つまらない人(小説)

 もう10年だ。俺はなんでアニメーションダンス何てマニアックなものをやってるんだ?夜、バイトの帰り道に街の明かりは電気が消えている家やすべてを照らしてるとはいえない心細い街灯が自分の寂しい心象風景を盛り上げていた。俺は、俺は、どうしてダンスを続けているんだ?堂々巡りをする脳の回路は現実をしっかりとらえてなどおらず、玄関前のちょっとした段差に俺はつまずいて派手に転んでしまった。
 全身から血の気が引いていったのがわかる。電話しなきゃ、とポケットから取り出したスマートフォンは布越しに衝撃を受けたらしく大きなヒビが入っていた。左足に挫いただけとは思えない痛みが走っていた。

 飲食店のバイトと5人組のダンスチームから抜けることになり、俺は急に何もしない人としての日々が始まってしまった。こんな時に恋人がいれば充実していたんだろうか?その思考を、性欲みたいなもんはゼロになるまで消えてしまえ、と、疎遠になった異性を思い出して苦い気持ちになった。
 どう生活を立てていこう・・・
 すぐに元通りの日常はこないだろう。パソコンからはお気に入りのプレイリストが流れている。何回も聞いてきて好きだったはずの音楽たちが、明るく応援するような歌詞で俺の心の中をかき乱していた。
 関節が自在に動くかのように踊るアニメーションダンスは高校時代にテレビで知って、やってみたいと思って真似していたら段々と上達していったのだった。マイケルジャクソンのムーンウォークから始まってほとんどのダンサーが独学で作り上げていった奇妙な動きを、高校3年生の学園祭で発表したら信じられないぐらいの歓声を浴び、俺はこの道で行こうと決めた。
 親には心配され、怒られさえしていた。人生をちゃんと考えろ、好きなことは趣味としてやっていけばいいじゃないか!バイトをするんなら正社員の仕事を探せ、受話器越しに聞いてきた親の言葉が今まさに自分に言われているかのように、痛む足を布団に隠しながらハッキリと感じてむなしくなった。バイト、ダンス、どちらも失ってこれから先どーすんだよ!自分自身への憤りが、パソコンから流れた曲が「失ったときになって気が付くことがあるんだよ」と歌っていたのに妙に重なって、いたたまれずにパソコンの電源を落とした。やはり親を頼ることはできない。ここで親を頼ってしまったら、俺は二度とダンスに限らず好きなことへ踏み出すのに臆病になると思ったから。

しばらくたって、俺は押し入れにギターがあるのを思い出して、生活苦をごまかすように弦を鳴らしていた。

 俺はいくつもいくつも詩を書いた。俺が歌いたい歌を好きに歌って路上で投げ銭を貰うのだ。もしかしたら・・・甘い期待を胸に足が治った後、俺は夜な夜なシャッターの降りた商店街へ告知をせずに路上ライブをしに出掛けるようになった。生活費はまだ少しだけ貯金がある。1か月、最低でも1か月は本気でやって、なんの手ごたえも感じられなかったら、恐れていた普通で幸せな人生に踏み出そう。たいしてオシャレでもないジャージを着て、9月の夜の空の下でシャッターを背に俺は1弦を鳴らし、歌いはじめた。

 発明家たちの声がする。
 まだ見たことのない世界が鳴る。
 ここまでと、ここからと、
 ここにいる俺以外この音を知らない。
 夜が明ける。
 行こう。
 行こう。
 まわりのことなんて知らないさ。
 行こう。行こう。

 なぁ、最近どうよ?辛いよなぁ毎日。
 たくさん食べてたくさん笑ったそんな日々
 どこへ行っちまったんだろうなぁ・・・
 いっぱい話して笑って泣いて、
 そういうことだけじゃなんでいけないんだろう?
 行こう。
 行こう。
 大切な人はもういないけど、
 行こう。行こう。

 最初は全く踏みとどまってくれる人などいなかった。ただ、これがラストチャンスにするつもりでいたから、毎日自分の歌う様子を自分で撮影していて、ネットに投稿していたら人が、ときには県外から足を運んで俺の曲を聴きに来てくれるようになっていた。ダンスはもう体が忘れてしまっただろう。親はもう、呆れかえって俺のことなどなるべく関わらないようにするだろう。けれど、けれど、俺は表現がしたい。別に有名になりたいわけじゃない。お金がたくさん欲しいわけじゃない。叶えたいのは叶えたいのは・・・
 
 演奏中、そんなことを考えていた。

 歌い終えて、何人ものひとが輪になって拍手をくれた。路上ライブをするようになって以来、はじめての手ごたえを感じていた。夢見ていたコンサートホールでダンスを踊ることはないだろう。けれど、けれど、もしかしたら・・・そう考えて目の前の人々に感謝するよりも気持ちが前のめりになって高ぶっている自分に気づいていた。

 水道の蛇口から水がポタポタ落ちる音が聞こえてきそうなほど静かになった商店街を帰っていく。たくさん貰ったギターケースに投げ込まれた投げ銭を思いながら早速、何に最低でもお金がかかるのか頭の中で計算をしており、所帯じみた自分の思考に苦笑いをしていた。
 通りかかった自販機でコーラを買った。おつりを取る時、後ろで女性の声がした。さきほどの演奏を聴いていた人だろうとと思った。声の主はたった一言、

「まだ何も始まってなんかないよ」

そういった。振り返ったら女性の姿はなかったけれど、俺は目が覚める思いで独り言をつぶやいた。

「そうだよな、何もまだ始まってなんかいない」

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