しい。
10年前、20年前の自分は想像しやすい。自分とより親密。親近感があるから、「慣れを大事にする過去の自分」と「挑戦を大事にする未来の自分」が同じ大きなの声を出した時、通常人間はどちらの道を選んでしまうかと言うと、やはり安心安全な「慣れを大事にする過去の自分」を選ぶ。そうすると結果的に「現状維持」を選ぶ。短期的に見るとある意味「合理的な選択」。
しかし自分の人生という長い目で見た時に「合理的な選択」になるとは限らない。なぜかというとあらゆる夢を諦めなければならないから。そういう時に、「過去の自分」だけではなく、一方的に「未来の自分」の話を聞くということではなく、「過去の自分」だけではなく「未来の自分」は自分に今この重大な決断に対してどういうことを自分に語りかけているんだろう、ということを想像して、もしそこに「ああ、それが make sense だ」と思ったら、「過去の自分の選択」より「未来の自分の選択」つまり「挑戦」を選ぶということができると思う。
僕自身はこの2人の声が聞こえると、圧倒的に99%「未来の自分の声」を聞く。なぜなら自分は「過去の自分」は認めるが、自分はもっともっと「未知なる世界」と遭遇して「未知なる自分」と出会いたい、という気持ちが強い。まだ見たことのない景色を見たい気持ちがとても強い。見慣れた景色をずっと見るのも素敵だとは思うが、見たことのない景色も見たいと思うから、旅もするしいろんな挑戦もする。
人生のある瞬間から、「過去の自分」ではなく「未来の自分」の声を大切にしようと自分の中で決めたので、人生のある決断に直面した時は、圧倒的に「未来の自分」に褒められるような選択をする。
未来になった時、「未来の自分」が「よしよし。あの時君は何も見えなかったけど、君は唯一わたしの声を聞いてここにたどり着いてくれた」と、「未来の自分」と握手をすることが出来る。「未来の自分と握手ができる、褒められる選択」をすると良いと思う。
これは100%正しいということではなく、自分のライフスタイル。
自分がやってきたことをこれからも大事にして生きる、現状維持であってもそこに十分充実感を見出すという人であれば、その人は現状維持をしたほうがいいし、「過去の自分を大切にする」というのがその人にとってのベストな人生。それはそれでとても素晴らしい。
僕が前述したのは、「過去の自分はこうであった」「でも自分はそこから抜け出したい」「でも未来の自分には出会ったことがない」「だから私は結果的に「過去の自分の声」に従わざるを得ない」、ということで「挑戦」を諦める人がいるとすると、「未来の自分」は泣いてしまうから、そういう時は、「未来の自分の声」に耳を傾けていかないと、今まであまり耳を傾けなかったから声が聞こえなかったりするけど、自分を静かにして、落ち着かせ、穏やかにして、耳を傾けると、もしかしたら「未来の自分の声」が聞こえるかもしれないから、そういう人に関しては、「未来の自分の声」に導かれていく人生を生きるといいのではないかと思う。
自分の「価値観」の選択。どちらが正しいというものではない。

2.自信がないから挑戦しないのではなく、
   挑戦しないから自信がなくなるのである。

(キム先生)通常、挑戦をする時は自分に自信があるから、また自信がその挑戦の根拠になると思う人が多いと思うが、自己信頼というのは、結果によって裏付けられていくので、挑戦をすることによって自信を作っていく、という感覚になった方がいいと思う。
「自信がないから挑戦しない」ではなく、「自身がないからこそ挑戦をして自分を信じるに値する根拠を作る」「根拠を作るための生産基地・工場」が「挑戦」という構図だと思えば、「自身がないからこそ挑戦する」という方程式になる。
今までは、「自信がないから挑戦しない」というのが方程式だったとすると、それを真逆に変えていく。「自信がないからこそ挑戦をする」「挑戦することによって自信をつけていく」。
逆に言えば、「挑戦をしてこなかったから自信がつかないのは当たり前」と思うと、「自信」と「挑戦」というものは、相反する関係にはならない。
挑戦が「原因」となって、自信が「結果」となる、ということになると、もう挑戦する上で自信があるかないかというのは重要な基準ではなくなる。
原因と結果というものを間違えないことがすごく大事。どっちがどっちを作るか。それは「挑戦が自信を作る」。
開き直る、ということ。挑戦はし続ければいいこと。一発で当てようとしないこと。PKも1回で入らなくても100回蹴れば入る。ゴールすることが目的であって、確率が目的ではない。人生ではたくさん蹴れば入る。
(コメント)キム先生にとって「未来への挑戦」とは?
(キム先生)今月から新しい事業を立ち上げてやっている。本を書くとかセミナーをやるとかではなく、本当の意味で未来を作る仕事、未来における新しい革命を起こすためのこと。時間がかかることなので、自分にとってのビジョンを語るのではなくて、「背中で語る男」がカッコいいので、結果が今の自分を語れるように努力する。

3.潜在的な能力は「かくれんぼ」が大好き。

(キム先生)潜在的な能力は、その漢字が意味する通り「潜在」している。潜在しているとなかなか見えない。水面下にあるものは水上からはなかなか見えない。氷山のように、自分の中に本当は存在しているが自分が知らない能力というものがある。自分が知らないからといってそこに存在しないわけではない。
例えば、今日本に何があるか自分が知っている限りのことを言ったとしても、全部語れたことにはならない。自分が知らなくても存在するものはたくさんある。
同じように、「私は今まで自分の人生を生きてきていて、自分が発揮してきた能力については意識はしている」と。しかし自分が発揮したことがない能力については、存在しないと自分自身が思い込んでしまうことがある。そういう「存在しないと思っているが存在している能力」を引き出すためのスイッチは何か? それは「好奇心」であり「挑戦」。
挑戦をして成功するかどうかということを、今の自分が認識している能力で判断しようとする。それで「これは挑戦しても成功するはずがない」と。今の自分の自己評価からすると。そういう時に挑戦を諦める。
しかし僕が信じているのは、自分が今できるかどうかはあまり大事ではない。自分がそれを「心からしたいかどうか」。
「心からしたいかどうか」を「今自分ができるかどうか」より優先することができれば、自分が挑戦に踏み切ることが出来る。挑戦に踏み切ると自分の中に、自分は認識していなかったけれど「潜在していた能力」というものが発揮される。
挑戦は決断をすれば、それを叶える力が自分の中から湧き出てくる。挑戦を決断するまでそれは見えない。なぜなら「潜在亭な能力」はものすごく「かくれんぼ」が好きだから。でも「決断をする」と表に顔を出してくる。そして自分の味方になって、自分の夢や目標を叶える援軍になってくれる。
「かくれんぼ」をしている人たちに対してスポットライトを当てるのが「挑戦という決断」。
最初からできることはほぼゼロ、言葉もしゃべったことがなかった、歩くことも泳ぐこともできなかった。優しい声をかけることすらできなかった。でもそういうことが全部できるようになった。
今我々ができていることで最初からできていたことは息をすることくらいだった。あとは笑う泣く、食欲とか。その他の多くの能力は、自分は気づいていなかったけど、自分が直感や本能または必要性に基づいて動いた結果、全て身についた。
自分の人生というトラックレコードには、意識的に無意識的に挑戦して身につけてきた潜在的な能力が味方になって本物の能力になった自分の歴史。
そう思うと、これからの人生においても、今時分ができるかということはあまり重要ではなくて、自分が本当に心からそれをしたいと思えるかどうか、そのために挑戦を決断できるかどうかが大事。
(コメント)まずは挑戦を決断。やると決める覚悟をする。
(キム先生)出来るようになる、と自分で決断すること。今この瞬間何が出来るかを考えそれをすぐ行動に移すこと。「できるようになればいいな」は、できなくなる。「出来るようになる」と宣言をする。「できるようになりたい」という希望形ではなくて決断をする。
「出来るようになるためには今この瞬間わたしは何が出来るか」ということを考えて、あるものが見つかると、今この瞬間それを実行すること。
「願望」を「思考」に変えて、「思考」を「決断」に変えて、「決断」を「行動」に変える。そのタイムラグをできるだけ「ゼロ」にする。
それができれば自分の中でいろいろなものができるようになる。
「願望」だけでは何も実現しない。でも「願望」がないと何も実現しない。「願望」があるからといって全て実現するとは限らない。
「願望」があったら自分の中で「思索をして決断をして行動する」。
結果を受けてまた反省をして次の行動に移していく。それをしないと「願望」は絶対「実現」しない。
「願望」と「実現」の間にはいろんな橋を渡らないといけない。
(コメント)「自分を信じる」というところが全てのベースになるんだろうなぁ。
(キム先生)今の自分を信じて、より信じるに値する明日の自分を現在の努力で作っていく。これも時系列、段階的にやった方がいい。現在の自分を信じるということはすごく大事。でも明日の自分はもっと信じるに値すると願望を持ち、そのために何が出来るかということを決めて行動に移していくと、今より信じるに値する自分になっていく。「未完なる自分」も美しいが、「未完から完成に向かう自分」はもっと美しい。

4.挑戦と成功の間には、失敗という橋が
   何本もかかっている。

(キム先生)「何本もかかっている」というのがポイント。挑戦してすぐ成功することは大した挑戦ではなかったりする。
本当に自分が人生において大切な挑戦だと思うことは、自分が想定できなかったいろんな出来事が起きたりして、また小さな、絶望的とも思える失敗も生まれたりする。
そういう時こそ、自分が本当にそこにたどり着きたいかどうかという「夢への真剣さ」が問われている。そこへの情熱が強く、そこを本当に自分が望むのであれば、そこで諦めずに失敗をしてもあるき続けることが出来ると思う。
しかし、自分の夢への情熱がそのくらいのものであれば、ちょっとした失敗に見えるところから、自分は言い訳を探して諦めることができる。
自分が本当に人生の挑戦だと思うことについては、最初スタートする前に覚悟をする。これは本物の挑戦だから、失敗という橋が何本もある、と。それを渡らないと絶対に本物の成功にはたどり着けない、という覚悟が最初からあれば、自分はちょっとした失敗でくじけることはない。諦めなくても済む。
これはある意味レジリエンスとかグリット、折れない心、諦めない力。
(コメント)本気か確かめられてるんだなぁ。
(キム先生)そういう時に立ち止まって、これは私が本当に望むものなのかどうかということを自問するとよい。そこで、初心にもう一度戻るとか、あらためて自分がなぜこの道を進みたいのかとか、なぜあの夢をかなえたいかとか、なぜあの目標にたどり着きたいかということを再確認をして、気合を入れ直して進んでいくことができると思う。「神様が試している」と思えばいい。本物の夢に対してはくじけないこと。
(コメント)長期的に見れば失敗も成功になる、ということですね。
(キム先生)短期的に失敗に見えることでも、そこからちゃんと学びを見出して、最終的に成功にたどり着くための土台にできたらいい。「失敗は成功の原材料」。その成分も入って最終的に成功という絶品料理が出来る、と思えば、失敗があっても諦めずに顔を上げて突き進んでいくことが出来るのではないか。

5.挑戦によって失うものについては認識するが、
   挑戦することによって得られるものは認識しない。
   また挑戦しないことですでにそして今も失い続けて
   いることについては認識しない、のが人間という
   生き物。

(キム先生)挑戦というものは、あるものを諦めることでもある。挑戦することに寄って失うものは明確だったりする。
例えば、会社に勤めていて、起業なり転職なり留学なり何か新しい挑戦のために会社を辞めなければならないとすると、やめたことによって失うことはある。給料、同僚、名刺... それはすごく自分の中で実感でき痛いくらいに明確だが、果たしてその転職や起業や留学をして自分が望む幸せを手に入れられるかと言ったら、まだ手に入れてはないので、それは自分の中での信念でしか支えることができない。そういう時に多くの人は、確実なものは失うものなので、それらを失わないように挑戦をしないで現状維持を選択する。
また、自分が挑戦しないことで既にそして今現在も失い続けているという可能性についても、自分がちゃんと想像して認識する事ができるかどうかということがすごく重要ではないかと思う。
そういう意味でとらえると、ある意味「現状維持」というのは「後退の始まり」「衰退の始まり」とも言える。
挑戦しないことによって、安心安全ではなくてどんどん衰退しているかもしれない、というくらいの緊張感を持って、目の前にある挑戦というものが本当の意味での存在意義、存在価値についてちゃんと考えていくことも大切ではないかと思う。

【 推薦図書 】

「決めた未来しか実現しない」本田 健 著 http://amzn.asia/9zNFCbB

(キム先生)
一番の根幹は、時間は過去から現在に流れてくるものではなくて、未来から現在に流れてくる、という時間に対する概念のパラダイムシフト。
過去の延長線上の自分ではなくて、過去から今に時間が流れてくると思うからその流れの延長線上に探すけど、そうではなくて、未来から自分に流れてくるので、その未来を自分が今きめればいい、という話。
過去または今現在の自分の実力ではなくて、自分が決めるとその未来の扉は開く、という感覚。
この本を読むと、挑戦をするということに対する自分の中での精神的なハードルの9割くらいは除去されるんじゃないかと思う。頭の認識転換を実現する、促すような本。
今までの人生とは全く関係のない未来というものをあなたは味わうことが出来る。今あなたがゼロベースに戻って何でも想像したりたどり着きたいと思う自分の未来があるとしたら何ですか、ということを自分が決めれば、それに対する旅は既に始まっている。

【 徳田さんのマニフェスト(仮)】

1.未来の自分にチャンスを与えるために知らないことに挑戦する。
(キム先生)ある80歳くらいの方がいて、その方は「20歳を4回生きた」と言っている。そういう生き方って素敵だと思う。「20歳」は常に挑戦し続けるとか若く情熱を持って生きる一つの象徴だと思う。それを何回も生きるという人生。一回の人生ではなくて、10年でも15年でもいいと思うが、20歳を4回生きたんだ、というお爺さん、めっちゃカッコいいと思う。

2.猪突猛進。したいなと思ってから実行するまでに絶対悩むが、出来るかなとか怖いなという悩みは一切なくして猛進する。
(キム先生)赤ちゃんがハイハイしていて、やがて歩きたいと思って立って歩き始めると何回も倒れる。それがある意味何本もある失敗だと思う。これを積み重ねないと歩けない。最初から立って歩く赤ちゃんはいないわけで、それが全ての原型だと思う。そのプロセスを人生の全てにおいて適用すると、途中で泣くことはあっても諦めることはなくなるのではないかと思う。

3.失敗に対する心のブロックはなくして、失敗はあるからこそ、自分はそのやりたいことを、どうして失敗してもやりたいのか、続けていきたいのか、ということ、「WHY」を常に自問する。

【ワーク 挑戦と自己革新のマニフェスト 

投稿はこちらから:https://goo.gl/forms/ypH1t5TdzvJg1Hbk1

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?