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年末年始の日記

  俺は人をよく疑う。
 優しい言葉の中にさえ、呪いのような相手の暗い過去を想像してしまう癖がある。
 なぜこうなったかはいくら胸の内に問い合わせたところで分からない。
 冬の日差しはしっとりと降った雨の跡をじんわりと温めて、スーパーで買った安いスティックミルクティーを飲みながら年末を過ごしている。
  
 よい一年だったな、と思う。
 人を疑う気持ちを幾分か遠ざけることができたから。
 カーテンを締めて、ちびまる子ちゃんを見ている。
 さくら先生はやはり絵が好きな人が好きなのだと確信して泣きそうになっている。
 毎日の習慣の延長線上に年末年始は存在し、取り立てて祝うことは俺はしない。
  
 いつからこんなに暗くなったんだろう。
 幼い日の母を思い出してみる。
 メンタルが落ち込んだら原因は両親、
 特に母親との関係に原因があることぐらい本で読んで知っている。
 本で読んで…俺は現実世界で人と関わることを避けているよなぁと、
 飲み干したミルクティーのカップを眺めながら、
 明日に備えて掃除でもしようか考えている。
  
 絵が描きたい。
 人々が没入できるような物語が書きたい。
 そんな気持ち、
 捨ててしまえれば楽なのに、それができない。

 誰かを愛したい。
 片思いでは納得できないぐらい愛せる誰かに愛されたい。
 下心だって満たして、
 自分にはありえない、子供を持つ夢を見たい。
 叶わない夢があるから、叶えられそうな夢を大事にしているこの環境を捨てたい。

 物事の核心に触れたい。
 これだけは間違いないなと思う。
 そして、生涯を遂げても、核心などつかめないだろうことも分かっている。
 俺が生まれてきた性は、いつだって俺の首を絞めている。

 あぁ、年が暮れていく。
 西暦の1月1日は本当は何の日だったか。
 そんな簡単そうなことすら知ろうともせず、
 年は暮れ、明けていった
 
 ハローハロー年始早々睡眠をとることに失敗した切り絵作家のマコです。いやぁ昔ね、西暦の元日ってそういやなんの日なんだ?と思って調べていたらどうもイエスキリストが割礼を受けた日の様で、何年間か笑い話のウンチクとしてため込んでたんですけど、今年の元日は泣いたー!え、お前が泣いたかどうかなんて興味ないって?興味があるからここまで読んだんでしょうがぁ!
 ほんと西暦の元日を祝うようになったのっていつからなんでしょうね?よく知らないけど昨年までは平日の延長線上が元日。だから年越しなんて祝ったりするもんか!って息巻いていたんですけれど、いやはやそういうわけにもいかないくらい自分の孤独が詰んでしまっていまして。
 一日2食に減らしているのは貧乏だからだし、帰る実家はないし、家族は一人が病に伏しているし、俺は一人で生活をすることを頑張らなきゃって状況だと判断してあんまり家族と連絡を取らないようにしているし。だから音声配信でカウントダウンなんかやってみちゃったりして孤独が余計に積みあげられて夜も寝れないほどでした。笑えないこの環境を笑ってくれる誰かがいたらいいなぁなんて思いつつ、寝れなかった体で初日の出を見に行ってしまいました。
 初日の出、俺、それで泣いちゃいました。結構な人数の人がいて、家族らしき人々の群れ群れが日の出を見る名所のその場所で幾組もいて、あぁ、俺は一人なんだよなぁとか考えていたら日が昇ってきて、それがあまりに綺麗で。綺麗なことが悲しいってこういうことか!と少し考え、ヘッドフォンから流れていた羊文学のマヨイガを聞き終わったタイミングでそそくさと群れから離れて帰りました。
 今日のことは忘れちゃいけないと思いました。
 この孤独と、不安と、何より悔しさを。
 そう、俺は悔しいんです。どうしてこんなに一人になったんだ!って自分自身に対して腹が立ってしょうがなかったです。
 今年はこれをやろうあれをやろうって自分一人で完結できる目標ばっかり立てていたけれど、帰り道についでに寄った神社でお賽銭を10円だけ投げながら誓ったんです。
「俺はもう一人でいるのをやめて、誰かのために生きていこう。」
 って。
 恋人募集中とかそういうことではなくって、苦境に立たされた時に自己完結できるように先手を打つように退いていくような、そういう人とのかかわりに関する諦めぐせのようなものを取っ払っていきたいと思ったんです。
 具体的に何がどうできるわけでもどうするわけでもないけれど、一人でいるのをやめる、これに尽きるな、と。

 ごめんね―ほんと。年始早々俺暗いわぁ。
 ちなみに今年は年男。
 おれ、頑張るよ!!というわけで、新年あけまして、おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

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