見出し画像

東京には空が無い

高村幸太郎の詩の中に『あどけない話』という作品がある。

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。

私はこの詩が好きで、東京が好きだ。今回は私がたった1年だけ過ごした東京について書くことにする。

上京は想定外の出来事だった

私はずっと実家暮らしだった。本当は福岡の公立大学を目指していたけれど、両親から実家を出ることを許されず地元の私大に通った。だから、社会人になったらどうしても実家から出たかった。縁あって旅行会社に入り、内定者面談では人事に地元から離れた福岡での勤務を希望した。大学を卒業する1ヶ月前、会社に呼び出されて突然「春から東京で1年働いてもらう」と告げられた。東京は元々採用管轄エリアではなかったので予想外の出来事だった。私はその後すぐ、友達と友達のお母さんに会ってオイオイ泣いた。どこかすごく遠いところに行かないといけないような気がして、寂しくて、悲しかった。けれど悲しんでいる時間はなく、私は大学の卒業アルバムの準備や引っ越しの準備、卒業式で慌ただしい3週間を過ごした後、上京した。

東京なんて大っ嫌いだ

私は赤羽駅の隣駅の近くに家を借りた。東京は不便だった。今までは徒歩3分の小さなショッピングモールに行けば何でも揃っていたのに、今は電車に乗って違う町まで行かないといけない。何を買うにも行列に並ばないといけない。どこに行っても人混みで自分の行きたい方に進めない。電車の乗換は迷路のようで、大きな駅はダンジョンのようだった。
そして、何よりも辛いのは通勤の満員電車だった。初めて通勤した時は電車が来ても満員だからと見送っていたら、何本見送っても満員で乗れずあやうく会社に遅れそうになった。駅員さんがいくら押してもドアが閉まらないことがよくあった。電車の中は骨が折れそうなほど圧迫され息ができず、自分の体は浮き、鞄はしっかり持っていないと人に揉まれてどこかへいってしまう。辛くて途中下車して吐いたり泣いたりしながら通勤していた。当時の私はTwitterに「痴漢が線路に飛び降りて逃走、人が転落、荷物がドアに挟まる、財布が線路に落ちる。埼京線いろいろやばい。30分以上遅れてる。やめたい。」と呟いていた。痴漢にもたくさんあった。東京の人は自分と同じ日本人だとは思えなかった。東京はどこか別の国みたいだった。皆死んだ顔をしていて、優しさはなく、意地悪だった。観光で東京に来るのと東京で暮らすのは全然違っていた。私は心底東京が嫌いになりこの街に染まりたくないと思った。でも、1ヶ月も経つと私も死んだ顔で電車に乗り意地悪な人間になった。
伊坂幸太郎の小説に『グラスホッパー』という作品がある。

「これだけ個体と個体が接近して、生活する動物は珍しいね。人間というのは哺乳類じゃなくて、むしろ虫に近いんだよ」
「どんな動物でも密集して暮らしていけば、種類が変わっていく。黒くなり、慌ただしくなり、凶暴になる。気づけば飛びバッタ、だ」

わたしも飛びバッタになった。

お前らの方言がムカつくんだよ

私の会社は大手と呼ばれる会社だ。本社は新宿にある超高層ビル。私はドラマに出てくる主人公みたいに田舎者丸出しでキョロキョロし、毎日会社のエントランスに入る時はドキドキしていた。
東京は学歴や出身地へのコンプレックスが強い。人をスペックで判断する。東京で採用された同期は皆ハイスペックだった。田舎で採用された私とは全然学歴が違う。それでも私たちは仲が良かった。今でも大好きな同期だ。
東京は田舎よりもずっと競争が激しい。先輩も含めて私たちはライバルで、成績を競いピリピリしていた。ある日酒に酔った同期の1人に言われた。「お前らの方言がムカつくんだよ。方言で話して頑張ってます感出すなよ。」ショックだった。イントネーションを直されることは度々あったが、方言を出すのは同期との会話の時だけだったのに。彼は「俺は地元も方言も捨てて東京に出てきた」と言っていた。たしかに上京してきた人たちは方言や地元を隠していた。出身地を偽っている先輩もいた。東京では皆自分を守るために必死で生きているように見えた。

残業地獄

私の仕事は営業だったので、東京の中心部のありとあらゆる場所を歩き回っていた。右も左も分からない頃はアポ先の会社にたどり着けるか不安でいつも緊張していた。私は東京の地理が分からないのに、先輩をアテンドしないといけないのはいつも私だった(先輩は早く私が分かるようになるためにわざとそうしていたんだと思う)。この電車で行きますと伝えても、「もう1本遅いのでも間に合うだろう」と言われて、心の中では(迷ったらどうするんだ!)とヒヤヒヤしていた。一度いつも使わない線を使って渋谷に行ったら駅の中で迷子になったことがある。行けども行けども地上に出られず、まるで不思議の国のアリスにでもなったような気分だった。
私の部署の先輩はエリート集団だった。そして仕事人間だった。家族よりも友達よりも恋人よりも、仕事を優先して生きていた。私がいた部署は案件の規模が大きい部署で、他の部署よりも残業が多かった。大抵21時退勤で家に帰り着くのは22時以降、繁忙期は終電だった。夜中1時の最寄駅に止まる終電を逃して、泣きながら2時間かけて家まで歩いたこともある。家に着いたのは3時か4時頃で、起きるのは6時だった。毎日寝るためだけに家に帰る生活だった。

金曜日の歌舞伎町と週末の東京観光

私の楽しみは金曜日だった。どんなに疲れて悲しくて悔しくて毎日泣いていても、週末は楽しかった。金曜日は同期と歌舞伎町で飲んでいた。よく行っていたのは韓国人のおばさんがやっている店だ。路上にドラム缶と椅子が置いてあって、そこでチャミスルを飲んで、サムギョプサルを食べた。私たちはほとんどが一人暮らしだったから、そのおばさんのお母さんみたいな雰囲気が良かったのだと思う。私たちはいつも終電が無くなるまで飲み歩いた後いつものカラオケに行き、始発の時間に解散した。
一度皆で六本木のクラブに行ったことがある。私は無理矢理キスしてきた外国人に財布をすられ、同期の1人は帰りの電車で寝過ごし後日財布が神奈川で空っぽの状態で見つかった。やっぱり東京はこわい。日本ではないどこか他の国みたいだ。そして私たちは度々羽目を外して馬鹿ばかりしていた。
週末は東京を観光した。1年と期限が決まっていたこともあって、週末は無駄にしたくなかった。疲れていても私は1人で東京を観光した。浅草、築地、東京タワー、スカイツリー、谷中銀座、動物園、美術館、水族館、博物館、秋葉原、新宿御苑、少し足をのばして箱根、鎌倉、江の島、日光。。。
東京の週末は本当に楽しい。平日の辛さが週末でペイできるほどだった。

東京小空

私は心の余裕がなくなると空を見上げなくなる。それを自分の心の状態を確認するバロメーターの1つにしている。だが東京には空が無い。正確には、あるけれど狭くて小さい。オフィス街を歩くと、立ち並ぶ高層ビルに遮られて空はほんの少ししか見えない。地元で見るような夕焼けが広がる大きな空はなくて、そういう景色を見るには眺めのよい高層ビルの中のレストランなんかに行かないといけない。高い料金を払ってその景色を見るのだ。私は毎日ビル群に囲まれた地上を早足で這いずり回り、いつも苛々しながら心の中で(東京には空がない!)と叫び、その度に高村幸太郎の詩を思い出した。
「東京小空」は新宿ルミネ1の屋上にあるビアガーデンの名前だ。一度だけそこへ野外シネマを観に行ったことがある。長い行列に並んだ末、やっとのことで座って映画を観ながらタイカレーを食べて、ビールを飲んだ(たしか私はここで初めてパクチーを食べた)。観た映画は私の大好きな映画の1つ『ノッティングヒルの恋人/Notting Hill(1999)』だ。風が冷たくて、心地よかった。東京小空という名前も好きだった。その通りだと思った。

席を譲ってくれた男の人

東京で過ごした1年の中で、たった1度会っただけなのに忘れられない人がいる。家に帰る満員電車の中で席を譲ってくれた男の人だ。私はその頃本当にへとへとだった。生きるのに必死で、毎日が辛くて、消えてなくなりたかった。涙を堪えていつものように電車に揺られて30分立つつもりだった。すると、目の前にいた同い年くらいの男の人が「よかったらどうぞ」と席を私に譲ってさっさと行ってしまった。私はその席に座って、電車を降りるまで嬉しくてありがたくて泣いていた。なぜ突然譲ってくれたのか分からないけど、きっと自分が思っているより辛そうに見えたのかもしれない。東京にも優しい人はいた。私も優しくなろうと決めた。

卒業式

あっというまに1年は経ち、たくさん泣いた私は泣いた分だけ強くなったと思う。あんなに嫌いだった東京にも東京の人にも愛着がわき、離れたくなかった。最後の1ヶ月間は毎日のように別れを惜しんで皆と飲み歩いた。同じ部署の上司と先輩は、最後に私たちのために卒業式をしてくれた。貸し切られたお店にはちゃんとプログラムを書いた大きな紙が貼ってあり、手作りの飾りつけが施され、彼らは卒業証書と卒業生に贈る歌をプレゼントしてくれた。私は1年間、この厳しくて優秀で愛しい人達と仕事ができて本当に幸せだと思った。赤羽の家を引き払った後、地元に帰る前にもう一度1人で東京タワーに上った。
憧れの東京とよく言うけれど、私にとっては東京は憧れではなくて、死ぬほど苦しくて死ぬほど楽しかった思い出の場所になった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?