幼き記憶からの今の思考

私は、昨年4月から専業主婦から原木しいたけ農家に起業したアラフォーママです。
旦那さんは会社員で、暮らしと働き方の
ウェルビーイングを叶えていきたいと
実践中です。

私の記事に辿りついて頂き、
ありがとうございます。

最後まで読んで頂けると嬉しいです(^ ^)

今日は、小学校4年生の冬、私が左腕を
骨折したことからの感情や気づきを
お話します。

私が小学校4年生、10歳の頃。
週末に家族(妹2人と両親)でスケートに
行きました。

私は10歳なので、帰り際には1人で悠々と
スケートを滑っていました。

後ろから、男の子がドンとぶつかり
私は、左腕をついて尻もちをつきました。

左腕が泣くほど痛く、両親のところに
戻ったのを覚えています。

母は、看護師なので私が泣くほど痛く
腕が動かないのを見て骨折しているかもしれないと父に話していました。

父はというと、心配よりも
何をやってるんだ!転んで、怪我した自分が
悪いと心配よりも素っ気ない態度。

泣いてる私は、うるさいから早く泣き止めと
言われ、楽しかったスケートが
帰り際は痛いのと悲しいので
散々な日になりました。

次の日母と朝イチで病院に行くと、
左前腕(手首から肘)まで
骨にヒビが入っており、ギブスをして
帰りました。

学校は、休みました。
その頃の私は、
優等生の人格が出来上がっていたので
休むことが悪いこと。
授業がついていけないと、恥ずかしい。
とも感じていました。

今思うと思い込みですね。汗

生活発表会も近づいていて、私たちの学年は
手話で歌を最後に歌うことになっていました。

発表会当日は、手話を覚えることが出来ず
あやふやな感じで終わりました。

人に教えてと言えない変なプライドや
間違えるのが恥ずかしいと思っている私。

10歳にして、何様やねん!って感じですが
心の形成が少しずつできていたのかなと。

1人でやらなきゃと思っていたから
この気持ちも両親や友達にも吐露してこなかった。

だからか、この頃から、
学校があまり楽しくなかった。

骨折して、病院を行くために途中で
学校に行く。

みんなからの視線が気になり、
影で何か言われてるんじゃないかと感じるように。

なんでそう思っていたのかと今考えると
女子のグループが出来ており、
放課後トイレに一緒に行く。

何か気に入らないことがあると
その子の悪口を言うリーダー的な子が出てくる。

自分も言われていたらどうしよう。
なんか怖い。
人の目を気にしすぎて、学校生活が
疲れてきました。

ズル休みもするようになりました。

母はきっと私が仮病だと分かっていたけれど、
休ませてくれました。

だから登校拒否一歩手前で済んだのもあります。

今思うと、登校拒否という言葉って
いいイメージがないけれど
学校に行くことが当たり前!みたいな風習が
あるから登校しなきゃダメ!という先入観が
取れない。

私は、今自分の子どもが行きたくないと
言ったら行かなくていいんじゃないと
言うつもりです。

日本の学校生活で、箱の中で
人と違うことをやると白い目で見る。
軍隊のようにみんなと同じことをやる。

先生の言いなりで、自分のやりたいことが
出来ない。

私が苦しんだことを子供にしてほしくない。

人は100人いたら100通りの人格があります。

クラスで30人いたら、30人の意見が出るのに
1つだけで成り立つようにしてしまう。

自由にのびのび発言し、相手を受け止め
お互いを尊重しながら生活できる術を
身につけていってほしいし、私も
常にしていきたいと思っています。

自分の経験に無駄なことなんてないですね。

これからもアウトプットしていきます。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

スキ、フォロー励みになります(^ ^)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?