スクー 「キムゼミ 第一回 - 絶対的自己信頼 -」

キムゼミの目的

 『人生を変える、作る』
 人は自分の人生を作っていると感じている時に幸せと感じる。
 自分の人生を作る力は自分の中に内在している、と信じることが大切。
 自分の意思と自分の決断と自分の行動で自分の人生を変えることができる。


オリエンテーション
- 全12回を通してどんな自分になれるのか -

(キム先生)人生は誰にとっても1回目の初心者。自分が想定しない出来事も起きたり、時には冷たい風が吹いたりもするところもあると思う。
そういう中でも何が自分にとって一番大切かというと、自分の人生を自分が作ってる感覚になっている時に、人間てすごく幸せを感じると思う。
どういう時一番苦しいかというと、自分の人生の指揮権というものを誰かに握られて、自分がその人の顔色を伺いながら、自分の人生をその人の意向に合わせてしまっているという感覚になっている時に、人間はすごく無力感を感じたり時には絶望感を感じたりすると思う。
僕自身は自分の生徒に対しても自分に対してもそうなのだが、自分の中には自分の人生を自分の意思で作り上げる力というものが既に内在しているということをまずは信じることがすごく大事だと思う。
(徳田さん)これが「自分を信じること」。
(キム先生)そう。そのテーマについては今日いろんな角度から一緒に考えていきたいと思う。
いつどんな時においても自分の人生は自分が作ることが出来る、またいま現状誰かに対して自分自身が不満があるとすると、自分の意志と自分の決断と自分の行動を通じて自分の人生を変えることができる、ということを、この12回の授業を通じてその感覚をぜひコピーしてもらいたいなと。
そのためにいろんなレシピやいろんなスイッチを押したりすると思う。
最終的には本当に皆さんが望む人生、それをまずは自分自身が考えるところからスタートすると思う。
皆さんが望む人生というものを皆さんの力で作っていく、という実感を感じる3ヶ月になれば嬉しいなと思う。
(徳田さん)まさに自分を作る、未来の自分を作るためのゼミということなんですね。
この授業の目的、全12回を通して「人生を変える、作る」となっていますが、今回初回のテーマであります「自己信頼」というのは、原点になるといいますか、いきなり大事なところになってますね。
(キム先生)むしろそれ(自己信頼)さえあれば、それはPCやスマホで言えばOS。それさえしっかりしていれば、アプリはいつどんな時でもダウンロードできる。アプリが最新であってもOSが古いとアプリを使いこなせなかったりする。
なので、ぶれない自分の軸を作ると言う意味で、自己に対する絶対的な信頼というものを持つということはすごく大事なので、今日はそれについてたっぷり話ができればと思う。
1つは、僕自信がこの12個の力を全て手に入れているというわけでは一切ないということ。私自身も未熟なところがいろいろあるので、毎日のようにこの12個の力を身につけるために努力している最中。
僕が医者で皆さんが患者で僕が何かの病気を治すというような偉そうな立場では一切なくて、僕自身が僕の人生で心がけていることを皆さんとシェアをしながら、その中で皆さんの人生に役に立ちそうな、参考になりそうなものがあったら採用してほしいと思う。
今回のスクーでのキムゼミというものは皆さんの中からいろんな発言、インプットが出来るので、そういった皆さんの声から私自身の人生に活かせるようないろんな参考となるレシピや経験、ノウハウというものを学び取りたいと思う。
(コメント)私は自己信頼があまりない気がするので楽しみです。
(徳田さん)自己信頼とか自分を信じるって結構皆さん言いますけども、なかなか難しいと思うんですよ。
(キム先生)自分を信じる力が足りない人は、その多くは「いい人」が多い。善意を持ったり自分のことより他人のことを大事にしたり、やはりそういう「いい人」は自己に対する信頼が足りなくなることがよくありがち。
でも実は、自分を大切にすることは本当に自分を大切にしてくれる人のためにできる最善のことである、ということにたどり着くことができれば、自分の利害と相手の利害は一致する。
自分を大事にすることは他人を見下すわけではないし、自分を大事にすることは自分を大切にしてくれる人のためにできる最善のことだということに自分が気づいた時に、全てがポジティブなスパイラルになっていく。
なぜそうなるか、ということが理解できれば、迷いなく自分を大事にする、また自分を信じる、自分を愛することが出来ると思うので、そのメカニズムについてもいろんな形で皆さんと意見交換ができればと思う。

(キム先生)僕は言葉を発する時に相手のことをすごく想像していることがある。皆さんそれぞれ仕事されたり子育てされたりいろんな形で一日忙しい中で、この時間になってくるとかなりエネルギーが取られて疲れている方もたくさんいる中で、わざわざここにアクセスして見てくださっているというようなことを想像すると、すごくエネルギーを自分がもらっている、浴びている部分があるので、とにかく言葉の中に想いを込めて、感謝の気持ちを込めて発していくので、その言葉を好きになってくれるということは僕にとってすごく嬉しいこと。

(徳田さん)今日は「絶対的自己信頼」ということで演っていくんですけれども、次回以降もかなり幅広くありますよね。
まずは次回の「対人関係の極意」。最近コミュニケーションとか仕事での上司との関係とかいろいろ悩まれている方いると思うんですよ。
ここも極意があって乗り越えられるんですか?
(キム先生)まずこの12個を設定した理由は、理想の人生を作っていくということには、この12個を超えた無数の変数があると思う。変数の中でも、私自身が理想の人生を作っていくために一番大切なものを12個挙げなさいと言われたら、僕はこの12個。
1個目は「絶対的自己信頼」を持つことはすごく大事。
2つ目に、アドラーの言葉を借りると、人間の悩みの8割9割は人間関係から生まれる、ということで、我々は一人で生きていくことはできないし、他者との関わりの中で自分のアイデンティティーまたは幸せを見出していくと思う。一番理想なのは相手に対して愛を持って接していくことが出来るかどうかということと、相手の幸せを自分の幸せとして受け取れるかどうか、また自分がやっていることが相手のためにもなるという貢献感を感じるような、そういった対人関係を作るためにはどうすればいいのかということを、僕自身の試行錯誤の中で学んだことを皆さんとシェアしながら議論できたらと思う。
(徳田さん)先生の中でもそういう人に対して対人関係の悩みだったりとかそういうものも乗り越えてきたということなんですか?
(キム先生)もちろんもちろん。悩みというより個々が自分の色を持っているし、個々の歴史がある。表で接している時にその人が見せてくれる姿だけではなく、その人は例えば20歳だとすると、20年間その人独自の生き方をされていて、人には言えないことや心の中に傷などいろんなものを背負って生きているので、表面的に接しようとすると社交辞令で済むと思うが、本当の意味での心の通う人間関係を築いていくというのは、感受性や想像性や相手に対する優しさや愛情や感謝の気持ちなどそういうものを持つか持たないかで、その関係性が本物になっていくか表面的なもので終わるかということが決まると思う。前者にするためにどうすればいいのかということを議論できたら嬉しいなと思う。
(徳田さん)第三回目の「感情と思考」、これは全く逆のものですよね。
(キム先生)よく思考が左脳と言われ、感情が右脳と言われている。
理性が司るのが思考で、ある意味では感覚や洞察や直感が司るのが感情だとすると、自分が何を考えて何を感じるかということは、最終的に自分の「言葉」と「行動」につながる。
自分の「言葉」と「行動」というものが関係性を築き、自分の人生を構築していくので、その根幹になっている基準は「思考」と「感情」。
自分の「思考」と「感情」を深く理解して、自分は自分が考えていること、自分が感じることをある程度制御ができるようになると、「言葉」も変わり「行動」も変わり、「人間関係」も変わり「人生」も変わっていく、ということで、少し概念的にはなるが、自分の思考と感情というものを真正面から分解というか解剖してみようじゃないかというのが第三回目の主旨。
(コメント)「決断の流儀」、気になります。
(徳田さん)五回目ですね。決断、人生は選択の瞬間がたくさんあるので、こっち選べばよかった、とか、これ決断しなきゃいけないって時、悩みますよね、やっぱり。
(キム先生)悩むが、結論から言うと、決断というものは自分が決めたものであれば、その決断はその時点で常に正しい。
我々が決断においてなぜ不安に思っているかというと、自分が下した決断というものが自分が望む結果をもたらすかどうかということに対する確信が自分の中にない時に、決断というものは悩むもの。
僕はそういうことは考える必要が全くないと思っていて、その瞬間の自分の心の声に従って下した決断であれば、それは常に正しく、他の人がどう言おうが、前例がどうあろうが、世の中の常識や慣習がどうあろうが、それらは全く関係がなく、常に何かの小さな決断でも人生における何か重大な決断においても、今自分の心の声がどこに進んだ方がいいのかということに対して自分が耳を傾けることができれば、決断における悩みというものもないんじゃないかと思う。
(徳田さん)なるほど。周りの目とか世間の流れとか、そういうのは全く関係なくて、やっぱりでもそこの根底にあるのは、自分のことを信頼できているかってことになりますね。
(キム先生)あとは自分自身が愛の結晶であることを自分自身が気づくことが出来るかどうかだと思う。
自分が20歳であれば、生まれた瞬間に両親含めて周りの人達はみんな笑顔でこの世に来たことを歓迎してくれたと思うし、自分が本当に一人で歩けるまでに、両親含めて自分を養育してくれた人達の力がなければ絶対ここに生きていることはできないと思うので、そういうもの含めて、全ては自分の大切な人達が自分に与えてくれた愛の結晶であるということを、自分自身が思うことができれば、自己に対する信頼の根拠というものが簡単に見つかる。
(徳田さん)なるほど。でもその生まれながらにして自分は愛の結晶だって思って生きてる人の方がやっぱり少ないですよね。なかなかそれが認められないというか、なんというか、そのままでいいのかとか、思ったりします。もっとやらなきゃ、とか。
(キム先生)原点回帰って最高のイノベーションだといつも思っていて、我々が常に未来に向かって何かをこう確信しようと焦りがちだと思うが、いちばん大切なものは常に原点、中心にあると思う。
例えば生まれた瞬間を想像すると、そこで何が生まれるかというと、やはり自信というより感謝が生まれる。感謝が生まれるし、自分は自分だけのものではないということに気づいた瞬間に、やはり私の大切な人達のために私を信じよう、という気持ちになる。
多くの自信を持てない人達は、自分を信じるまたは信じるに値する実績もないし、何を根拠に自分を信じればいいか分からないと言う人も多いと思うが、そういった原点に戻ることができれば、自己を信頼するということは人生を生きるスタートに立つために必須であるということに気づくことが出来るんじゃないかなと思う。
(コメント)愛の結晶って思ったら、幸せだな。
(コメント)一番大事なものは原点にある。

(徳田さん)「旅とライフスタイル」というのは、旅からいろんなことを感じ取れるってことなんですか? 最後の方になりますが。
(キム先生)僕自身の人生は結構「旅する人生」というイメージが強いが、例えば、新しいプロジェクトを立ち上げる時に、自分は必ずその直前の数日間は旅に出る。なぜかといえば、旅というのは、一般のルーチーンという日常の中で当たり前にすることが認められないところ。なので全て自分の中で新しいセンサーが再起動する一つのチャンスだと思うので、場所はどこでもいいと思うが、自分が見慣れていないところに旅をすることによって、やはり旅して帰ってくると疲れる。なぜかといえば、普段使わないセンサーが動いているから。
自分の全細胞というものを再起動するのに一番いいのは旅だと僕は思っている。
生きるように旅したり、旅するように生きたり。旅と人生というものの境をなくしていくのが、僕自身にとっては一つの命題でもある。
なぜ旅は素敵なのかと、旅をライフスタイルに組み込むべきかということについて、8月14日は語りたいと思う。
(徳田さん)ちょうどお盆休みあたりなので、皆さんも旅していたら教えていただきたいですね。

(徳田さん)ゼミ生の皆さんに自信のあるものを伺ってまいりましたが...
(コメント)決断ですね。
(コメント)強いて言えば「言葉の感度」? 言語化は得意な方だと思う。
(徳田さん)言葉にするのってなかなか難しかったり、思ってることを思ったように伝わらなかったりとかあるので、私難しいなと思うんですけれども。
(キム先生)語ることが上手な人もいれば、聞き取ること、傾聴することが上手な人もいれば、質問することが上手な人もいれば、なので言葉というものに対する感度というのは、必ずしも語ることに限らないという部分があると思う。
幸い自分が自分の思いを言語化していく能力に長けてると思っている方は、それは素晴らしいことではあると思うが、逆に自分の思いを言語化する、言葉にすることが苦手という人も僕は全くそこで悩む必要はないような気がしていて、僕は流暢に語ることが素晴らしいこととは限らない。語るより僕は傾聴するとか人の言葉に耳を傾けるであるとか、または自分が語る言葉の量ではなくて、自分が語る言葉一つ一つが持っている重みというのが自分がそれにどれくらいの愛情を込めたかによってその重さというのが決まると思うので、語る量、言葉の量ではなくて、言葉の重さで勝負ができるような人生を生きることができれば、ゆっくり話していい。わかりやすい言葉を話してもよく、あまり深く美しい言葉を語る必要もなく、自分の思いを素直に言葉にすることができれば、もう伝わる人には伝わる。伝わらない人にはどんな流暢な言葉で喋っても伝わらないので、言葉というものの不完全性にもぜひ気づいてほしいなというのがある。言葉が持っている可能性にも気づいてほしい部分があるが、言葉だけで自分の思いを全部伝えることができなかったり、また相手の言葉だけで相手の思いを全て理解した気持ちになることはすごく危険であるということにも気づいてほしい。
「言葉 × 思い」というものがコミュニケーションにおいて行き来するような形になると、そのコミュニケーションが一番素晴らしいと思う。
(徳田さん)そうなんですね。「言葉 × 思い」なんですね。
(キム先生)言葉に思いを込めて送る。また送られてきた言葉の中に込められている相手の思いというものを受け取る。
(徳田さん)結構シンプルですね。
(キム先生)シンプル。

ゼミ生からの質問

Q.「愛される感覚のない人が、『愛されている』と思えるようになるにはどうすればいいでしょう?」
(徳田さん)自分のことを大切に出来るというか、信頼していれば、愛されているっていうのは自然と分かるような気もするんですが。それが難しい時どうしたらいいでしょうと。
(キム先生)想像性を働かせることだと思う。自分の目の前に見えるものだけを見ていると、自分が愛されている感覚を覚えない人は世の中にいっぱいいる。今現状が苦しいと思っている方もたくさんいるかもしれないし、そこから抜け出せない、自分が変えたいけど人生の中でも希望が見えない方もいっぱいいらっしゃると思う。さっきの言葉の話ではないが、自分に対して「愛を寄せること」と「愛を表現すること」とは別の話。例えば、親子関係でよくあることは、親は自分に対する愛は持っていると。つまり愛の存在は認めるけれど、親が自分に対する愛の表現というものが歪んだ形で表れてしまっていて、自分に対する過度の期待や強要することによって、自分の人生は結果的に親のために生きてきてしまったと。そこには自分の意志はなかったということで親を悔やむ人もいると思う。「愛の存在」と「あいの表現」というものは違うもの。なので、多くの方というのは、愛を表現することが不器用な方々もたくさんいらっしゃる。特に両親と家族とかいると思う。しかし自分に対する愛の存在というものは否定することができないものがきっと思い返すとあるはず。それを見ようとしない、想像しようとしないと、自分だけがこの世の中から閉め出されて寂しい思いをしていると思いがちだが、きっと表現はできていないけれど、たとえばこの方に対して愛を送り続けている人や優しさを送り続けている人がきっといるはず。少なくとも僕は今送っている。それを受け取る自分の中での感受性というものを持つことが重要じゃないかと思う。
(徳田さん)なるほど。愛の表現がうまくできなくても、そこに愛はちゃんとあって、それを受け取る側がちゃんと取れるかというか、そこまで見れるかというところが大事になってくるんですかね。
(キム先生)世の中でいちばん大切なものは見えないもの。いちばん大切なものは聞こえないもの。見えるもの聞こえるものというのは、実はそれほど大切ではない。
愛というものは見えないし聞こえないけれど、その見えないものを見る、または聞こえないものを聞く、そのための自分のイマジネーションという想像力と感受性を持つことが出来るかどうかで、その人は人生の中で大切なものをちゃんと見つけながら生きるかどうかというものの分かれ目になる。
愛というものは形がないもの、聞こえないということをまずは認識をした上で、それを自分がちゃんと受け取るためには、自分の中での想像性、イマジネーションというものを働かせることが大事なんだということを、実感をすることができれば、自分は愛されているという。少なくとも大自然は自分を愛してくれる。太陽は自分を照らしてくれている。そういう風に思うと、自分の周りのすべてのものは、自分を輝かせてくれるための万華鏡またはスポットライトだと思うと、全ての人に対して感謝の気持ちが生まれると思う。
当たり前というものを自分の人生からなくしていくことがすごく大事じゃないかなと思う。
人間は、ないものに対する過大評価、あるものに対する過小評価をする。ないものを常に重要と思える、また今自分が持ってるものは重要じゃないように思えるけれど、自分があることに対して満足をしたり感謝をすることによって、今この瞬間から幸せになれる。
特に、僕はドキュメンタリーとか見ていると、ある意味ではいろんな形で不運に遭遇した方含めていろいろある。でも少なくとも我々はこうやって話すことができたり、聞くことが出来たりする。それだけでも本当は感謝だし、全てが当たり前ではない。
一番根幹にいくと、今生きているということが奇跡。だからこの生きていることの奇跡性、少なくともこの世の中に送られてくるためには、2人の愛がなければ絶対に送られてこなかったというところを、その原点に戻ると、自分が愛されているということを少なくとも実感は出来るんじゃないかなと思う。
あとひとつは、自分が愛されているということを実感できない人は、誰かを愛するというところに頭の思考をシフトできるかどうかというのがすごく大事。私を誰か愛してくれないかなと、いう風に思った瞬間は頭を切り替えて、私が今誰かに対してエールを送ったり、愛することができないかなと、優しさを発揮することができないかなという風に頭の中で自動的に転換出来る人がいれば、この瞬間自分の心が豊かになっていることに気づく。
私は誰かを愛することが出来るんだと。愛されるということは不可抗力。自分の意志で出来ることではないが、愛するということは自分のちからで出来る。愛することができる自分というものが、本当の意味で自己信頼につながる。自分の心が豊かになってくるので。それは今この瞬間から自分が幸せになっていくことができるための手段なので、愛されていないなと孤独感を感じた時は、自分の周りで孤独感を感じて心細くなっている人はいないかなということを想像して、その人に対して、メッセージでもなんでもいいと思うが、「いつも考えてるよ」「いつもエールを送っているよ」「何かあったらいつでも連絡して」などそういう言葉一つ送ることによって、そのもらった相手というのはほんとに救われた気持ちになったりする。
そういう風に思考転換をされると心が豊かになるんじゃないかなと思う。
(徳田さん)そうですね。与えられるばかりに気がいってしまいますけれども、自分が与える側になって豊かになるっていうのは一つの形ですね。
(キム先生)与える側になった時に自分の中に力があったんだと、自分の中の愛の泉が枯渇してないんだということに気づくことができる。自分の中の愛というのは自分が生み出したものじゃない。今までで自分が受けたものがその泉を作っていたわけなので、自分が今誰かを愛することができるという瞬間に、自分は今まで愛をもらっていたんだということに初めて気づくことができる。そのためにも、愛されるために愛する、というところに自分の行動を起こしていくことができれば、今自分の前に広がる景色から美しさというものが見いだせるんじゃないかなと思う。

自己信頼5か条

1.行動
自己信頼の人は「自信とは思考と行動の橋」であることを知っている。思考があっても行動しないと、それは後悔になっていく。自信は行動を促進する。Think Less, Act More!
(キム先生)自己信頼の概念をいろいろ語るというよりは、自己信頼を持つのと持たないのとではどういった違いがあるのかということを語った方がいいと思う。
人生は行動によって作られる部分があると思う。その行動というものはだいたい思考の産物。自分が何かを考えて、決断をして、そして行動につなげていくということになる。
思考と行動を一致させることが大事。ちょっとむずかしい話になってくるが、思考が行動に変わっていくためには橋を渡らなければいけない。つまり自分が何か考えていることと何か行動することの間には橋があると思った時に、その橋は何かと言った時にそれが自信だと僕は思う。
つまり自信がある人は、自分が考えていることをちゃんと行動に移せる人。自信がない人は、考えてはいるけれどくよくよして行動には起こせない。
行動を起こすのと行動を起こさないというのは人生において意味合いが違う。
行動を起こすと、行動によって展開が始まる。でも行動を起こさないとそこで何も生まれない。つまり波動でもいい。何か石を投げるとそこで波動が生まれる。石を投げたいんだけど投げないと何も波動が生まれない。
行動するということはすごく人生において大事だが、行動する、思考を行動に変えるためには、やはり自信があるかないかということがすごく大事。
考えてはいるんだけど行動しない人は何が生まれるかと言うと後悔が生まれる。その後悔をなくすためにも自信を持つことはすごく大事。
特に女性の方は考えてはいるけれど行動を起こすことが結構苦手。これは男女の統計調査でも出ているものだが、男性は7割くらい確率があると思ったらとにかく始めてみる男性が多い。でも女性の方の多くは、完璧、これは必ず成功すると思わなければ、行動を起こすのをためらう、すごく繊細な方が多い。
これは男性女性というより、男性性女性性の話だが、考えることを少し少なくして行動を増やしていくためにもやはり自己信頼という自信というものはすごく大きな武器になっていくんじゃないかなという主旨。
(徳田さん)なるほど。そうか、思考があっても行動に移さなければ、結果は何も変わらないですものね。
(キム先生)その行動に移せない理由は、自己に対する信頼がない。自己に対する信頼をもうちょっと難しい言葉で言うと、自己効力感(self-efficacy)と言う言葉を使う。
自分の中に、何か自分が想定しなかった出来事が起きた時に、その想定できなかった状況に対して、自分がその状況を克服する力が今の自分の中に内在しているかどうかという、それに対する自己評価である。
つまり、何が起きても私は大丈夫、という人は自己効力感が高い人。でも自分の計画通りに物事が進まなかった時に自分が対応できないんじゃないかと思う人は自己効力感が低い人。
これが高いかどうかで、挑戦できるかどうかということが決まってくる。挑戦の中でまあちょっと落としていくと行動できるかどうかというものが最終的にはこの自己効力感によって決まって行く部分がある。それを言い換えると自己信頼ということになる。

2.柔軟

自己信頼の人は、誤解や矛盾を恐れず「瞬間を直観的に創造的に生きる」。自己信頼の人は「一貫性の奴隷にならない」。「愚かな一貫性」より「懸命な気まぐれ」を大事にする。
(キム先生)絶対的な自己信頼がある人は何を持っているかと言うと、自己の中に「神聖(神性?)」があると思える人。つまり神、聖なる神が自分の中にあると思える人は、絶対的自己信頼を持っている人。これは僕の言葉ではなくて、「自己信頼」という本を書いたアメリカの思想家・エマソンという方がいるが、つまり自分は神と繋がっているんだと思える人は、この自分の心の声というものが絶対視出来る。自分の心の声を何よりも優先させることが出来るというのは、この心の声というのは神と繋がっているんだと。
(徳田さん)なるほど。神が言ってることだから?
(キム先生)神と一致する言葉なんだと。
僕自身は宗教を持っているわけではないし、今宗教の話をしようとするわけではないが、僕が冒頭で申し上げた、自己信頼を持っている人というのは自分の心の声に従って生きることが出来る人だ、というのは、自分の心の声に従って生きるとどういうことが起きるかと言うと、社会の中でいろんな形で誤解をされる。抑圧もされたりするので、それに合わせていくと自分の心の声よりも、他者のまなざしとか他者からの評価を優先してしまったせいで、自分の人生を生きていない感覚になっている部分があると思う。
なので、自己信頼を持っている人は、まずは人に誤解されることを恐れないことが出来るかどうか、というのがすごく大事。
もう一つは、自分の中で一貫性を必ずしも大事にしないということも実はすごく大事。
通常世の中は「一貫性」を大事にする。昨日やったことを今日やる、今日やったことを明日やる人が一貫性があるというふうに評価をして、その人はいい人なんだと。社会人としていいと思いがちだが、逆に言えば、昨日やったことと今日やったことが違ったり、今日やったことと明日やったことが違うと、これは世の中からするとなんて言われるかというと、「気まぐれ」という。
前者は評価が高くて後者は評価が低いが、僕がおすすめする、また僕自身が生きてることに大事にしていることというのは、やはり気まぐれに生きることが重要だと。
若干難しいが、「瞬間を直観的に創造的に生きる」というのはどういう意味かと言うと、無限なる神が存在する。有限なる人間が存在する。無限と有限との違いは時間。無限なる神と有限なる人間の間にある邪魔者の「時間」というものを除去して、その間にある2人が共有している「瞬間」、この「瞬間」を使って世界を創造する、という感覚になれるか。
言い換えると、無限なる神様と有限なる人間、自分がいるとすると、この2人が出会う場面というのは「瞬間」しかない。この「瞬間」に突入して、瞬間を瞬間で完結させることによって新しい世界を創造する、という構図を理解した瞬間に、人間は先のことを考えすぎないようになる。この瞬間瞬間の自分の心に全てを投下をする。そうすると集中力は無限になる。
瞬間を瞬間で完結させると、縦に刻むような生き方ができる。時間の流れの中で横に流れる時間ではなくて、縦に刻むような。
つまり人生の価値は、生きた時間の長さとその瞬間瞬間に自分が生きたエネルギーの深さ、この面積が自分の人生になる。たとえ自分が20歳で亡くなっても、その間に生きた濃度が濃ければその人の価値というのは無限に縦に広がる。
自分が120年生きても、その瞬間瞬間をないがしろにしながらなんとなく生きていたら、その価値というものは限りなく小さくなっていく。
なので、自分が生きる長さも大事だが、この瞬間というものを本当に自分が心を込めて愛を持って、もう全てをここに投下しながら生きたかどうかということで、自分の人生の最後の瞬間に自分の中に残る後悔の大きさが決まる。
なので私はどんな瞬間においても私の心の声に従って、完全に集中した人生を生きたか、ということの自負がある人は、最後の瞬間になって、もう一回生まれても私は全く同じような人生を生きるということを言える人が一番理想的な人生を生きた人であって、例えば病院に行って癌が見つかって、「余命三ヶ月」と言われた時に、あなたは今やっていることを余命三ヶ月でもやり続けますか、と言った時に、はい、私は今やっていることを余命三ヶ月でもやり続けますと言える人が、その瞬間を全力で生きている人である。
そういう人は、最後になっても後悔しない。
なので皆さんも私も自分に常に自問する必要があって、自分に余命三ヶ月でも半年でも今やっていることをやり続けますか、と、それでもやりますか、と、言われた時に、自分が迷いなくイエスと答えられる自分でいるのかどうかというのが、一つ自分の今この瞬間全力で生きているかどうかを測定する一つのリトマステストになってくるんじゃないかなと思う。
(徳田さん)なるほど。今の深さですね。瞬間に対しての深さ。長く生きてきて、でもこうなんか今まで何やってきたのかなとか、こうなんかふと思った時にあれ今までの人生って何やってきたんだろうって思うことが多い方もいると思うんですね。ただその時の考え方としては、その一個一個の深さ、その瞬間の深さを、じゃこれからもっと深めていけばいいんだって考えられれば、ただこう生きているだけじゃなくって、その瞬間の価値がぜんぜん変わると。
(キム先生)明日という未来、未来という明日は必ず今日を通る。必ず自分の前を通る瞬間がある。昨日も明日も必ず今日を通っている。
今日自分の目の前にある今日に集中することができれば、最終的に昨日も明日も自分自身が創造することが出来る。
でも多くの場合は、明日に対する不安、昨日に対する後悔があって、今日をないがしろにして明日のことばかり考えて不安になって、計画は立てるがまた不安になると。心ここにあらずの状態になる。今目の前にあるものに集中できない。
ご飯食べながらスマホを見たりとか、例えば家族と話しながらスマホをいじったりとか、常に先先のことを考えてしまって今をないがしろにしてしまう。
人生は短いわけではなくて、自分自身の人生を浪費しているのは自分自身であると気づいた時に、この瞬間に全て集中すべきだということに気づくと思う。
なので、先のことは考えすぎない。途上が結果なんだと。結果は途上にある。つまり今歩いている一歩一歩というのが人生における結果であるということを自分自身が気づけるかどうか。
だから僕自身は本当に三ヶ月先は全く考えていない。でも僕が未熟で若かった時は、一番長期的に具体的に未来を考えた。でもだんだんと自分が人生を生きている中で、最近はあまり先のことを考えすぎず、そしてあまり具体的にも考えすぎず、今この瞬間で自分の心に響くような信号というものを一つも見逃さずに生きていく。なので毎日を一日一日と完結させる。今日起きて「ああ今日起きてよかった」と。今日一日をどういう風に自分が生きたら、夜寝る前に自分が一番自分自身を褒められるか、ということを考えながら、一日一日生きることが出来ると、延長線上で生きる感覚とは全く違った緊張感というものが自分の中で生まれるんじゃないかなと思う。
(コメント)今をないがしろにしない。
(徳田さん)結構深いところまで、今に皆さん集中して頂いているまさに今が、瞬間瞬間だなと感じたんですが。
(キム先生)瞬間瞬間が永遠に繋がる。瞬間から永遠を見出すことが出来るかどうか。その見出す鍵、扉を開く鍵というのは自分の愛。愛と集中力。その愛を持てば、瞬間の扉を開けるとその瞬間が、30年後になってもこの瞬間を覚えることが出来る。それは魂に刻まれた記憶なので、そういった記憶をあなたはどれくらいありますか、と言われた時に、「んー」みたいな。自分の魂に刻まれて時間が経っても自分の中で思い返せるくらいの強烈な記憶を持つためには自分がやはり全てを込めた瞬間を生きることだと思う。

3.自立

自己信頼の人は「マイノリティになる」ことを恐れない。むしろ群れから離れ、独りになることを好む。また大衆の中でも独立なる孤独を感じられる。
(キム先生)僕の人生で自分がずっと心がけてきているものがあって、僕が韓国を19歳で出て、その飛行機の中で自分の中で決意したのは、「私はこれからの人生をマイノリティとして生きる」ということを自分の中で決めた。
マイノリティとして生きる、というのは、結構ネガティブなイメージがありがちだと思うが、自分がマイノリティになることによって、自分という存在価値について自分自身が深く認識することができるようになる。
自分が群れの中にいる時は、その群れのアイデンティティが自分のアイデンティティになる。例えば日本の中にいる日本人である葵さんは、自分が日本人であるということを誰かに対して語る必要がない。なぜかといえば、群れの中にいるから。
でも例えばフランスに行って、みんながフランス人の中で葵さんがそこにいると、自分自身は誰であるかということを自分が考える。また時には問われたらそれを語る。日本人について。
つまり、自分が群れから離れてマイノリティになるということは、自分自身の存在意義、存在価値というものを常に実感することができる環境に自分の身を置くということ。
なので、短期的にはすごく心細い。誰も味方がいないと思いがちだが、そういったプロセスを通じて自己というものが強くなる。つまり群れから離れることによって天敵から自分の身を守らなければいけないと思ったら、走りも速くなる。
また、自分が自分で獲物を獲らなきゃいけないと思ったら、自分で借りの技術も高まる。
なので、あえて少し厳しい環境に自分の身を置くことによって、自分自身というものを強くすることができたり、また、孤独な時に自分は独立しているということを感じることは簡単だと思うが、大衆の中にいても大衆の眼差しとか大衆の流れに飲み込まれずに、大衆の中にいても自分の存在価値、存在意義というものを常に自覚をすることができれば、ある意味「独立なる孤独」というものを味わうことができる。それが本当の意味での「極上の孤独」である。
そこまでの内面の強さを持てる人は、どんな環境にいても幸せになることができるし、どんな環境にいても愛と優しさを持って人と接することが出来るんじゃないかと思う。
(徳田さん)なるほど。大衆の中にいても、自分が確固として浮き上がってくるみたいな感じですか。
(キム先生)そう。すごく極端な話をすると、人が語れることは自分の口から絶対発しない。人ができることは自分はしない。あくまでも自分の存在意義というものを大事にする。同じ掃除をやっても、自分だけの掃除の仕方を自分が、私はここに誰よりも愛を込めた掃除ができます、と。この地球を綺麗にしています、と。
というような意味付けを含めて、何をやるにしても、自己というものを失わないことができるかどうか。
(コメント)独りを好んで良いんだ...
(徳田さん)ぜんぜん独りでいることはいいことである、ということですね。
(キム先生)自分一人が明確に自己として自立をして、他者も自己として自立して、全部が自分の色を持っている。我々が大自然を眺めた時に、森を眺めても全く同じような色の葉っぱはない。それぞれちょっとづつ全部違う。そういった違い、自分の個性が最終的に共存されて調和されて美しい景色になっていくわけなので、周りの色に自分の色を合わせる必要は全くなくて、自分の色というものを大事にすることが、ある意味では周りから眺めた時の美しい景色を作ることが出来るんじゃないかと思う。

4.愛

自己信頼の人は「自分は愛の結晶」であることを知っている。同様に、他者も愛の結晶であることを知っている。だから、傲慢になることなく、優しさを持って自分や他者と接する。
(キム先生)これは先程も申し上げたように、自分自身が愛の結晶であるということを理解することはすごく大事だが、それに負けないくらいに、他者も誰かの愛の結晶であるということを感じた時に、表面的な意味での争いというものはなくなると思う。ちょっと自分がいらっとしても、一歩自分が深呼吸を入れて「この人も人の子で、大事にされて育ってきて、いろんな悩みを背負って傷を背負って生きてきている。俺もそうなんだ」と。そういった人間愛を土台にして接していくと相手にもその眼差しとか声のトーンとかが伝わると、お互い心開くようになると思う。心開くとみんな良い人。なかなかこう開けない、自分から開く勇気が持てない部分があるので、誰と会ってもまずは自分から心を開くということをやれば、全員じゃないかもしれないが、開いてくれる人達がいると、自分の周りはこころ開いた人だけが自分の周りにいると、その世界というのはすごく美しい世界になる。愛の溢れる世界になっていくと思うので、相手の反応を期待せずに、相手の返しを期待せずに、誰かと会った時は自分の心をまずは開いて接していくということを心がけるといいんじゃないかと思う。
生きる全ての存在というのは愛の結晶であるということを心がけると、対人関係もだいぶ変わってくるんじゃないかと思う。
(徳田さん)同じくみんな愛の結晶なんですものね。

5.受容

自己信頼の人は「未完の自分を美しい」と思う。未完から完璧に向かって歩く自分を美しいと思う。今いる場所から見える景色から美しさを見出すことができる。
(キム先生)自己信頼において多くの方で自信を持てない方の共通点というのは、自分はまだ未完成である、と、誇るべきものが何一つ無い、というのが大きいと思う。人間は未完だからこそ美しいという部分があると思う。未完であるということはどういうことを意味しているかというと、完成までの余地が残っているということ。完成までの余地というのは自分の可能性を表していることでもある。なので、完全になった時に人間は人間でなくなる部分がある。ただ完全に向かっていく自分というものをすごく美しいということを自分自身が認識することが出来るかどうか、というのがすごく大事な気がする。なのでまずは今、現状の今のありまのままの自分というものを自分自身が愛することが出来るか、信頼することが出来るか、というのがすごく大事。これは今瞬間幸せになれる。さらに自分をもっと成長させたい、と、または自分の世界を広げて拡張させていきたいということで、挑戦する自分、成長に向かっていく自分というものも美しいということの両方の美しさというものを自分自身が認識することができれば、目的地にたどり着くまでに歩いている自分が苦しみを感じなくなる。今も幸せで、今自分が進もうとしている目的地も幸せで、その間にある途上の中で歩く一歩一歩も噛み締めながら、力強く踏み出していく中で自分の幸せを見出すことができれば、過程もスタート時点も目的地も全て幸せになると思う。
なので、未完の自分は美しいと、そういった未完なる自分というのが完璧に向かって、完全に向かって、神の領域、向かっていく自分というのがある意味可愛いと思えるようになると、今日も幸せで明日も幸せになれるんじゃないかと思います。なので、明日のために今日を犠牲にするような生き方はしてほしくない。明日の幸せのために頑張ってる今日の自分も自分自身がちゃんと認めてあげて、時には抱きしめてあげることが大事じゃないかなと思う。

推薦図書

「自己信頼」ラルフ・ウォルドー・エマソン著 http://amzn.asia/dv1VE2l
(キム先生)僕の人生にも大きな影響を与えたアメリカのエマソンという作家、19世紀の方だが、この本をよんでいただければと思う。いろんなバージョンがあるが、僕が一番好きなバージョンはこのバージョンで、結構薄く要約されているような形になっている。ぜひこの本、一行一行がほんとに宝物のような一行で、ほんとに力強いというか、時に本を読んでいくと、本の文字から熱意がぐーっと伝わって火傷するくらいの熱意がある本がある。この「自己信頼」というのは間違いなくそういう本だと思う。お風呂から出て一人で寝る前に3ページ4ページ読みながら寝ると、次の日の朝すごく力がみなぎっている自分を見つけられるんじゃないかなと思う。


徳田さんのマニフェスト3ヶ条

1.自分だけが愛されたいとか思うのではなくて、みんな生きとし生けるものみなさん愛の結晶だということなので、人に対しての愛、それから、私「強くて優しい人」っていうのが理想なんです。強いのに優しいって一見こう反してる、強さと優しさって反するものかなと思うんですけど、これが両方備わっている人って、一番人として私が目指したいところではあるんです。これもその根底にあるのは愛なのかなと思っていて、愛のある強さと愛のある優しさ、それが人に対して出来ると、自分も豊かになれる。なのでまず1つ目は、「強くて優しい人になる」というのをマニフェストとして掲げたいです。
2.最後に先生がおっしゃっていた不完全な自分、未完の自分は美しいというところにすごいインスパイア受けまして、いつもこう、このままでいいのかなとか、私まだ何もしてないしとか、結局こう今の自分に満足できないって皆さんもたぶんあると思うんです。ただ生まれてきただけで幸せであるとか、生きてるだけで健康でいるだけで幸せであるみたいなところに戻った時に、じゃ不完全な自分をそのままで受け入れられる。不完全なのはこれからもっと成長するためにある自分だから、というところを受け入れられる自分でいたいなと思ったので、「不完全な自分はそのままで美しい」。
3.やっぱりどうしても自分のことを認めてあげる自尊心とそれを疑わない真っ直ぐさ。何を言われても、自分が言ってることは、間違っていようが、自分が言ってることなんだから正しいって言えるくらいの真っ直ぐさを常に持っていたいなと思ったので、「疑わない真っ直ぐさを大切にする」。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?