音楽という鏡は、感情という光をわたしの心に反射する
音楽を好きになったのはいつだったろう、音楽を自分の好きなものの一部にしたのは。
音楽は時にわたしを苦しめる。あたまの中の、引き出しにしまってたはずの記憶をかき乱してわたしをぐちゃぐちゃにする。そのたびにわたしはもう苦しくてなんにも手につかなくなって。そう今も、こうしてわけのわからないままキーボードをたたいている。
音楽を好きと言いはじめたのはいつだったろう。
むかし流行ったプロフィール帳。小学校のころは趣味の欄に読書とかいていた。中学校に入学してからは音楽鑑賞と書きつづけた。それからずっと、趣味を聞かれたら音楽鑑賞と言いつづけている。
小学校時代、両親の影響で洋楽やスピッツ、コブクロといった邦楽を耳にしていたし家でもずっとなにかしら歌っていたけれど、読書少女だったその頃のわたしは本の方が好きだった。はじめて買ったCDは小学校6年、GReeeeNのキセキ。GReeeeNにはその後も長くお世話になった。
中学校に入ってはじめての夏休み、厳しい部活の合宿に歌詞カードを持っていって励みにしたっけ。その年、先輩の影響でflumpoolと出会ったのをきっかけに自分はバンドが好きなのかもしれないと気がついて。Galileo Galilei、BUMP OF CHICKENなんかをツタヤで借りあさったな。音楽はわたしの中でその存在感を増していく。
高校生、SCHOOL OF LOCKなんかを聴いてロックを知って、ロックに憧れて。染まってゆく青春。大学受験に向き合う頃にはいつも助けられてた。音楽はわたしの一部になった。
大学に入ってフェスに足を運ぶようになると、出会う音楽の幅がどんどん広がって。まだまだ知らない音があふれてることに希望をいだいたり絶望したり。バンド知ってる顔なんていつまでたってもできっこないんだ、それでいいんだって。
今日みたいな夜はたくさんの音を吸収したくなる。YouTubeでひたすら知らない音に耳を傾ける。出会う音たちは時に明日を照らし、時に過去を映しだす。そのたびにわたしは笑みをうかべたり涙をながしたり。そんないそがしい夜だ。
こんなふうに音楽に心がかき乱されるようになったのはいつからだろう。ただの好きだけではなくて、切なさだとか、やるせなさが入り混じって苦しくなるようになったのはいつからだろう。
音楽はわたしの心を映しだす。音楽に対する感情というのは、わたしが経験から得た感情だ。恋をしらなければラブソングはわからない。破れた夢がなければ悔しい曲にはげまされない。悩みがなければ生きる苦しみを歌う音楽に浸れない。
きっとわたしが少しずつ新しい感情を手にいれてきたから、音楽に感じる気持ちも複雑になってきたのだ。新しい感情を手にいれるたび、自分で抱えきれなくなって。それを、音楽が昇華してくれるのだ。そうやって、音楽をとおして、感情を知っている。
音楽という鏡は、感情という光をわたしの心に反射する。
感情の反射は明日からまた、はじめての経験を重ねるごとに、新しい感情を手にするたびに、繰り返されるのだ。
音楽とともに生きている。今までわたしに感情を教えてくれた音たちとともに生きている。そしてこれからも音は増えていくのだろう。
わたしという未完成な人生。音楽によってどんどん彩られてゆく。
なんだ、まだまだ音楽なんてこれっぽっちもわかりゃあしない。
たのしみじゃないか。
Special Thanks: そのすべて/KOTORI