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私は物書きになりたかった

私は92年生まれ、今年で29歳になる。今日は2021年3月19日(木)の夜中2時半。シャワーを浴びながら「そうだ、エッセイを書こう」と突然思い立ち、思い立ったら即行動しなければ気が済まないたちの私は今PCの前に座っている。結論から言うと、物書きになりたかった私は今物書きの仕事はしていない。最初の記事なので自己紹介がてら私が今まで見てきた将来の夢について書くことにする。

小学生

私の小学生の頃の夢は「動物博士」「獣医」「オーストラリアに移住して動物保護のボランティアをすること」だった。動物と自然が大好きな、田舎で暮らす元気な子供だった。それから音楽が大好きだった。姉の影響で洋楽をよく聞いた。ブリトニースピアーズ、ビヨンセ、エミネム、ジョナスブラザーズ、アヴリルラヴィーン、グリーンデイなど、POPS・ROCK・R&B・HIPHOP、様々なジャンルを聞いていた。アイドルも大好きだった。将来ミニモニ。に加入したいと本気で思っていた。なんと無邪気な夢。

中学生

中学生になった頃『毎日が冒険』(高橋歩・著/サンクチュアリ出版)を読んですっかり魅了され、海外を自由に旅することに憧れた。高橋歩の本を読み漁り、私も出版社で働きたいと思っていた。私が物書きになりたかったのもこの頃からだ。しかし先日久しぶりに開いた卒業アルバムの中に挟まっていた冊子に書かれた私の夢は「笑って幸せに生きたい」だった。どうせできるわけない、と自分を信じてあげられなかったのだろうと思う。私の夢はささやかでいい、そう考えていたのだろうと思う。ちなみに職場体験では花屋を選んだ。数学は苦手なくせに生物の点数は高く、小学生の頃と変わらず動物と自然が好きだった。

高校生

高校生になっても私の密かな物書きの夢は変わらなかったが、新たな夢ができた。「翻訳家」だった。高校生の頃私はよく映画を観ていた。レンタルビデオショップに連れていってほしいと頻繁に親にせがみ、旧作5作500円を毎週のように借りていた。映画を観れば観るほど海外への興味が湧き、小学生の頃から姉の影響で洋楽を聞いていた私は自然と英語が好きになった。映画の字幕を入れたり、本を読んで日本語に翻訳するような仕事に憧れていた(しかし英語は得意の科目とは程遠かった)。同時に高校生の頃ダンスを習っていた私は、職業としてのダンサーにも憧れていた。踊ることが大好きで、ダンスに夢中だった。

大学生

大学は地元の私大の英文学科に入学した。相変わらず英語は得意ではなかったし、4年も通ったのに英語を話せるようにはならなかったけど、好きなことを学べるのは楽しくて居心地の良い大学だった。日本語教員の資格や図書館司書の資格もとった。
3年生になると、皆一様に将来の職業について改めて真剣に考えざるをえなくなる。もちろん私も真剣に自分の夢や職業について考えた(この頃にはダンスは趣味だとはっきりわきまえていた)。受けた会社は、保険会社・電気メーカー・写真館・ウェディング会社・CA等々。出版社もいくつか受けた。(就活の間サンクチュアリ出版にTwitterでラブコールを送ったこともある。それはもう華麗にかわされたわけだが)。
当時、先生に物書きに興味があると話してみた。返ってきた言葉は「物書きは素敵な仕事だと思う。だがあなたはコミュニケーション能力が高く、明るくてハキハキしている。物書きよりも人と直接関わる仕事の方が向いていると思う。」そしてその言葉通り、出版社は書類で全滅。営業職で受けた会社は大抵パスした。父には出版社で働きたい旨を伝えたが、出版社は衰退していくからと強く反対された。両親も先生も私がCAになることを望んでいたので精一杯努力してみたが、結局CAは面接で落ちた。

現在

今は旅行会社で働いている。「”好きなこと”と”得意なこと”は違う」そう割り切って生きてきた。読むことも書くことも相変わらず好きだったけど、物書きになりたい夢は心の底にしまったままだった。自分を信じてあげられなかった私は物書きになるための努力も、ダンスを職業にする勇気もなかった。ただ、普通の、よくいる会社員になった。今の仕事を辞めたいと思ったことは何百回とあるけど、自分の選択を後悔したことは一度も無い。でも、今でもダンサーや物書きや図書館司書やCAになっている自分を想像してみることはある。自分を信じて努力し続けられる人はそんなにいないと思う。

私はTwitterで呟くのが好きだ。自分が何を観たり聞いたり経験したりして、何を感じて何を考えたのか。それを生きてきた証として、人生の足跡として、よく振り返っては確かめる。今はTwitterだが、私が足跡として利用してきたプラットフォームはその時代に合わせて変わってきた。日記、ブログ、リアル、デコログ、ホムペ、mixi、FB、IG。いろいろあったけどTwitterが一番自分に合っているみたいだ。そして、この1年コロナで仕事が一気に減り時間ができたことで私は呟くことが増えたように思う。”忙は心を忘れると書く”とは全くその通りで、今まで毎日忙しく働いていた私には何かに考えを巡らせる時間が無かったようだった。暇な時間ができてからというもの、色々なことが頭で浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返している。

かつて物書きになりたかった私には書きたい題材が無かった。ただ「何かを書きたい」と漠然に思っていた。でもこうやって考える時間ができて、ああ私にもちゃんと書きたいことや言いたいことがたくさんあったのか、そう思った。ちゃんとあったのだ。そして今PCの前に座ってカタカタ書いているというわけだ。少し前に友人に「あなたはブログを書いたらいいよ」と言われたけど、私は「書くことが無いし、才能も無い」と答えた。今は、才能は無いが書きたいことはたくさん私の頭の中にある。なんと嬉しいことか!

プツプツと細切れに出てくる記憶の欠片は、今の私の人格を形成してきたものである。その記憶の欠片をエッセイにして自由に書いていこうと思う。自分のために。今日から私は文字通り物書きだ。

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