ずっと頭の中にいるあの人

どうでもいい日記。
楽しいことは書いていません。

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人と違うことをすると怖くなる。
大学院もそう。アルバイトしていないこともそう。
いつも心臓を見えない手で掴まれているみたい。

恐怖は世間の人の目に対する恐怖だと思っていた。

彼女と久しぶりに会った。
何年も前からの旧友。
友達と言えるようになったのも出会ってから数年後。
私は昔から彼女が怖かった。

彼女と会うと分かったとき、胸がざわざわして、
こめかみがきゅっと痛くなった。
私は彼女に会って、今の状況をどう話せばいいかわからなかった。

会うまでの期間、彼女に納得してもらえる言い訳ばかり考えた。
どう考えても、どう言い換えても、
私の行動は彼女には納得されないと思った。
私が取った選択すべてが間違っているように感じた。

彼女の声が聞こえる。
「そんなの無駄やん」
「逃げてるだけ」
「意味わからん」
「うちらの方がしんどい」
「楽してるくせに」

頭が痛い。昔の記憶が蘇る。

人と違う選択をするとき、頭の中を支配する言葉は、
世間の声ではなく、彼女のものだった。

彼女の考えから逸れる行動をするのが怖かった。
彼女と会わない選択をすることすらも怖かった。
そして、今も同じ選択を繰り返す。

彼女の顔を伺いながら言葉をえらび、行動を選ぶ。
彼女によって私の人生の評価が決められていた数年前。
今も私はその思想を持ちながら生きている。
彼女ともうほとんど会わなくなった今でさえ、
彼女が私の価値のままでいる。

あいや少し違うか。今は第二の彼女、第三の彼女を見つけ出しては、それらの人の価値に従っている。
いつも会うだけで息の詰まる人が、私の側にいた。
私は彼らを見つけ出しては、側にいようとした。
そして彼らの価値に沿う行動をした。
そうすれば、攻撃されないし、影で批判されないし、笑われない可能性が高くなるから。

いつも浅く息をして、肩に力がはいる。
家に帰るとこめかみがズキズキと痛む。
当たり前になってしまったこの現象も、
これ以上は耐えられないように感じる。

「人の意見なんて関係ないよ」
有名な人は言った。

人が批判することを、自分の意思でやり続け、
それが正しかったと実感できた人なのだろう。

他人の価値に振り回されない未来は、
今の苦しみに耐えた先にしかないのかもしれない。

全世界が間違っているぞ、
お前は間違っている。おかしいと叫んだとしても、
私は私と、大切な人が信じてくれた道を耐えて進めばいい。
耐えた先にしか分からないなにかがきっとある。

今日やっと決めた。
他人を強く批判する人としばらく関わらない。

他人を強く批判する人は、何かで苦しんでいる人。
きっと私と同じ、苦しい人だと思う。

今はそれを知っているだけでいい。
批判する人と関わらない。
そして、自分の考えを信じて進む。

信じる。
今はそれだけでいい。
遅くてもいい。私の軸を少しずつ作ってやる。
いくら間違っていても。私の人生だ。
怖いけど、信じる。
他の人の正解が私の正解とは限らないのだから。

私は自分を言い聞かせて、今日もかっこ悪く生きる。
こんなややこしいことを考えながら面倒くさく生きる。
進化前だから仕方ない。
ちゃんとした大人は全員昔は子供だったので、
こんな人が生きていてもいいです。いいんです。

かっこわるい言い訳だけれども、これでいいや。

読んでくださってサンキュー!
ベリグー!ベリグー!
シスコ!日清シスコ!サンフランシスコ!

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