読んだ本の話その3

本の紹介をしています。

1記事2,3冊で紹介したいと最初の頃は思っていましたが、1冊にそこそこ力をかけると無理ですね。

やる気のある時はこつこつやっていきたいと思います。

以下本文です。



学びとは何か――〈探究人〉になるために(今井むつみ)

その2で紹介した本と似たようなタイトルではあるが、たまたま似ているだけの別の本である。



そもそもなぜ私は読書が好きかというと、抽象的に思っている考えが具体化されることに快感を感じられることが要因の一つに挙げられる。

本書はまさにそれにうってつけの本であった。

本編では「主体的な学び」とは何かというテーマについて論じられ、
「学び」とは、単なる知識の習得や積み重ねではなく、既にある知識からまったく新しい知識を生み出す探究のプロセスである。
という論旨が展開される。

この言葉に私は深く共感した。
まさにこれといえる実体験があったからである。

自分の話になってしまうが、私は中学から高校2年くらいまで英語がかなり苦手だった。
ところが高校3年になると読む英語についてはかなり得意になった。
他の科目に比べて英語を特段勉強したわけではないし、むしろ自然に読めるようになったという感覚で、点数の上がり方に自分が驚いたほどである。

今思えば、その要因として思い当たるものが一つある。
国語の古典の文法をものすごく勉強させられたことだ。古典で品詞分解という手間のかかるやり方を高校2年間やらされて、そのやり方が染みついた結果、英語でも品詞分解に近いレベルで文法構造を理解することができたため、読解力が明確に上がった。

文法構造がわかれば、多少意味のわからない単語があっても、おおよその検討をつけて読むことができるからだ。「わからないと困るもの」と「わからなくても困らないもの」の違いが区別できるようになったというべきか。

決して高いレベルで英語の読解ができるわけではないが、既にある別の分野で得た知識が、新しい分野にも応用できたことでその理解が飛躍的に深まった印象的な経験である。

何かしらの勉強をしていくと、「一度学んだだけでは覚えられない」ことが大多数な中で、「一度聞いただけで覚えられる」ことがあるのを不思議に思ったことがあるが、この理論に基づけば、その理由を自ずと理解できるのではないか。


また別の観点でも理解が深まった事柄がある。

勉強しかりスポーツしかりゲームしかり、何事にもおいても人の成長速度には違いがあるのが常だ。

私自身、特に実力が数値化されやすいゲームについて、「人より劣っている」と認識したり、「自分は向いてない」と思う機会が多い人生だったが、本書を読み進めたことでその原因を理解できたように思う。

本編を一部引用する。

あることを長い間つづけていくと、そのことに習熟し、熟達する。熟達者になると学習を始めたときと比べ、行動が大きく変わる。一般的に「熟達者」というと、スポーツや芸術、技能、将棋や囲葬、外国語など、普通の人はしない(できない)特別な分野での達人のように考えがちだ。しかし、熟達は誰にでも起こる。学習することは熟達に向かう過程なのである。
熟達者は何かをするのに素早く、的確な判断や行動をすることができる。最初はおぼつかなかったことが、意識的に注意を向けなくてもスムーズに素早く正確にできたら、それは立派な熟達の形だ。しかし、熟達の過程はそこで終わりではない。あることが手早く正確にできるようになるというレベルの熟達の先には、他の人には真似ができない達人のレベルの熟達がある。達人の域に達したと誰もが認める人でも、学びに終わりはない。

学びとは何か――〈探究人〉になるために(今井むつみ)

肝心の「熟達者はなぜ熟達者たるのか」という話題についてはここから先の展開になってしまうが、熟達は誰にも起こるという事実やそこに至るプロセスが言語化されれば、自分にもそれは応用できると思う。

もちろんやることはまた別の難しさはあるが、それでも客観的に自分を見られるようになることは自分自身への安心感に繋がるし、理由がわかれば解決に向けて取り組むこともできるはずだ。



2冊連続で固い話になったので、次は柔らかい本にします。

ちなみにこの本は会社の社内コラムで知りました。

改めてその社内コラムを見ると、文章の読みやすさに驚きました。すごい。

もっと表現力を磨きたいものです。