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フェミニスト見ると結構引いちゃうんだよね

これは昨日友達が言った言葉だ。私はこれを言った彼女の気持ちが分かる。最初に言いたいのは、これは誰かを批判する文章ではないし、私はフェミニストではない。フェミニズムを知らなかった私が、フェミニズムについて知るまでの足跡である。時系列のために幼少期からの記憶に沿って書いているが、私が言いたいのは一番最後の文章にある。

私の家はおかしい?

私の父は会社を経営していて、母はその会社で働いている。自宅は1階でお店を営んでおり3階が我が家だ。お店は3店舗ある。同じ会社で働く共働きの夫婦だけど、夫婦であり雇用関係にある。家に帰ると家事をするのは母だ。私は小さい頃から家事が苦手であまり手伝った記憶もない。母は自分以外の誰かがキッチンに立つのを嫌がるようにも見えたし、料理があまり得意ではなかった。母は毎日のようにスーパーの惣菜で夕食を済ませた(私はかつて「母の味はスーパーの味だ!」とひどいことを言ったことがある) 。父は家に帰るとすぐ風呂に入り、ビールや焼酎や日本酒を飲み刺身を食べた。足りないものがあると、「あれがない」と母を呼んだ。小さい頃はそんな光景が当たり前で、疑問に思ったこともなかった。両親は仲が良い。けれど28歳の私は、私の家はおかしいのではないかと思う。同じ時間労働して、帰宅後の家事は全て母。家族のために時間を費やす母。しかし、そのことに対して母が父の愚痴をこぼしたところを見たことがない。なぜだろう、そういう時代だったからか?それとも母がそういう性格だったからか?

赤よりも青が好きだった

小さい頃は赤が嫌いで(鼻血がよく出ていたので血の色が嫌いだった)、青色が好きだった(空と海の色だからだ)。小学生の頃、祖母が買ってくれたのは赤色のランドセルだった。当時のランドセルは色のバリエーションは多くなかったし、赤や黒以外の色のランドセルを背負った子はクラスに3人程度しかいなかった。この赤いランドセルを6年も背負うのが心底嫌だったけど、ランドセル以外での登校は禁止されていたので仕方なかった。小学校5〜6年生になると、ランドセルは壊れたなどと適当な理由をつけてカーキ色のショルダーバッグで登校していた。ランドセルの色を選べなかった私は、小学生3年生の時に習字道具の色を選ぶチャンスを得る。習字道具も女は赤、男は黒と決まっていた。私は迷わず黒の習字道具を選んだ。自分で色を選べたことが嬉しかった。

かけっこ

私は小さい頃から中学生くらいまで、足がそこそこ速かった。毎年リレーの選手だったし、学校の代表で陸上の大会にも出ていた。幼稚園の頃から男の子にかけっこで負けたことがなかった。初めて負けたのは小学校3〜4年生くらいになってからだ。テストの点もかけっこも男の子には負けたくなかった。私はよく男の子と喧嘩した。ひっかいたり、つねったり、噛んだりした。(今思い出すとひどい子供だ!)そのうち背は追い抜かされ、中学生になる頃には力では勝てないことを悟るようになり、男の子に負けたくない気持ちはいつのまにかどこかへ消えてしまった。

寿司屋でのアルバイト

可愛くみられたいどこにでもいる普通の女の子として高校を過ごし、私は地元の女子大へ通った。寿司屋でのアルバイトも始めた。昼は女性ばかりがいる空間で、夜は男性ばかりがいる空間だった。どちらも私にとっては居心地が良かった。寿司屋でバイトしていた時はよくセクハラを受けていたけど、そんなことどうってことなかった。それよりも「これだから女は」と言われる方が耐えられなかった。悔しくて泣いた時も「泣けばどうにかなると思ってるんだ女は」と言われ、悔しくてさらに涙が出たことがある。それでも男性ばかりの中に女性として存在するのはメリットの方が多かったように思う。男性の中にいると大切な存在として扱われているようだった。

女子大でフェミニズムは学ばなかった

私は女子大でフェミニズムについての講義を受けたことがない。私の専攻は英文学科で、異文化コミュニケーションや異文化理解を学んでいた。性差別や人種差別について学ぶことはあっても、フェミニズムの歴史やどう考えていくべきかについて学ぶ機会はなかった。学内でそういった単語すら聞いたことがなかった。昔はジーンズで大学に来ることは禁止で、エレガントで上品な振舞いをしなければならなかったらしい。学科も秘書科、保育科、看護科、栄養科など、女性が多いとされる職業に特化した大学だった。就職率は99%で、地元の私大の中でもトップだった。女性が上手に生きるための大学なのだと思う。先生は私たちを尊重してくれたし好きなことを学べていたので、私は大学が好きだった。のびのび生活していた。
女子大であることを強く感じたのは就活の時だった。大学では就活のために化粧の仕方や、業種に合わせた服装、立ち姿や座る姿のレッスンもあった。とくにCAを目指す子達には、口紅の色から髪型、受け答えや話し方・聞く姿勢まで、男性には必要ないであろうレッスンをたくさん受けた。

きっかけは韓国だった

私がフェミニズムに興味を持つようになったのはここ1年、本当に最近だ。きっかけは韓国ドラマだった(『よくおごってくれる綺麗なお姉さん/밥 잘 사주는 예쁜 누나』2018年) 。主人公の女性が受けてきた小さな傷が、自分でも気付かなかったような小さな傷が、私の中にもたくさんあったことに気づいた。自分でも忘れていたような記憶を思い出すようになり、傷がなかったはずの心には擦ったような跡があるように感じた。
韓国のアイドルは性別に対してとても慎重だ。性別や国籍を問わず相手を尊重するよう教育を受けていると聞いた。私は韓国の音楽や文化に興味を持ち、韓国の本を読むようになった。そこで初めてフェミニズムの存在を知った。韓国には声を挙げる女性がたくさんいた。女性だけではなく、男性によって書かれたフェミニズム小説もある。私は今まで疑問にさえ思っていなかったことに気付く。そういうものだと思って生きてきたから。

フェミニストってなんだかこわい

タイトルの台詞は友人の発言だが、私も同様にフェミニストが漠然とこわかった。Twitterではそういう言い争いをよく見たし、そこで主張するフェミニストを名乗る人たちもなんだか横暴に見えた。私は女性であることを上手に利用しながら仕事をしてきたし、「女だからこの仕事をとれた/任された」と言われても、傷つきはしたけどそれも一理あるかもしれないと認めて生きてきた。だから、利用できるところは利用しておいて、もっと優遇されるべきなんて横暴じゃないか?と思っていたのだった。私は今の日本は十分に生きやすく、男女平等だと信じていた。

フェミニズムは誰のためのものか?

もちろんフェミニズムはその名の通り、女性のためのものだろう。だが実際には「みんなのためのもの」が正解だったらしい。読んだのは『フェミニズムはみんなのもの 情報の政治学』(ベル・フックス著/エトセトラブックス出版)という本だった。私はフェミニズムについて学んだことがなく、このなんとなくこわい・ある種の宗教のように感じられるフェミニズムが、本当にそうなのか確かめたくなった。そして私の感覚と実際のフェミニズムが違っていたことを知った。この本には、上流階級の白人女性がフェミニズムを利用してさらなる地位を得ようとした過去も書かれている。印象に残っているのは下記P74の文だ。

階級的に力を持った女性たちが、ご都合主義的にフェミニズムの用語を使いながら、フェミニズムの思想を裏切って、結局は再び女性たちを従属させようとする家父長主義的なシステムの維持に手を貸すとき、彼女たちは、ただフェミニズムを裏切っているだけでなく、自分たち自身を裏切っているのである。階級についての討論を復活させることで、フェミニストの女性と男性は連帯のための条件を再び手にする。そうすれば、わたしたちは、資源が共有され、階級を問わずだれもが個人として成長の機会に恵まれるような世界を心に描くことができるようになるだろう。

フェミニズムという言葉にはやはり今も少し違和感を感じる。フェミニズムがみんなのためであるべきなら、何か他の名前でもいいような気がする。もちろん、今までの歴史を考えればこのネーミングは当たり前なのだけど。

男性にかけられた呪いを初めて知る

就活していた頃、周りの女の子たちは「こんなに必死に就活したってどうせ2〜3年で結婚して辞めるんだから」と言っていた。私は結婚しても仕事を続けたいと思っていたけど、そういう腰掛けのつもりで会社に入る女性は確かに一定数いるし、現実には意図せずとも出産により自分の席がなくなる会社がある。それに対して男性は、一生働く会社をこの就活で探さないといけないのだから大変だよなあ、と思っていた。
会社に入ってから数年経って、私は先輩(社歴も年齢もずっと上だけどこの部署では私の方が長いので業務を教えていた不思議な関係)に「会社なんていつでも辞めれる」と言ったことがある。先輩は「僕は家族もローンもあるから辞められない、この歳で辞めたってなかなか他では雇ってもらえないだろうし、辞めたくても一生会社にしがみつくしかない」と笑いながら答えた。私はこの時男性にかけられた呪いをちゃんと知ったと思う。人の人生や生活の全てを1人で背負って生きるのは辛い。私にはできそうにない。女性が結婚して子供を産んで母として自分の時間を犠牲にしながら生きるようにまた、男性も大黒柱としての責任を背負って生きている。私はその先輩に対して会社なんて簡単に辞めれると言った自分が恥ずかしくなったし、申し訳なくなった。(生まれついた場所による男性の苦しみについてはぜひ映画『あのこは貴族』を見てみてほしい。原作は山内マリコの同題小説。)

少し話はそれるが、韓国にNCTというアイドルグループがいる。私はメンバーのジェヒョンが言った言葉がとても好きなので残しておく。

20歳になって母と言い争ったときに「母も母である前に、女性で、娘だし、人間であって、母の人生がある」ということを考えた。

私はこの言葉を思い出す度に涙が出そうになるし、たまに本当に涙が出る。当たり前だが家族を背負って生きる父や母にはそれぞれの人生があるのだ。

そろそろ自由に生きてよくない?

この本にはP10に「男性たちがフェミニズム運動に見いだすのは、自分自身が家父長制の束縛から解き放たれる希望」と書かれている。そしてP11には

「思い描くのは、支配というものがない世界に生きること。女と男は同じではないし、いつでもどこでも平等というわけではなくとも、交わりの基本は互いに相手を思いやることだという精神がすみずみにまで行き渡った世界に生きることだ。」

と書かれている。その通りだなと思う。私が自身をフェミニストだと名乗ったり何かの活動に参加することは無いかもしれないけど、人種やジェンダーで差別されず、過去の常識に縛られず、1人1人が尊重され、自由に生きる世界がいいなと思いながら生きていくのだと思う。

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